黒澤山

昭和池の概要

山陽新報 昭和十年十一月二十五日(月曜日)

工事大に進む

縣營昭和池

◇…明年三月末豫定通り竣工

具に工事状況を見る

本社主催の縣下景勝地投票で二十秀の一つに入選した靈峰美作一宮黒澤山の中腹津山市郊外の新觀光地として最近すばらしくその存在を認識されつゝある四十万円餘の巨費を投ずる縣營昭和池工事の概況を廿三日新嘗祭のよき日組合長縣會議員生末近夫、副組合長岡田杢平、杉浦智雄、福田駒次郎、竹本義道諸氏の案内で具に視察する機會を得た

同池は津山市舊西苫田地内一五八町九三〇七苫田郡東苫田村三三八町四二〇一、同東一宮村一八九町四六二五、同一宮村五四町三九二九合計一市三ヶ村六四一町二二〇二を灌漑區域となし一宮村東田邊嚴谷の渓谷に昭和七年三月一日から總工費四十萬三千圓で縣營工事として起工、今日迄四ヶ年營々辛苦豫定通り進められ、現在で約九分方竣工明年三月末に池工事のみは全部出來上がることになつてをり、竣工後の池は貯水量六十萬立方米(十萬立坪)滿水面積■町歩、堤堰高三十五米二十三糎、最大水深二十五米、同場沓巾七米、同底巾十六米幹線水路三千七百六十四米と云ふ偉大なもので前記灌漑面積に給水してなほ餘りあり從來旱害に惱まされぬ年はない同地方も今後絶対にその不安を除去されて豊穣の樂天地にならうとしてゐる

經費四十万餘円は國庫補助五割、縣補助二割、地元負擔三割で不況の農村救濟を眼目として部分的に地元組合員が請負ひ最高一日七十錢、最低三十錢位で老も若きも男女を問はず總出動をなし多い日には百名からが土運びのトロツコを押す、岩を掘る、エヤサと音頭歌おもしろく根締の千本づきダンスに一寸、二寸と廣い池堤を築き上げて行く、そしてこの勞苦はいよいよ明春■いられるのであるが、今日こゝに至る迄には組合の創立委員長として一身を犠牲にあらゆる苦難を乘越えたる津山市上河原故和田義起翁を始め中島■之、和田幾之助、生末近夫諸氏歴代組合長、諸幹部の苦心は眞に血の出るものがあつた、殊に和田翁は病躯をおして東奔西走猛烈なる一部の反對運動に斷固挑戰多數組合員を説服この大事業を諸につかしめ將に工に入らんとする際病■り遂に斃れたる全く今樣佐倉宗五郎の慨あり早くも建碑計畫が起つてゐることは特筆すべきところである

將來計畫としては承水溝と配水幹線、同支線工事があり、これは昭和十三年三月末迄に完成すべく既に一部工事に着手してゐるが幹線は東一宮村山形から高田村■野迄三千七百六十四米(隧道三ヶ所三百九十八米八、サイホン二ヶ所百丗九米八、暗渠三ヶ所六十三米三)支線約八千米に及んでゐるなほ工事に於て尤も苦心を要してゐる點は組合員の經費負擔經減で出來るだけ合理的節約を圖り最初の豫定一反歩當廿圓を下るやうに努め既に數萬圓の節約を圖つてこの調子なら十五、六圓前後ですむのではないかといふ好成績振りしかも他の各種大工事にはいまわしい不正事件を生じてゐるのにこゝばかりは極めて平穩輝しい竣工も目睫にあるとはよろこばしい限りである

(寫眞は昭和池全景)

自動車道開設

山陽新報 昭和十一年ニ月三日(月曜日)

黒澤山頂に

自動車道開設

村民總動員で奉仕

一宮村ではさきに本社が行うた縣下十勝十五景新選投票に際し地元の黒澤山が廿秀地に當選したので、同勝地紹介のため近く本社員が訪問することゝなつてゐるのと一方四、五の兩日は同山山頂万福寺鎭座の福威智滿虚空蔵菩薩の大會式が執行され、遠く京阪神をはじめ岡山、鳥取作州から數万の賽客が殺倒するので、これら賽客の便を圖るため昭和池の終點から万福寺まで自動車道を全通せしめる計畫を樹て、去る廿七日から老若男女と村民總出動のうちに朝早くから夕刻まで石の如く固く凍りついた山をまた畑を鶴嘴やスコツプで切拓いて幅員二間延長六百米の第一工區の工事に全力を注いでゐるが、三箇年後には自動車が容易に頂上をきはめるやうな理想的なドライヴ道を完成せしめる豫定である

目下工事中の第一工區は昭和池の終點井原より黒姫山に至る六百米で、全村民が擧村一致昨今の酷寒に勞力奉仕をなすのみでなく同道路の商地に當つた土地所有者は全部無償提供といふ實に美はしい情景である、なほ第一工區の工事は同村民の心からなる奉仕のために一兩日中に完成することになつてゐる(寫眞は自動車道路工事に勞力奉仕の村民達)