山陽新報 昭和十年十一月十八日(月曜日)
兩名勝地入選
祝賀方法協議
十六日發表の本社十勝十五景新選投票に十勝第六位の好成績で目出度く入選した『井原の櫻』投票本部井原商工會では拂つた努力の大きいだけ歡喜も亦一入で朝來幹部は擧町的聲援を與へた町民一般に對する入選禮状やら何かと目まぐるしく準備に忙殺されてゐた、なほ十七日午後七時から商工會幹事會を功徳會館に開き井原の櫻顯彰方法、祝賀方法其他について協議するとことがあつた、また十五景に入選した道祖溪投票本部西江原町役場内の保勝會では戰ひ盡して金的十勝入選は出來なかつたが十五景第一位入選をせめてもの功績としてこれまた歡喜に浸つてゐる
山陽新報 昭和十年十一月二十五日(月曜日)
十勝入選
映畫大會
井原の櫻顯
彰會で開催
本社十勝入選の井原の櫻顯彰母體である井原商工會ではこの機に於て入選披露の祝賀式を擧ぐるとゝもに投票に不斷の努力を傾注した多數町民の勞を犒ふため公開活動寫眞大會を催すことになり目下幹部に於て着々準備を進めて居るが近く最決定の上發表實施される、なほ長堤の櫻を一望に収める對岸の觀光道路、ベンチ等の諸施設の完備が觀客吸引上痛感されてゐるので漸次實現を見るであらう
山陽新報 昭和十一年二月二十日(木曜日)
井原の櫻
對岸山腹に
觀光道路
町當局開設を計畫
廣鐵局で觀光ルートの編入
宣傳不足から對外的に眞價を認められないでゐた『井原の櫻』も本社の縣下景勝地推薦投票に十勝七位の榮冠を獲得してから一躍世人の認識を高め觀光界に確固たる地歩を築くに至り『見て吃驚』の井原櫻が漸く埋木時代を脱して春の寵兒として颯爽と登場する時が到來した、事實この程廣島鐵道局から係書記が出張して井原櫻の實地調査を行うたがこれは本春から同局管内の名勝案内に新しくデヴユウする準備行爲である、觀櫻列車のダイヤにも井笠鐵道經由時間が考慮される譯で、この朗らかなニユースを前に地元井原町でも長堤對岸の山腹に觀光道路を建設し一望にして全井原の風光を俯瞰し得る循環ルートの急設が問題となつてゐるが、本年は取りあへず應急施設を講じて觀客待遇に万遺漏なきを期する手筈が進められてゐる
山陽新報 昭和十一年三月二十五日(水曜日)
井原の櫻
座談會
井原の櫻顯揚の目的を以て二十五日午後一時から井原實業學校講堂で山陽、中國、大毎、大朝、各後月通信部共同主催、井原商工會後援の下に井原の櫻座談會を開く
山陽新報 昭和十一年三月三十一日(火曜日)
愛樹觀念は
愛郷心の發露
昨今花も蕾み初む
(上) 井原の櫻を語る會
三月二十五日午後二時より岡山縣後月郡井原實業學校講堂にて、本社後月通信部主催井原商工會後援にて『井原の櫻を語る會』を開いた
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出席者 井原署長代理小西警部補、井原煙草販賣所長山根■三氏、笠岡驛長代理仁科一郎氏、井笠鐵道運輸課長藤井氏、井原驛長■見多喜男氏、井原小學校長皿井勝美、井原青年團長■學博士小田敬進氏、井原二■組合長代理徳永貞一氏、郷社々司大塚雄水氏、井原商工會頭大西儀助氏、同副會頭熊谷光藏氏、同佐藤信吾氏
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△主催者 櫻の蕾もふくらみつつある今日、茲に井原櫻の座談會を開催せし所、御繁多の砌各位の御出席を辱うしたことを感謝いたします、顧るに井原の櫻が世に喧傳さるゝに至つたことは數年のことで殊に昨秋我社縣下新景勝地投票に十勝六位の榮冠を獲得して以來一躍名聲を高め近くは廣鐵局管内名勝案内登場を■約されたり大塚■水氏を班長とする一行の廣島放送局からの郷土紹介放送などにより本春はめつきり觀櫻客の激増を見ることゝ考へられます、就てはお互地元關係者に於て井原櫻顯揚のために隔意なき御意見を承りますことは、大いに參考になることゝ存じます、會の進行上井原櫻に因縁深き大塚雄水氏を座長に御願致し度う存じます
△大塚氏 御言葉に甘へ暫くこの席を汚します、只今主催者の挨拶の如く井原の櫻も近年目覺しい躍進を遂げて參りましたが、この名聲に伴ふ内容の充實と云ふ事が外客誘致上必要のことで交通、諸施設の改善はもとより、外客の取扱(サービス關係)、風紀、衛生等凡ゆる方面に就てお氣附きの點を赤裸々に吐露して戴き度い、さうして出來得る限りの改善を加へることが井原櫻の眞價を發揚することにもなりますから、これから私が順次指名することに致します
△小西氏 井原の櫻を見て歸るのみでは井原にとつてつまらないことで、多數の人々が出入することに依つて町の繁榮を計るのが目的と思ふ、櫻に關係は薄いが着任後日の淺い私の目に、どうも井原商人はサービスが惡い、客に親切が足らない、氣持よく商賣することは繁榮の元で、どの店も買ひ良い店に改めて貰ひ度いと思ふ
