バイブル・メディテーション
「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思うので、聖書を調べています。その聖書が、私について証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」 ヨハネ5:39-40
正しいものを摂取していますか?命の木と善と悪を知る木がエデンの園に置かれたように、神のことば(レーマとロゴス)を読む中にも、命と死が見いだされます。神のことばを学ぶのに、単に私たちの思考能力に頼るなら、善と悪を知る木から実を摂ることになります。知識それ自体は、良いものとしても、決して命を与えるものではありません。むしろ、知識というチャンネルを通り、まず、死が入り込みました。(創2:17)一方、主を待ち望み、聖霊が神のみことばを私たちに照らされることを望むなら、私たちは命の木を味わいます。どのように、命の木から食べるのでしょう?命の木から食べるための原則は、簡単に、依存する事です。どんなものでもこの原則の外にあるものは知識の木に属します。(ヨハネ15:5)
強調されている事は、適用は聖書研究のゴールであるということです。このゴールに到達するにはどうするのでしょう?メディテーションを通してです。日々、神のことばを告白し、熟考する事が良い考えを開墾します。時間と共に、これらの考えは思考の中で絵やヴィジョンとなります。これらの考えが思いを満たすとき、それらを成就したいと強い願いが心から湧き上がります。
旧約聖書で、ヘブル語の2つのことばが「meditate」と訳されています。「Siyach」と「Hagah」です。「Siyach」の意味は、ことばとしてまたはことば無く、熟考し、思いの中に入り込んだじっくり深い考え。「Hagah」の意味は、一つのゴールに向かって思いを浄化し正しくする。
したがって、黙想をもってまたは自身で大きく声に出して、どちらであってもメディテーションとは、みことばをじっくり考える時として捧げる行為なのです。それはひとつの習慣で、ある特定のみことばにたいし、それが自分の魂に鮮明、明察に入り込むまで告白、熟考する思いの表れです。思いが乱れていたり分裂していたり、思い煩う心があれば、決して実りあるものとはならないでしょう。受入れる心に、聖霊はみことばを啓示されたレーマとして照らします。霊的思いを耕し育むこと、それには熱心さが求められます。メディテーションに近道はありません。真の信仰は地道な行程を要します。真の熟考者は分かたれた生活をします。メディテーションで成功するには聖さが不可欠です。思いが聖ければ、その人も聖いのです。
メディテーションとはどのくらい聖書を読むかではなく、
どれくらい自分に届いたのかが大切です。
文献:The Musing Mind, by Jedidiah Tham, Living Lilies
バイブル・メディテーションの重要性と指針
1.人生におけるみことばの重要性:
みことばの力は:
― 新しい人生をもたらすため。
― 権限と創造のため。
― 成就をもたらすため。
2.人生におけるみことばの働き:
― 弟子を生む。
― 私達を正し戒める。
― 訓練し戒める。
― カウンセラー。
3.みことばに対する正しい態度:
― みことばを愛し、それを通して神に語られたいと願う。
― みことばに完全に服従する。
― みことばに完全にゆだねる。
― みことばを実行する。
4.メディテーションの対象となるもの:
― 神ご自身
― 神の方法
― 神の御業
― 神の御心
文献:The Musing Mind, by Jedidiah Tham, Living Lilies