山陽新報 昭和十年十二月一日(日曜日)
御嶽山を禁獵區とする
縣下十五景入選記念事業
本社主催の縣下十勝十五景新選投票に入選した大島村御嶽山は郡の西南端海岸に突起した高峰で瀬戸内海公園の展望台として、申分ない自然の風雅を備へてゐる、殊に御嶽山は約一千年を徑たといふ天台宗兩光寺があつて史跡にも富み大阪鐵道局管内の觀光地と指定され相當登山するものがあるが、同山は概ね密林にして雉、山鳥などが棲息してゐる所からこれ等の保護蕃殖を計るため今後禁獵區となし、開禁(三ケ年後)の際入山料を徴収し、一層登山整備を充實すべく村有志者間で計畫を進めてゐる
山陽新報 昭和十年十二月十九日(木曜日)
御嶽山上に
遊園地開設
大島村會で可決
大島村では十六日村會を開き■に本社に於て名勝地投票の結果十五景に入勝した同村御嶽山開發について協議を重ね愈同山頂を開拓遊園地を設け約十五町餘の登山道を改修すること及び各地へ宣傳方法等を協議可決し直に一切を保勝會へ一任着手することゝした
山陽新報 昭和十一年三月二十四日(火曜日)
岡山縣十五景地
御獄山視察
岡山運輸事務所長ら
山上から内海の風光を激賞
本社選奬の岡山縣十五景地並に岡山運輸事務所管内指定ハイキング・コースである南備大島村地内御嶽山に登るため、土屋岡山運事所長、米田同庶務主任、平出同營業主任並に岡山鐵道記者クラブ員の一行は二十二日午前九時里庄驛着、途中■狸場を見て島村大島村助役、■■井笠鐵事務ほか保勝會有志の案内で山頂から鷲羽山に勝るとも劣らない瀬戸内海の風光を歎賞し、史蹟を聞き、上を下り、鐵道省のモーターボートで白石島に渡り、中塚同郵便局長などの案内で同公園の頂上から瀬戸内海の佳景を再び眺めた、ついで海上を兒島下津井港に至り午後九時十分岡山驛に歸着した
山陽新報 昭和十一年五月四日(月曜日)
田村博士―
“御嶽山”視察せん
六日午後來岡して
視察の結果國立公園編入か
瀬戸内海國立公園の施設計畫について中國入りしてゐる田村公園博士は四國路の旅からの歸途、六日午後四時二十二分岡山驛着列車で來岡、長谷川縣經濟部長らの案内で淺口郡大島村の『御嶽山』を視察することになつたが御嶽山は淺口郡第二の高山で内海に臨んだ西部國立公園の大展望台として知られ、眺望絶佳な名山でさきに本社の選奬したる縣下の二十秀地である、全山鬱蒼とした原始林で現在は國立公園區域に包含されてゐないがこの田村剛博士の視察によつては或は新たに海の公園區域内に包含されるものではないかと見られその成行きは注目されてゐる
山陽新報 昭和十一年五月五日(火曜日)
十五景 御嶽山
觀光施設を急ぐ
田村博士の視察に
擧村歡喜漲る
曩に本社で縣下の景勝地として十五景に選奬した大島村御嶽山は四圍の眺望絶佳にして昨今登山客引きも切らず賑うてゐるが來る七日午前九時笠岡驛着列車で田村博士が視察することゝなつたので同保勝會では躍起となり準備に着手し一方部落民は毎日の如く二百餘名宛出夫して登山道路の改修をなし縣道に添ふ字石迫より頂上迄約十八町は既に終了し尚字正頭海岸道を新に設けることゝなつてゐる保勝會長渡邉村長は語る
今回田村博士の來山を待ち山頂で最も眺望絶佳の位置の選定を仰ぎ登山者の休憩所を設置し且つ登山道附近の樹木手入方をも協議し博士の指圖を待つて直に着手したいと思ふ
山陽新報 昭和十一年五月八日(金曜日)
瀬戸内海の展望臺
御嶽山の景勝を視察
田村公園博士を山駕籠で登攀
國立公園編入を希望する地元民大歡迎
