Q坂本幸雄「ケント・ギルバートの明治維新の捉え方」2018.8.14

先般の市畑兄の投稿に関連し、先日読んだ「ケント・ギルバートの“世界に誇れる明治維新の精神”」から、ギルバート氏が主張する、“世界に誇りべき 日本の天皇制”の大意を下記に紹介したいと思います。

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『ケント・ギルバートの「世界に誇れる明治維新の精神」』より<ケント・ギルバートの明治維新の捉え方>

・明治維新を、ペルーの黒船来航の1853年から、明治維新が成立した1868年、そして戊辰戦争が終結した翌1869年までの一連の物語として捉えると、そこに登城する 坂本龍馬、西郷隆盛、吉田松陰、勝海舟などがこの時代に活躍したヒーロー達である。黒船以降、自分の国が今にも外国勢力に食い尽くされるかもしれないという危機感が、これら幕末の志士達を突き動かした。

・世界史的な視点で見ると、非キリスト教の国家として、19世紀の段階ですべに近代化が進められていた非西欧国家は日本しか存在していなかったし、かつまた、白人でない国で初めて大国としての存在感を世界に示していたのも、唯一無二、日本だけであった。なぜそのようなことが可能であっか。それはそれまでに江戸時代という、極めて安定し、かつ、独自の文化を育てていた安定した政権が260年も続いていたからである。

<天皇という、世界唯一無二のシステム>

・イギリスにも王室制度がある。しかし両者は全く異なる面もある。イギリスの王室は連続していない。一度市民革命で王室自体がなくなっているし、その後も18世紀にスチュワート朝の後継者がいなくなってしまい、議会での話し合いで皇室の遠縁であるドイツから国王を迎え入れている(具体的には、ハノーバー朝でこれが現在のイギリス王室につながっている)ここで注目したいのはイギリスや、その他の西欧人にとって、王室という存在は、別のものに代替できるものである。だから、もし現在の王室に何か問題があるとすれば、他の血統の一族に替えてもいい存在である、ということになるのである。

・しかし、日本の天皇、皇室は、代替が不可である。誰かがどこから連れてきたわけでも、誰かによって選ばれたものでもない、「神の子孫」なのである。もし、日本で天皇制を大きく変えてしまうと、あたかも日本そのものの大黒柱、あるいは日本に生きる人々の「心の芯」のようなものが消え去ってしまいそうな感じがする。

・戊辰戦争を考えてみても、徳川慶喜や多くの佐幕勢力は、戊辰戦争のとき、薩長軍が行軍時に掲げた「錦の御旗」を見て、どうしても天皇に弓を引けなかったのである。

・日本の天皇自体は王様や権力者ではなく、八百万の神々と人々をつなぐ存在であって、ことさら贅沢したり、暴力や権力で人々を屈服させたりするわけでもなく、むしろその暮らしぶりは質素である。日本には次のような物語もある。その昔、仁徳天皇が新たな都:難波にやってきたものの、周辺の民家からは飯炊く煙が見えないことに心を痛め、自らの宮殿の整備もままならぬのに、天皇は税を軽減。やがて民は富み、煙が連日上がるようになった。このような話は、かって世界各地の歴史に現れた大勢の絶対君主とは、全く違う王室の姿を示しているのである。

・このようなストーリーから見えてくるものは、日本の天皇が考えていることは、民全体の幸福であって、そもそも権力者が考えるべきことは民全体の幸福であって、自身の富ではないということである。そもそも日本でも武将は日本各地に堅牢な城を築いていったのに、京都の御所はただ低い塀に囲まれているだけである。つまり、臣下から攻め込まれることを前提としていないわけである。これは他国では絶対にありえない話である。

<日本が、オールジャパンでまとまりやすいという国家的特性>

・日本はいつの時代も、誰が時の権力者であろうと、その権力の根源は天皇の権威から発しているのである。平安時代の藤原氏の一族も、鎌倉時代以降から江戸時代の武家政権の頂点である征夷大将軍も、明治以降も近代日本の最高権力者たる内閣総理大臣も、国のそれぞれの決まりとして全ては天皇が任命したものである。従って、国内にどれだけの対立があっても、考え方に違いがあっても、国を揺るがすような事態でも、最終的には天皇聖断で方向が決まるのである。徳川慶喜が早々に戦いから手を引き、勝海舟と西郷隆盛が話し合いで江戸総攻撃を防げたのも、そして戊辰戦争自体も全体的にすんなりと収まったのも、一時は賊軍とされた西郷隆盛が、死後明治天皇によってその名誉回復が図られたのも、この日本に天皇制があるためなのではなかろうか。このように、日本では、オールジャパン体制が取りやすいという背景の一つに、日本の皇室には、「売国奴」的な腐敗がない、という美点もあげられる。

<ローマ法王との比較>

・天皇が、神と人々を結びつける接点として存在するという点で、他の世界で匹敵するのは、ローマ法王ということになろう。ではローマ法王を頂点とするカソリックの世界にも腐敗はなかったのであろうか。残念ながらそんなことはなかったのである。宗教革命が始まる直前のカソリックは、教会そのものが既得権益の権化と化し、豪華な教会を建てるために免罪符を売って商売していたわけである。その後の宗教革命、そして産業革命による市民の経済的自立は、根本的にカソリック教会の腐敗が存在し、そんな腐敗は許せないというストーリーと並行して進行したのである。カソリック教会自体が腐敗しているなかでは、人々の間に激しい争いごとが起きたにしても、教会の神父が、神の前の正義や愛の精神を説いてもそれらの争い事をやめさせることが難しいのである。ところが遠く離れた日本では、奇跡的にそれを可能にしていたわけである。日本では、何か一大事が起きて国が本当にひどい状況に陥っても、天皇がそこに出てくるだけで全てが丸く収まるという、いわば、最後の安全装置になっているわけである。以上(坂本幸雄 H30.8.14日記)

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