山陽新報 昭和十年十一月二十日(水曜日)
十五景“吉備の中山”
驛頭に標柱建設
同時に吉備津神社の標柱も
犬養健氏に揮毫委囑
岡山縣眞金町では『吉備の中山』が岡山縣第十五景に入選したので各種の記念施設が計畫されてゐるが第一着手として吉備津驛構内に高さ一丈四尺、幅一尺の木製大標柱を建設すると同時に官幣中社吉備津神社では右標柱と並べて高さ一丈四尺幅一尺二寸の神社標柱建設に決定、目下來岡中の犬養健代議士に揮毫方を委囑、同氏はこれを快諾したが出來上り次第吉備津神社で建立奉告祭を執行、祝賀會を催すべく石井吉備津驛長を委員として準備を進めてゐる
山陽新報 昭和十年十二月五日(木曜日)
景勝吉備中山
標柱建立終る
祝賀會は八日
本社主催縣下十勝十五景入選『吉備中山』では一日吉備津驛構内に標柱建立の筈であつたが、雨天のため三日建立した、同時に官幣中社吉備津神社奉贊會では同景勝標柱と並べて社標を建立した、兩柱とも犬養健代議士の揮毫にかゝり高さ丈餘の堂々たるものである、當日は同社で建立奉告祭を執行し業合同社禰宜神官等奉仕して祭典を執行、祝餅、神酒を奉仕者一同に頒つた、尚十五景入選祝賀會は本月八日擧行の筈である
山陽新報 昭和十年十一月三十日(土曜日)
岡山県十五景
“吉備の中山”
大標柱
一日に吉備津
驛構内へ建立
岡山縣十勝十五景新選投票で十五景に入選した吉備の中山では一大標柱を吉備津驛構内に建設すべくその揮毫を犬養健代議士に依頼してゐたがこのほど出來上がつたので十二月一日建立奉告祭を執行後、官幣中社吉備津神社標柱と相並んで建立することに決定した、尚ほ當選祝賀式は目下農繁期なので十二月八日本社の推薦状授與式後の吉日を選んで擧行すべく準備を進めてゐる
山陽新報 昭和十年十ニ月十日(火曜日)
吉備中山
入選奉告祭
大衆祝賀會は
農閑期に擧行
本社主催十勝十五景の新選に入選した吉備中山では八日本社の選奬授與式後當日代表石井吉備津驛長は本社から授與された入選■選奬額を有志と共に官幣中社吉備津神社に奉置■かな入賞奉告祭を執行尚當日擧町的■祝賀園遊會を催す筈であつたが折柄農繁期のため新春早々農閑期を卜して擧行に繰延べ、當夜は投票關係者二十餘名で當選祝賀宴會を驛前三宅邸に開き盛宴裡に万歳を三唱して同夜十時散會した
山陽新報 昭和十年十二月二十日(金曜日)
吉備の中山へ
第二回市民ハイキング新春初詣で
倉敷市主催の第二回市民ハイキングは明年一月三日(雨天の際は五日)初詣でをかねて吉備の中山に出かけることになつた、參加者は來る二十五日までに庭瀬驛までの片道汽車賃十六錢を添へて市學務課に申込み會員章(乘車券代用)を受けられたいと
當日は午前八時倉敷驛集合、八時三十二分上り列車で庭瀬驛に下車、徒歩二十町で裏山から吉備中山の頂上吉備津彦命の御墓所に參拜、山中の遺蹟、石船、新大納言成親■墓その他を見學、下山して官幣中社吉備津神社に參拜、明治天皇御駐蹕所を訪ひ正午晝食、解散して午後は備前一宮の吉備津彦神社、或は備中高松稻荷、水攻跡等自由行動に委せる豫定である
山陽新報 昭和十一年一月四日(土曜日)
颯爽と倉敷市
民ハイキング
初詣をかねて
吉備の中山へ
倉敷市主催第二回市民ハイキングは初詣でを兼ねて三日、吉備の中山方面に擧行された
一行八十余名午前八時を期して倉敷驛に集合、黒崎助役、角南文書課長、安田學務主任ら斡旋役となり同日午前八時三十二分發上り列車で庭瀬驛に下車、こゝから徒歩二十町、吉備の中山の裏參道から山頂に登り先づ第一に四道將軍吉備津彦命の御陵墓に參拜した、史蹟に富んだ中山は
本社主催の新選各勝地として新に觀光網の第一線に踊り出した名山新昔劈頭に颯爽ハイキングの旗を押し立てた一行は備南平野を一眸に納めた山頂から思はず快哉を叫んだのち天の石船、新大納言成親郷の墓その他を訪ね下山して官幣中社吉備津神社に參拜し藤井宮司より講話を聞かせて貰ひ次いで明治大帝御野立所を訪ひ晝食を濟ませて解散
午後は備前一宮高松稻荷等思ひ思ひの自由行動をとつた
山陽新報 昭和十一年一月五日(日曜日)
吉備津の
大鳥居
竣工奉告祭
笠岡町黒田恒次郎氏獨力で眞金町官幣中社吉備津神社奉獻の石造大鳥居及石燈籠一對は同社表參道松並木馬場中央部に建設工を急いでゐたが二日竣工したので當日午後一時黒田夫妻は同社内陣に入り藤井宮司以下の嚴かな奉獻竣工奉告祭を行ひ、同二時から新鳥居に屋台を設け餅撒きを行つた、同鳥居は高さ十米もある廣大なものであるから同社の神嚴を層一層深からしむるものがある
■(寫眞は竣工した大鳥居)
山陽新報 昭和十一年二月十五日(土曜日)
景勝“吉備の中山”
入賞標柱建設
本社主催縣下十勝十五景新選投票に十五景第二位に當選した吉備中山では本社が曩に授與した青銅製入賞標識を同地官幣中社吉備津神社に奉納したので同社では該賞標を大石柱に掲揚建設するに決定、目下これが石工中である、建設位地は吉備中山々巓にするか吉備中山細谷川古跡碑附近にするか、町當局と打合中で多分細谷川の同山入口と決定する模樣である
山陽新報 昭和十一年五月六日(水曜日)
吉備中山に
入賞標建設
本社主催縣下新景勝地投票第十五勝第二位に當選した吉備中山ではこれが入賞標建立箇所につき町當局と打合せの結果大吉備津彦命御墓所登山口たる細谷川古跡碑の傍らに建立決定工を終つた、同地ではこれを機として諸種の觀光設備を計畫してゐる