【2】 宇南寺

山陽新報 昭和十一年一月三十日 (木曜日)

二十秀地を巡る 【二】 熊丸生

白皚々の宇南寺

老松矗々、美甘平野の高臺

今の本堂は九十年前の假建

魅惑、四時の眺め

超スピードを誇る一九三五年式流線型シボレー車の後輪は見る見る頑丈な鐵鎖にて緊縛されてしまつた、しかしこれは交通慘禍の自動車に對する罪のしもとでもなければまた去勢でもなく

二尺餘に達する積雪に備へるための武裝なのである、雪の勝山町から固き鐵鎖に身支度を整へたシボレーは勝山――新庄間の定期バスさえ停つてしまつてゐるといふ二十八日、満目雪にとざられた出雲街道を國境近き美甘村へと新庄川の溪流に沿ふて苦しい喘ぎを續けるのであつた

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降つては躅られ、またそのうゑに積つては踏み固められ、それに廿年來の極寒のことゝて雪はもう凍りついてカチカチとなつて居る、深く食ひ込んでゐる二條の轍の跡を鐵鎖の後輪で踏みしめ蹴散らして進むためか遅々として捗らず、かうなると

文明の利器であり近代交通機關の寵兒であるシボレーもほとほとうらめしくなり、馬や鹿などゝ、二字を合せ讀む時は實にさげすみそのものであるこれら動物が見たならば如何に文明の利器の、また人間の愚かさをとあざ笑ふであらうかとさてはいらぬことまで考へさせられる

三里そこそこの道を實に二時間、これが自動車による所要時間だけにまつたく愛想がつきる、自動車を乘り捨てたうゑ三尺に近い

雪の中を杖に縋りながら匍ふやうにして命からがら辿り着いたのは廿秀地の第二位、宇南寺の靈地である

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白皚々たる大ぐるみをはじめ鐵山、平島、庚辰などの山々が繞つてゐる美甘平野の中央の宇南殷といふ高臺に位してゐるので宇南寺の名があると傳へられてゐる

同寺は嵯峨天皇の御世弘法大師の開基になる眞言宗の寺院で約一千年前の開基當時は二院六坊からなつたものであつたがそのうちの一院であつた白露院は其後取除けられて現在の宇南寺一院が殘りまた二院を圍んで居つた

六坊は明治七年ごろからこれ又取除けて漸次水田に代へられてしまつた、しかし同寺の境内には本堂の南に大師堂があり、弘法大師が自らのお姿を刻むために水鏡とされたといふ鏡池があり、銅像は日輪大師と稱するお姿で實に稀に見るの御像であると云はれてゐる

本堂はそのかみ炎上したゝめ九十年前の假建てゞあるが、老松晝なほ暗き參道の正面にある太平堂は明治廿年古建物として宮内省より保存金を下賜されたほどのものであるが惜しいかな百廿年前の住職宥賢師が草葺を現在の瓦葺としまた縁を高くするなど大いに手柄顏をしたばかりにつひに

國寶に選ばれることを得なかつたといふ、同建物には眞言宗の教主金剛、臺藏の兩大日如來が祀つてある、またその南方には毘盧化大權現が鎭座ましますが同權現こそは我國にたゞ一體しかなく且つ靈驗あらたかであるといふので毎年十月廿八日の大祭には伯耆、備中、美作と三國からそれはそれは大へんな參詣人が殺倒するそうである

一千年もの昔、さすがは弘法大師の開基による寺院だけは何となく奧床しく同靈地に一歩を踏み入るればおのづから頭がさがり思はず合掌禮拜すると言はれてゐる、美甘七段からなる

宇南段に老杉矗々としてそゝり立ち早春の白梅から櫻花へ、燃えるやうな新緑のあとの錦織から白皚々の冬へと靈地の眺めは四季を通じて遠近の行人を誘ふに十分である