P大島昌二:ザルツカンマーグートからドロミテへ(続) 2018.10.1

ドロミテの山群の中でおそらくもっとも著名なのはトレ・チーメ(三つの峰、最高点は2,999m)だろう。その岩壁は岩登りで名高いだけでなく、三つの岩峰を一周するトレッキング(所要時間4~5時間)も人気が高い。またその道筋の数多い高山植物が目を楽しませてくれる。われわれのスケジュールにはこの一部のトレッキングが入っていた(8月1日)。アウロンツォ小屋(2,320m)からラヴァレード小屋を経由してトレ・チーメの足許まで登る標高差140mの往復2時間半のコースである。

ラヴァレード小屋までは道幅も広く標高差も24mほどに過ぎない。一部の人はここで待機したが、そこまでの道筋は左手はトレ・チーメの岩山の真下、右手はドロミテ渓谷を隔ててドロミテ定番の鋭い岩峰の連なりが見える。強風に備えてウインド・ブレイカーを用意したが汗ばむ暑さ。ガイドのパウロ君の話では6月、7月は雨天が多かったという。彼の役割は主として道筋の花々の名を教えてくれることだった。岩に残されたティラノサウルスの足跡もあり、ドロミテがアルプスの古い歴史をとどめていることも教えられた。

トレ・チーメのほかに歩いた山坂はオーストリアのザンクト・アントンのスキー場である(8月3日)。この地の標高は1,304m。チェアリフトを2本乗り継いでガンペン(1,850m)からカパル(2,330m)へ登り、チロルの山々の展望を楽しみ、ほぼ終わりに近づいたという高山の花々の名を教えられた。降りは急坂の最初の一本はリフトを利用し、残りの一本分を徒歩で下った。その後、バスでインスブルックへ向かったが窓外には、季節外れながら、幾つものゲレンデを見ることができた。

パノラマの最後はゼーフェルトから山岳鉄道とロープウエイで到達したヘルメレコップフ展望台(2,045m)からの雄大な眺望。ここからは主峰ライター・スピッツエ(2,373m)に到達することができる。

滞在した都市はそれぞれに趣があった。ハルシュタットは古代ローマ以前からの岩塩抗がある。背後に山が迫り、ハルシュタット湖に張り付いたような小さな町だがダッハスタインと並んでザルツカンマーグートを代表する景観として世界遺産に登録され、その美観によって知られている。中国広東省恵州市に細部にわたってこの街を再現した都市があるという。われわれの宿泊した「ヘリテージ」は由緒あるホテルらしかったが、あてがわれたのは離れたところにある不便な別棟だった。

コルティナ・ダンペッツオも小ぢんまりしているが、町としての体裁が整っており、2泊したせいもあって「見た」という印象がある。ここでは宿泊したホテル・アンコラの至近距離にあった2つの教会を見学した。一夜、雷鳴をともなった激しい雷雨があり、山岳都市の実感を味わうことができた。

駆け足で見学したインスブルックでも2つの教会の内部を見学した。ドムと呼ばれる大聖堂の最大の宝物はルーカス・クラナハの聖母子像で、小さな画が不釣り合いに大きい銀のパネルに埋め込まれて正面の「銀の祭壇」に安置されている。後に解説を読むまで知らなかったが、この1枚の画には教区民の深いマリア信仰が乗り移ったかのような歴史があった。クラナハはマルティン・ルターの親友であり、プロテスタントの同調者と見られるが、民衆はそこからくる違和感を物ともしない崇高さを感じ取ったかのようである。

もう一つのイエズス会教会はホテルの真向かいにあった。ここには日本ともゆかりの深いイエズス会(ジェズイット)の創設者イグナチウス・ロヨラの礼拝堂とフランシスコ・ザビエル礼拝堂があり、ザビエル礼拝堂には日本での伝道にかかわる画幅2枚(布教と殉教図)が掲げてあった。

短い時間滞在したミュンヘンを別にすれば、ここまでで主要な観光都市についてそれぞれ一言したことになる。ここでは最後に、この写真レポートの冒頭でご紹介した「エンロサディラ」との関連で、野中に広がる一棟のリソート・ホテル、シュロス・ピヒルラン(アイゲン・イム・エンスタール)に触れておきたい。豊かな山岳にめぐまれる反面で海のないオーストリアは湖を大切にしているらしいことはわずかの見聞からも伺うことができた。数は多くないがプールなどを備えたスポーツ施設も家族連れの行楽先のようである。シュロス・ピヒルランはゴルフ場を備えた滞在型ホテルとして全国展開するホテル群の一つのようだった。どのようにしてここにあるのか不明であるが門前には樹齢推定900~1,000年という菩提樹の大樹があり、背後にはこの地域の自慢という独立峰、グレミング山が聳えていた。おそらくこの山を一日眺めていればエンロサディラを実感できるに違いない。それにしてもこの旅を通じて好天に恵まれ通したのは願ってもない幸いだった。

[追記]参加総数は12人。内訳は夫妻5組のほかに女性2人。私が最年長で次は2人の男性が77歳。標高の高い地域であっても日差しは強く、トレ・チーメへのハイキングの帰途77歳の1人が休憩所で一時意識を失って倒れるという事故があった。同人は翌日1日休養した後で無事復帰。バスはグループの貸し切り。女性の添乗員が同行したほかは要所ごとに短時間現地ガイドがついた。最近の遠距離旅行には「ビジネス・クラスで行く…」といううたい文句が出るようになり、これもその1つ。それだけ高価になるがビジネス・シートは横になって眠っていくことができる。これでおよその問題には触れることができたが、高山植物と食事(それに解散前夜のチロル地方の民族ショー)には手がまわらなかった。私は旅先の食事にはあまり関心がないが朝食(ビュフェ)は毎回楽しみだった。今回は帰国後の時差克服に大いに悩まされたがこれはまた別の話になる。

写真説明

1.トレ・チーメ(三つの峰)への緩やかなトレイル。道を外れてガイドがエーデルワイスを見せてくれた場所から。

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2.登り道の左側はトレ・チーメの茶色の岸壁、右は谷を越えて峰々のつらなり。

3.道の辺に谷に向かってハナウドが咲いていた。(ブロッコリの原種と教えられたが?)

4.(0959)トレ・チーメの全貌とハイカーたち。見る位置次第では四つの峰にも見える。

5.(9500)コルチナ・ダンペッツオへの帰路に見上げたもの。

6.ザンクト・アントンの山腹(カパル)から谷越えに氷河が見えた。

7.ヘルメレコップフの展望台からのドロミテの山々。

8.(0862)ハルシュタット(とハルシュタット湖)。ポスターや絵葉書でよく使われる。ハルは古代ケルト語で塩の意。

9.(9603)トレ・チーメを降ったところにあるミズリーナ湖(標高1,754m、周囲2.6㎞)。昼食後に一周した。

10.(9548)カレッツア湖(標高1,519m)。ドロミテの最高峰マルモラーダ山を見た後で訪れた。ここも昼食後に一周した。絵葉書によく使われる名所という。

11.(9512)コルツィナ・ダンペッツオ。周囲を山に囲まれた落ち着いた観光都市。

オリンピックでどのスロープを使ったかは聞き損じてしまった。

12.インスブルックのイエズス会教会のザビエルの画像。日本人(黒人に見える)への布教に努めている姿。(大聖堂の内部は撮影できなかった。)

13.グレミングス山。シュロス・ピヒルラン(アイゲン・イム・エンスタール)の窓からの眺め。アーチ型の枠はこの眺めのためと思われる。

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