さきに本社が縣下十五景の一つに推奬した岡山縣淺口郡大島村御嶽山は同郡の南端に位し、水島灘に面し標高三百二十米、瀬戸内海國立公園地域を一眸にあつめ、好適の大展望臺であるが海の公園區域内に包含されてゐないところから地元を始め附近各町村では公園地域編入を熱望し本社の十五景推奬と同時に各施設完備に努めてゐる折も折四國路の視察を了へて歸途の國立公園委員田村博士が七日午前九時八分笠岡驛着列車で久郷縣山林課長と共に來村、同村では全村總出でこれを迎へ西大島の路傍に天幕張りの休憩所を設け學童は道路に整列、敬意を表するなど希望に輝く大歡迎裡に足の悪い博士のために特に作つた山駕によつて登山口から約二粁の細徑を山頂に案内した、人家をはなれて山にかゝると急に傾斜のはげしい道になるが駕を擔いだ青年團の人々の元氣な足にまかせてどんどん登つて行く
中腹に達すると早くも北方の山の頂が手近に見える、この山は郡内第二の高山である、九合目位に御嶽神社があり、この邊り多數の特殊植物が鬱蒼たる原始林の間に繁殖してゐるこゝで少憩し説明を聽取した、博士は駕籠に搖られて山頂へ、山頂は東西に並んだ三つの峰からなりその長さ二百五十間、博士は詳細にその眺望を視察し同村島村助役等にこの邊の松は伐らない方がいゝとかこの道はこうと一つ一つ實地について指導し一番西の中腹展望臺をへて南側急傾斜に去る二日俄に拵へたといふ小徑を正頭海岸に降り午後四時廿六分笠岡發列車で歸岡した
この日霞多く遠望はきかなかつたが内海公園地域は殆ど全部を眺める事が出來た、氣候のいゝ時は東は小豆島、四國本土は五劍山讚岐富士、阿波劔山、琴平白髪山、伊豫石鎚山、西は福山城から北は遠く大山を望む事が出來るのに遺憾のことだつたと地元の人々の話だつた、視察後同博士は次の如く語つた
天候の關係で十分眺望がきかなかつたが頂上中央はあまり開けすぎて變化はない然し視野の廣いこと雄大な感じだ、東の峰は松樹が多く眺望は雄大ではないがその替り變がある、一番いゝのは南の展望臺でこゝは海に面し松林の配合もよく花崗岩が多い、内海の展望臺としては他にいゝ所がたくさんあるがこの山は山陽本線から近いことが非常に有利で先づこの山から海の公園全體を紹介して後海に出ると面白い、それに可成り高いので内海に浮んでゐる數十の島嶼が一線にならず遠近共別々に見られる點がある、たゞ驛から登山口迄の道路が今少しよくならなければいけない、南側海岸線の新道路は是非下山後利用すればいゝと思ふ、然下山中の道路その他の施設は素人で手を入れてはいけない、今後のことについては尚相當研究の餘地があると思ふ
同博士は八日兒島郡小串村を視察して同日午後四時五十五分發列車で歸京の筈
山陽新報 昭和十一年五月十六日(土曜日)
御嶽山展望臺
“幻虹臺”と命名
田村風景博士から命名書來
地元で愈よ觀光施設
秀麗な瀬戸内海を一眸する展望臺として、昨秋、本社十勝十五景の一に推奬された淺口郡大島村御嶽山は、最近、田村風景博士が來山してその展望美を推稱絶勝地としての折紙をつけて歸つたので、愈觀光ダイヤにデビユウすることになつた
展望臺の命名に就て博士に依頼してあつたところ『幻虹臺』と稱すべきだといつて來た、神島から高島、白石、次で高見島につらなる島々が弓形をなして居り、宛も虹の如く横はるからであるとのことである
なほ『春霞海へ横たふ島の虹』の一吟もよせてあつた、既に登山道だけは切り開いたが、さらに阿屋、休憩所など頂上の設備を行ふことに決し大島村保勝會では大いにその計畫を進めてゐる
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寫眞は幻虹台からの海景展望