景勝地顕揚座談会[四]

山陽新報 昭和十年十ニ月十三日(金曜日)

本社選奬 景勝地顯揚座談會[四]

先ず指導機關設置

個々の競爭的施設は効果薄し

關係當局蹶起せよ

常昌院瀧代表 今回山陽新報社主催の縣下名勝新選投票は社會の要求にピタリと合つた爲めその投票は世界的の超記録をつくりましたが我が常昌院の瀧も努力の結果第四位の榮譽を擔ひ入選致しました次第であります、かくの如く多數の票を獲得して入選致したものでありますからといつて決してそれだけ價値があるかと云ふとその點は全く疑問だと思ひます、私共の考へでは全く十勝、十五景、二十秀の勝景地には優劣の差はないと思ひます、たゞ郷土熱の高かつたところに上位を占めた理由があるのだと思ひます

さて常昌院の瀧でありますがこれは所謂 見る瀧ではなく打たれる瀧であります、今回も午後二時から座談會を開き將來の施設計畫を樹立することになつてゐますが近い將來には色々施設を盡し度いと思つてゐます、私共としては高松城址、最上稻荷、常昌院瀧の三ケ所をつなぐ一日の遊覽コースを作り三者合體して觀光客の誘致に努め度いと思つてゐます

少林寺山代表 觀光施設については大體の概念は既に縣市關係方面から御意見を拜聽して甚だ意を強うする者であります、私共は岡山市の東にある操山の山麓にかなり天下に宣傳されてゐる五百羅漢を有する一帶を稱して少林寺山と稱してゐるのであります、何分にも之に通じます道路が不完全でありますため天下の名苑後樂園との連絡が巧くゆかずこの點誠に遺憾とする次第であります、市の觀光協會としては充分なる施設をお願ひし度いのであります、犠牲的には保勝會保存會などを作り色々固有の型を悉く保存し更に人工的施設も加へて外來者を誘致し一日の清遊に資し度いと思つてゐます

山陽新報社におきましては多年かゝる事柄につきまして色々御盡力になりまして地方開發のために御盡し下さつてゐるのであります、關係者と致しまして誠に感謝に堪へません、またお恥しい話でありますが、私は縣下に居ながら十勝十五景二十秀方面の景勝地を全く存じてゐない者であります本日茲へ出まして色々御意見を拜承將來におきましても我々の認識を深めるためにも是非是等の景勝地を一巡したいと考へて居ります、それから私共最もその設置を痛感致しますものは指導機關のことであります

これからの觀光には指導機關があつて施設經營ルートにといつた風に觀光網の施設方策を指導すると共に一面統制して行くことが是非必要だと思ひます、關係御當局におきましてはどうかこの點に充分なる思ひを致されまして同時に産業その他の開發に努められんことをお願ひする次第であります、私共としては自力、他力兩々相俟つてその完備を期し度いと思つてゐます、どうか將來一層の御指導、御聲援をお願ひ申上げます

井原の櫻代表 井原の櫻と申しますのは井原町の東部を流れてゐます小田川の堤防に沿うて植ゑられた櫻のことであります、町の南端郷社足次神社を起點に舞鶴公園にいたる蜿蜒二十餘町の長きにわたつて連り、殆ど市街の半部を埋めてゐますが、この堤の櫻は既に樹齢三十年を經てゐるので隨分よくなつてゐます、陽春花時が訪れますれば小田川堤は櫻花のトンネルと化し全町は花の街となり隨分夥しい見物客で賑ひ一目千本の郷社足次神社では夜櫻祭を行ひ、長堤の櫻には雪洞を飾り電燈をつけ、櫻花が電光に照されて小田川に映じる夜景は他では見られぬ美しいものです

山陽新報の景勝紹介記念號には“東に京都多摩川の櫻、西に井原の櫻あり”とありましたが、多摩川の櫻との比較はよくは存じません、しかし中國一の櫻と銘打つて宣傳致しましても間違ひないものと思ひます、近來いろいろの觀光設備も施し、また鐵道、自動車會社方面におきましてもこの二三年來非常にサービスに力を注ぎ觀光客の誘致に力めてゐます、交通の便といたしましては省線笠岡驛から四里ありますが四五十分間で達し得られ、岡山市からでも二時間二十分位で到着出來、賃金も非常に安くして觀光客の便宜をはかるなど邊鄙の地と云ふにサービスの點には全力を擧げてゐる次第です

この度の十勝に入りましたことは非常に榮譽といたし皆樣方の御來遊を全町擧げてお待ちするとともに各方面の御指導をお願ひいたしたいと存じます

笠岡古城山代表 今回の山陽新報社の景勝投票に際しましては擧町一致の精神をもつてあたりこ榮譽を勝ち得ましたもので非常に喜んでゐます、古城山は笠岡港の東にあります、昔は應神天皇が獵を行はせられた故事に因む應神山々地續きでありましたがいまは道路で横斷されてゐます

この地は陶山義高の築城にかゝるので『吸江山』と呼ばれてゐた、神島、天神の瀬戸、水島灘、讚岐の山々、西は鞆の仙醉を中景として伊豫の連山を一眸のうちに収められるといふ紀勝の展眺台となつてゐます、この地に遊んだ宗祇は『山松の影や浮き見る夏の海』と詠み、のち芭蕉はこの地を訪れて『世の中にさらに宗祇のやどりかな』の一句を殘し、宗祇の休石、芭蕉の鏡石として今に傳つてゐます、笠岡が觀光方面に醒めたのは内海國立公園の西玄關となつてから觀光客が非常にふえて來たので、我々が古城山保勝會を組織して經營、宣傳を開始してからであります

觀光コースとしましては東からの遊覽客は省線里庄驛に降車、それから御嶽山に登り、天神の瀬戸、養魚場をみ、更に道通神社から古城山にいたつて全景觀を見せて戴いて笠岡驛から乗車する、更に方面をかえて海のコースをとるとすれば笠岡の港をまづ神武天皇に因む高島に上陸、姿妙なる白石島から■の鞆の浦、阿伏兎觀音を御覽になるならば一日の遊覽としてこれ以上のものはなからうと存じます、將來皆樣の御指導を願ひ景觀のうへに更に施設の万全を期したいと思つてゐます

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昨紙本欄末尾に『杉山座長次は』とありしは誤記につき削除

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