日本近現代史について

藤田光郎 M 2017.11.26 13:39

ご無沙汰しています。 mitch_fujita@yahoo.co.jp

森正之君

いつも貴重なメイルをありがとう。おかげで普段の不勉強な脳みそに良質な刺激がもらえています。とくに坂本氏の読書力には感服の至りで、戸松氏とのやりとりがまたすばらしい。吉永ゼミの例会でのゼミテン諸兄の薀蓄と並んで、二大知的栄養素となっています。

話題に出てくる、磯田道史氏は、木曜日20:00、BSスペシャル「英雄たちの選択」で、各地の古文書を読み解いた所見が興味深い(余談だが、磯田氏が先般亡くなったM組・内崎君にソックリ、出演する脳科学者・中野信子教授の美貌にゾッコン)。

余談ついでに、サントリーに関し、戦時中、大阪で機械メイカーに勤務していた父(昭7学)が山崎へ仕事で行ったとき、鳥井さんに、「サントリー」は鳥井さんを逆さにしただけじゃないかとからかったら、「そらちゃいまんねん、鳥居に陽が昇って云々」と講釈され、当時なかなか手に入らなかった角瓶をお土産に頂いて、呑み助が大いに感激したというエピソードを思い出しました。また、以前、キャスリーン・バトルが純白のドレスを纏って、"Ombra mai fu...” と歌ったCMが一世を風靡しましたが(CMにクラシック音楽が使われた嚆矢との説も)、あれがサントリーの広告だと言った人が複数いたことからも、サ社がいかに広告宣伝が上手いかの証左と思っています。もう一つ言うと、酒飲みではない小生でも、ビールはモルツがベスト・チョイスです。

それはさておき、定年後は好きな音楽に現を抜かしている中、読書が好きでもない小生が、なにげに感じていた疑問に関する本が出回ってきたので、柄にもなく読んでみた感想を綴ってみました。

日本近現代史について

藤田光郎

不勉強・ノンポリで読書好きでもない小生が、この歳頃になって、あの太平洋戦争で近隣諸国や我々国民に大きな損害を与えたのは誰のせいだったかずっと気になっていた。高校の日本史でも尻切れになった近代以後の物語、断片的に目や耳にしてきた知識だ。

元来、歴史は勝者によって書かれたものであるとされているが、近年、日本の近現代史は明治維新の勝者である薩長史観によって書かれたものであるから、客観的資料に基づいて書き換えるべきとの論調が随所に見られるようになってきた。そこで、次の数冊の本を読んでみた。

・原田伊織「官賊と幕臣たち~列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート」 2016/2 毎日ワンズ

・安部正人/渡辺誠「鉄舟随感録 『剣禅一如』の精髄を極める」 2012/11 PHP新書

・武田鏡村「薩長史観の正体」 2017/9 東洋経済新報社

・半藤一利「昭和史 1926-1945」 2009/6 平凡社ライブラリー

・筒井清忠「昭和史講義」 2015/7 ちくま新書

・加藤陽子「戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで」 2002/3 講談社現代新書

・同「それでも日本人は『戦争』を選んだ」 2009/7 朝日出版社

・加瀬英明+ヘンリー・S・ストークス「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」 2012/8

祥伝社新書

・堀田江理「1941決意なき開戦」 人文書院

・孫崎亨「日米開戦の正体」 H27/5 祥伝社

その結果、薩長を中心とする勢力が、明治維新というクーデタで政権を担当し、満州~朝鮮半島~東南アジアにかけて侵略戦争を行い、ひいては太平洋戦争に突入した、というごく大まかな粗筋が見えてきた。

これらの読書を通じて、恥ずかしながら今まで知らなかった驚くべきことがいくつもあった:

戦国時代の戦いとは、武士が俄か作りの平民(ならず者の類も含まれていた)を率いて相手方に攻め込み、家や田畑の破壊・強盗・強姦・等々悪事の限りをつくすのが実態であった。

ザビエルらの来航目的は、表向きキリスト教の伝道であったが、裏では住民をさらって東南アジアで売りとばしていた。

吉田松陰は、テロ行為を扇動し、のちの日本を侵略戦争に駆り立てた張本人であった。

西郷隆盛は、無定見な武闘派の策謀家だが、勝海舟から、幕府に代わる連合政権をつくる構想を聞かされて初めて目ざめた。

禁門の変、鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争、その他一連の討幕関連の事変の記述ないし解釈は、すべて薩長が正当化されているが、嘘や曲解に満ちている。

吉田茂は、軍部寄りの田中義一首相に猟官運動して外務次官につき、満州への積極介入を唱えたが、戦後は口を拭って首相になった。

体制を批判するのが大きな役割のはずのジャーナリズムが、逆に戦意を煽ったのは、一つには軍部の言論弾圧によることは当然のこととしても、半面、戦果が上がったように書かないと売上が落ちることを嫌がっての浅ましい商業主義がバックにあった。

東條英機は、当初は勝ち目がないと思っていたが、下からの妄信的な突き上げを抑えきれず、開戦を推進するに至った。

昭和天皇は、戦争を何とか阻止しようとしたが、拒否すれば暗殺ないしは幽閉の動きがあるのを察知して、やむなく捺印した。

一部には、戦争に至った原因の一つに、国民の知識が乏しく、民意が戦争に賛成だったからという論調があるが、それは、各国が日本をどう見ているか、彼我の国力即ち戦力の差がどうか、といった世界情勢が知らされていなかった、というより、そういうことを公にすることが抑圧されて、正しい情報が伝わっていなかったためであろう。

従って、これらの歴史から学ぶことは、言論の自由を何としても確保しておくことが最重要だということである。幸い現代は昔とは比較にならないほど多様なメディアの発達により、知識やニュースが得られるから、前車の轍を踏む可能性は低いが、共産主義国家のようにならないよう、厳に注意すべきである。

因みに、来年の大河ドラマは西郷どんがヒーローの由で、当然ヒロイックに扱われると予想されるので、眉に唾をつけながら見たいものだ。

以上

M組・藤田光郎

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