小生の中国観(田中慎造) 2013(H25).12.23

イ. 如水会大阪支部晩餐会(H26年3月)において、speaker坂本幸雄氏が「異形の国 現代中国をどう捉えるか。~一市民の管見のつぶやき」の論題の許に定例により講演し、大盛況のうちに終了した。

ロ. これに先立ち、坂本氏は大部の講演内容の原稿を友人数人に送り、コメントを求めた。コメントを求められた小生として、種々考え、苦労して書き上げた中国論であるが、未熟な内容で忸怩たるものの、あえて坂本氏に送付した小文である。

坂本幸雄様 H25年12月23日

田中慎造

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前略、貴兄の大部の労作「異形の国~」の中国論につき、僭越ながら小生の愚見(中国に甘いと思われましょうが、小生の中国観)をもって返事とさせていただきます。

1 現代史を理解することの難しさ

ここ一二年覇権的な姿勢を強めている中国をどう理解し、いかに対処すべきか、マスコミ紙上賑わっております。

小生にとり、数十年前、ベトナム戦争に米国は何故あのようにのめりこんだか、中国にとって文化大革命とはなんであったか、当時もう一つ理解できず、1~2世代経過し、事象の背景と歴史に通じるようになり、やっと全体像が浮かび上がってき、納得がいくようになりました。現代史の大きな流れを、その時点で理解することが、いかに難しいかと知らされました。

2 予言より説得を

マスコミ、ジャーナリズムは、テロやら民族紛争など今何が発生しているかを知らせるが、その発生理由、原因、歴史的、風土的背景については十分知らせてくれません。また、ジャーナリズムないし外交評論家は、えてして予言を好み、人間の知的営みである説得(ケインズのいぶし銀の如き説得論集、全集第9巻、東洋経済新報社)をまま忘れがちであります。

3 共同社会の成立の根底

共同社会(文化、言語、宗教、人種、国家など)は、風土と歴史の混合より生まれ、変化し、常に流動するものであります。人々の移動、文化技術の伝播発展は、軍事力を含め、その風土の自然条件と強く結ばれています。日中関係は、同時に日米関係、そして米中関係につながリます。

朝鮮が大国中国に隣接し、古代より現代まで、その影響下に逃れられぬことはよい例といえます。

4 日本にとっての歴史問題

日本は、古くより三大文明社会の一つ漢字文化圏に属するとはいえ、東アジアの端にあって海に守られ、その文化の中心たる中国に細々と並行して来たところ、明治維新により中国に先じて西洋化(軍事力中心に)に成功し、これが日中戦争から第二次大戦での方向の失敗により敗戦となり、米国占領下、幾多の改革(政治、経済、教育、法制など)が超法的に行われました。

これは明治時代の改革とは逆に、秤のバランスが行き過ぎ、多くの問題を生じて現在に至っており、その象徴的な問題は、憲法前文と第9条にあると小生考えます。

5 中国の多面性

長期的スパンで東アジアの中国を観れば、数千年に亘りそのスケールや文化水準でともに肩を並べられる国や文明は近隣になく、自然に中国こそが世界の中心であり、その他の社会は、中国文化圏の隔たりの程度により評価されるという特異な考え方(いわゆる中華思想)が、その根底にあります。

これを思想面でみれば、西洋型の個人主義、自由と平等、多様性の尊重等に対し、中国のは儒教の影響下、家族主義や集団主義、規律と秩序、調和を尊重する社会といえます。両者の優劣の判定は長いスパンが必要であり、簡単ではありません。

また、現に中国の風土を観ても、優にヨーロッパ全体に並ぶ国土と人口を持ち、海洋以外の陸地つづきの国境は14国に上がり、95%は漢族とはいえ、少数民族は55種にあがります。

これらを一つに纏め上げてゆく政治のスケールの大きさと理念は、ことの良否は別として、日本と同一視することは出来ません。

加えて、実際18世紀までは、中国の経済的世界シェア(GDP)は世界第一位、約30%(1820年)に上がり、これは西欧、東欧、米国のGDPの合計を上回っていました。

本項と次項は、「キッシンジャー回想録、中国」 上、下、岩波書店等より

その要点参考。

6 西欧の中国進出と自立

中国を中心とする東アジアやイスラムの西アジアは、中世、近世の時代、東西ヨーロッパよりむしろ先進地域であった時代もあったものが、19世紀の産業革命後の軍事力でヨーロッパが突出して域外へ進出し、中国は1840~42年のアヘン戦争以後ズタズタにされ、太平天国などの内乱もあり、半植民地化された。