△小田氏 私の中學時代と今日の櫻はまるで隔世の感がある立派なもので職業柄各地をよく旅行したが何處の櫻にも見劣りはない始終友人にも吹聽してゐる譯です、何分遊覽地と云へばサービス第一で酒の加減でまゝ喧嘩も起るがよし外客に非があつても亂暴な復讐は禁物で寛大に扱つて遣り度い、青年團に關係しだして團員等の意見にも窺はれるが■■に急救所の設置、公衆電話の架設、井原驛構内に案内所などが欲しい、又一面堤防の修繕、露出した樹根の保護に注意して戴き度い
△徳永氏 櫻のボンボリは青年團各支部毎に世話が出來る關係上形態まちまちで感心しないこれを統一して欲しい、又この仕事で利益を出し支部の財源の一部に保留出來てゐると聞くが宜敷犠牲的に奉仕して安く多くをモツトーにやつて貰ひ度い
△熊谷氏 近年青年團に開花時の整備、觀客整理等をお願してあるが諸施設は是迄商工會の手で致してゐます關係上豫じめ各關係團體が一堂に會し緊密なる連絡の下に各種の施設に萬全を期し度いと考へてゐます、本年は手遅れで明年からでも實行したいと思ひます
△皿井氏 私としてはさしたる考へもないが教育に關係してゐるのでその點から申しますと櫻を教育に利用する、生徒を櫻に親しますことは日本精神を高調される折柄教育的に價値のあることで教材に取入れ、日本精神顯揚に資してゐる、讀方巻一の巻頭に『咲いた咲いた櫻が咲いた』を皮切りに甚だ交渉が深い、その櫻が井原の名所で葉櫻の下で生徒が育くまれて行くことは幸福で學校としては愛樹觀念を培ふと共に愛郷心――忠君愛國――教育完成の段階に於て意義深いことゝ思つてゐる
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寫眞=井原の櫻堤
山陽新報 昭和十一年四月一日(水曜日)
井原郷社
春の行事
井原町郷社足次山神社では神苑の櫻に魁けて三日門司市片岡勝廼さんの獨力寄附になる石鳥居落成式、四日は吉例の春季大祭を執行するが當日は午前十時から祭典を行ひ縣より幣帛求進使の參向はもとより郡内各町村長、學校長ら參列、餘興として地方名物の大角力がある、なほ十日から廿日迄を櫻祭期間とし文墨祭、福神祭、先哲祭のほか浪花節、FK放送の夕、諸演藝大會福引等の餘興あり終日雜沓を呈するであらう
山陽新報 昭和十一年四月五日(日曜日)
石鳥居落成式
井原郷社賑ふ
櫻で知られた井原町郷社足次山神社では三日午前十一時から境内で署長、町長、小學校長ら臨席の下に大塚社司齋主となり石鳥居落成式典を盛大に擧行、餘興として午後三時から餅撒きを行ひ雜沓を呈した、この石鳥居は門司市在住の片岡勝廼氏私財一千円寄附になるものでこの程竣工、一偉觀を添へてゐる(寫眞は同社石鳥居)
山陽新報 昭和十一年四月十日(金曜日)
井原の櫻
十勝碑
十四日入選報
告建碑落成式
かねて郷社神苑内に井原商工會の手で施工中の本社選奬の『井原の櫻』十勝記念碑は開花に魁けてこの程竣工を告げたので十四日同社で入選報告祭並に建碑落成式を盛大に擧行する
山陽新報 昭和十一年四月十一日(土曜日)
春雨に誘はれて
“さくら”微笑む
滿開は十九日ごろ?
縣下各地の花信しきり
さくら、さくら、春のホープ櫻はまだ咲かないか……今年は彼岸を過ぎてから寒波の不意打ちがあつたりして、そのため櫻花の微笑むのは例年より遅れてゐたが暖かい春雨に誘はれて急にスピードがかけられたのであらう薄紅の蕾が嬉しくも割れはじめて『おーい、さくらが咲いたぞ!さくらが……』と人々はいよいよたけなはな春を想ひ起してゐる、さて滿開はいつごろか、岡山縣下のさくら名所にきいてみよう
井原
本社選奬岡山縣下十勝地井原の櫻は寒氣のため甚しく開花が遅れたが、数日来の春雨に誘はれてぼつぼつ紅唇を綻ばせ、十二日の日曜あたりには三分咲き程度となる模樣である、同町保勝會では蜿蜒二十町に及ぶ櫻堤に沿うて大幕張の露天や休憩所を多數に設け、櫻の客に對するサービス陣に万遺憾なきを期してゐる
山陽新報 昭和十一年四月十六日(木曜日)
十勝“井原の櫻”
輝く記念額
“櫻のお宮”で除幕式
投票時代を回顧して感激新
岡山縣後月郡井原商工會主催の本社選奬岡山縣十勝地『井原の櫻』記念額掲揚建碑除幕式並に十勝入選報告祭は櫻の花がチラホラ咲き初めた十四日午前十時から櫻の宮で有名は郷社足次山神社神社神苑の碑前で擧行、大塚社司齋主となつて修祓行事後、大西會頭の手で除幕を行ひ祭事終了と共に神前大前に引揚げ引續き報告祭典に移つた、先づ大西商工會頭の經過報告ありて井原の櫻の沿革から涙ぐましい數々の思ひ出に綴られた昨秋の新景勝地決定の投票時代を回顧して新たなる感激の裡に豪華なる今日の景觀を讚へ、齋主祝詞奏上後打鳴らす太鼓の響き神域に谺するうちを參列者の玉串を奉典、終つて、井原署長代理、有岡町長、皿井小學校長、茂原技藝學校長ら交々立つて祝辭を述べ『井原の櫻』の前途を大いに祝福した、この日井原小學校兒童一同も其の盛典に參列して櫻小旗を手に手に打振りながら退散した
“井原の櫻”建碑除幕式