しかし、巧みな外交と関係諸国の利害対立に助けられ、国としての一体化を保持、清朝から辛亥革命(1911)を経て中華民国、国民党政府、第二次大戦(日中戦争が主)につづく国共内戦に突入、これに勝利した中国共産党が1949年、現在の中華人民共和国(中国共産党単独政権による)を成立せしめた。実に、アヘン戦争より約110年を経て形の上では独立を回復(台湾、香港などの領土問題、経済、法制、インフラ再建などの諸問題 をのこして)したことになる。

7 中国の領土

中国の領土拡大欲は、宋代(960~1279年)世界航海技術をリードする存在であったが海岸線で止まり、海外に植民地を持たなかった。

次の元(1279~1367年)では、二度の日本遠征に失敗した。明(1368~1661年)にはいり、永楽帝は当初越南(ベトナム)に侵攻したもののその併合に失敗した。

永楽帝は、第二の策として、鄭和の大船団をして7回(1405~33年)インド洋沿岸からとおくはアフリカ東海岸まで、示威運動をして廻らせ、一方で貿易を、一方で朝貢を勧誘し,従わぬ者には武力を行使した。確か、米国のペリー艦隊が日本に対して同じことをやり、日本が朝鮮に同様なことをやったのは、そう古い昔ではない。

内陸面では、次の清代(1662~1911年)康熙帝は、シベリヤ経由黒龍江を南下してきたロシヤ軍と戦って勝利し、ネルチンスク条約(1689年)により、黒龍江流域の殆どすべてを清国領と定めえた。現在、中国の国土は、ほぼ清朝時代の領土を引き継いでいる。

本項は、宮崎市定全集第一巻「中国史」より要点参考。

8 中国のみ覇権国か

この近世、米国を含む大国で、これまで覇権的行動をとらなかった国は無いといえる。国力が向上し、貿易その他有形、無形の形で国外へ自国の利益を押し付けてゆく。中国ばかりが例外ではない。

特に、米国は自分達の価値観、制度が普遍的に通用すると考え、その理想を広める義務として行動してきた。米国は、民主主義と人権を他に押し付ける宣教師的、法律家的ISMで動き、同時に自己の利益と安全保障にかかわれば、そのISMを平気で脇に置き、知らん振りをすることが多い。

一方、中国は、古くより帝政時代まで、使命感ではなく中華文明の浸透により拡張してきたといえる。

小生思うに、日本占領時の理想と現実を一緒くたにした憲法の改正を含め、戦後日本の諸制度軌道修正に、いかばかりの時間と労力が必要となるかを憂う。

本8項~10項、J F Kennan「アメリカ外交50年」岩波現代文庫等参考。

9 ケナンの憂慮

ケナンは、民主主義の運用に多く疑問を抱いており、相当悲観的であった。「民衆による統治制度を有していると考えている大半の国で、世論と称するものは、しばしば実際には多数の人々の総意などではなく、声の大きい特殊な少数派の利益の表現ではないか、と私は思う」と。

事(fact)と言(language)のズレにつき、マスコミの責任は重く、その偏向をしっかり見分ける力と良識が我々に求められる。権利、自由、平等などの観念を伝える言葉は、その根底に文化、文明、風土、歴史、宗教などの差異が埋め込まれており、国、民族などによりその意味が異なってくる。

米国が事毎に唱える自由、平等にしても、米国憲法自身、修正第1条(言論、信仰の自由など、1791年)から、修正第19条(婦人参政権の保証、1920年)まで約130年かかっており、簡単ではない。

10 米国の責任

続けてケナン曰く。「中国は確かに国連安全保障理事会の一員であるが、人口13億の中国から100万以下の小国まで、国連内で同じ権利、特権、義務を持つとされた不合理。

こうした主権独立国の地位を放漫にばら撒いたことにより、国連諸機関の機能不全となった愚行(米国が目立ってこれに手を貸しており、大きな責任あり)。本来、国連で処理されるべき重要問題が、二国間の責任ある政府でしか実現できなくなっているのが現実であろう。米国の民主主義の概念を国にも適用し、大国は悪、小国は徳との米国人好みのVisionが如何に妥当でないことか」。

また、環境問題にしても、「米政府は悪化阻止に真剣な努力をした証拠はない。最大の工業国にして、最大の汚染国として行動すべきであるのに、例えば、公海汚染の問題にしても、国際協定の対象になるべきタンカー巨大化を放任し、便宜置船籍船の不合理に目をつぶり、原子力船の規制も一切しない。なんら環境保全に米国はLeadershipをとろうとしていない」と。

11 文革研究が中国理解のKEY

中華人民共和国の建国以来、約60年。これは大別して二つに区分できると見たい。前半約30年は、結果として毛沢東の専制時代。後半は、毛晩年に発動され、その死去により終焉できた文化大革命(1966~1976年)後から現在までの時代。この文革が国民、国家に与えた悲惨な打撃を如何に修復するか、国家再生の時期とも言える。

前半、国共内戦を勝抜いた毛の指導力は高く評価されるべきだが、党独裁とはいえ、党指導集団の合議制が、毛の巧みな政治力により形骸化され、、百花斉放、百家争鳴運動に続く反右派闘争、大躍進運動などの路線運動を通じて、毛専制体制へと移行した。

大躍進運動の失敗後、毛は、自身の権力低下を危惧し、生産力回復と民力向上を地道に目指す劉少奇、鄧小平等実務派との権力闘争を文化大革命の形で発動させた。

この10年にわたる文革は、国内に内乱に等しい災害をもたらし、国の人、物、自然に多大の損失をもたらした。毛の罪は重い。

後半、現在までの約30年、党政権の何よりの課題は、文革の深刻な打撃を如何に回復し、崩壊寸前までいった国家の再建をどのようにしてなすかに尽きている。

鄧小平の下で、1981年四人組の断罪、「歴史決議」により一応形の上では、文革の評価は定まったこととなっている。しかし、建国時の超法的改革(官僚資本企業の没収、農村の土地改革、戸籍制度の固定等)は長短両面あり、鄧小平の国家再建の方途としてとった市場開放経済制度への移行とその成功は、同時に改革の歪を伴い後世の課題とした。

鄧小平に続く各代の党指導集団でも、内部では保守派、改革派等種々の点で対立せめぎあっており、内政面、外交面、軍事面などで整合性のない行動、報道が噴出する。最近では、軍事力増強と覇権的行動(尖閣諸島問題など)が目立つ。

とはいえ、事柄を氷山に例えるならば、氷山の見える部分(大半のマスコミの報道)の分析だけでは十分理解できないことが多い。毛沢東の再評価は、いまだ封印されており、第二次天安門事件(1989年)を含め、これまでの内政外交面の中国の特異な行動は、小生には、大半文革の後遺症への対応から来る反応と推測される。中国指導者層にとり、文革がいかに国家分裂と内乱の悲劇のトラウマになっていることか。文革の精算はいまだ終っていない。文革の精算は、まだ長期に亘り中国にとリ最重要課題であり続けるものと考えられる。

本項で参考にしたものは以下のとおり。後二書は個人の伝記であり、心うつ。

「文化大革命10年史」上中下、岩波現代文庫、厳 高共著 辻康吾他訳

「文化大革命と現代中国」 岩波新書 辻康吾

「毛沢東の私生活」上下 リ チスイ 文芸春秋

「上海の長い夜」上下 チエン ニエン 原書房

12 今後の対中外交に望むこと

小生の日本の対中外交に望む方向は、東アジアでのBalance of powerとその変化を十分検証の上、国際法上の基本線(大義と言うべきか)を守り、内外のマスコミ報道に左右されず(文革時の日本のマスコミの採り上げ方は如何に偏向、左派の文革礼賛であったことか)、アジアでの共存をベースに、冷静に対応して行ってほしいのひとことにつきる。

外交政策は、内政に発し国益に資すること第一とはいえ、単に利益追求のみでなく、根底に他国より見ても道義というべき確たるものがもとめられる。

日本の対中関係は、同時に対米関係であり、米中関係に結びついている。これまでの対米関係に固執することなく、米中関係を熟視し、解析し、軌道修正が求められる。

早々。

追記 第2部文芸春秋H25年3月号記事について。

1 文芸評論家の川本三郎氏は「大人の日本男子の読むべき作家としては、一平二太郎だ(藤沢周平、司馬遼太郎、池波正太郎の三氏)」と言っております。

小生としては、これまで仕事の苦しさを癒す藤沢氏の作品の大半を読んでおりますが、司馬氏の作品は、「峠」(河合継之助)ぐらいで、何か性が合わないのか、以後司馬氏の他の作品には接しておりません。言うべき何かを申し上げる立場にありません。

2 文春の上記記事(司馬氏の生誕90周年記念特集)では、中心は「貝塚氏との対談」及び「日本、中国、韓国 歴史の風景」の二本です。この二本とも、執筆時は1971年であり、正に文革真っ最中でありました。小生にとり、司馬氏の中国観、文革に対する見方には少なからず違和感とズレを感じ、また、対談にしても両者嚙み合っていないように思われました。

司馬氏は確かに博覧強記、事柄を歴史の真実のように読者を錯覚させてしまうその作家としての力量は、並々ならぬものがありますが、小生は氏を優れた歴史評論家とみ、歴史家とは考えておりません。

3 文春が司馬氏の特集として、何故この二本を選択して出したのか。たまたま中国問題に関心が集まっている時だからと、中身を十分吟味せず出したものか(司馬氏の優れた作品は他に多々あるであろうに)、理解に苦しむところです。

以上

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