奥多摩むかし道(写真レポート)

P大島昌二 2018.4.16

「奥多摩むかし道」とは小河内ダム(奥多摩湖)建設の際に廃道となった旧青梅街道である。

周辺の森林は多摩川の水源林として貴重であり、旧街道の氷川(奥多摩駅)から小河内(小河内ダム)までの9.4㎞が「奥多摩むかし道」として保存されている。この間の標高差は340mから520mまでの180mに過ぎないが、最高所は620m(浅間神社)あり、全体として登り下りのある山坂道である。最後に舗道をさけて遠回りした「みはらしの丘遊歩道」を加えるとちょっとした小登山の趣があった。

参加メンバーは7人。この中に誰か晴れ男がいるに違いなく、前回の野川沿いの散策に続いて

この日(4月14日)も危ぶまれた天候が一転して、新緑の山々に陽光の降り注ぐ絶好の散策日和になった。最初にルートマップを貰いに入った駅前の観光案内所で途中地崩れで40分ほどの行程が閉鎖になっていると教えられた。全所要時間は4時間だからかなりの当て外れである。ただこれも奥多摩が山地である証拠と思えば不満ばかりではない。私にとってこのルートは初めてではないが特に興を引かれた記憶は残っていない。10年以上も前のことである。それでも記憶の脱落は、国会に招致された高級官僚諸兄のようにそれが救いの逃げ道になるわけではなく、あまり長くない残余の人生を思えば心細い。

山路にとりつく前に奥氷川神社を初めて訪れた。東京都の天然記念物という鎌倉時代からの樹齢650年という一本の杉があり、根本付近から3本に幹分かれしてそのまま上に伸びているので三本杉と呼ばれている。最初からいいものを見た。山路に入ると初夏を告げる新緑が目に染みる。それが眼下の日原川、多摩川の渓谷を飾り、遠くの山肌を緑に燃え上がらせていた。これが行程の終わりまで続き最後には奥多摩湖の湖水の広がりの展望に至る。「目には青葉 山時鳥 初松魚(はつがつお)」を思い出したは良いが、あまりに人口に膾炙しているため、作者名は知らないし、これは果たして俳句だろうかなどと話し合いながら歩いた。あとで調べると山口素堂のれっきとした俳句である。季語が三つも並んでいるので「プレバト」の夏井先生が何と言うか聞いてみたい。

道の辺の花々もあでやかである。ヤマブキやレンギョウなど黄色の花が多い。人家の近くはハナモモ、遠くの山中にはヤマザクラも散見される。「みはらしの丘遊歩道」にはウツギが植えられていた。「卯の花の匂う垣根」は歌いはしたが実際に見るのは初めてだった。これにホトトギスが来て鳴くものだろうか。ホトトギスを実際に見たのはゴルフ場のはるか上空を飛び去る姿であった。

道筋には白髭神社、浅間神社、さらには往時の交通事情を偲ばせる地蔵尊、馬頭観音、馬の水飲み場などの石造の遺品が並んで歩を止まらせる。小河内ダムを建設する際に造られたトンネルやトロッコの跡は産業遺産と言ってよいだろう。いずれにせよ行く手は小河内ダム。電力、水力、さらには氾濫による水害の防止を兼ねる産業構造物の粋とも言うべきものである。ダムが完成したのは昭和32年11月。945所帯の移住と87名の犠牲者を出して戦争を挟む19年の歳月を要して完成した。数年前まで若い女性が押し寄せてブームを呼んだ八ヶ岳山麓の清里村は強制移住を余儀なくされた丹波山村の28戸によって建設されたという。

帰途は奥多摩湖でバスを30分待ったほかは奥多摩駅、青梅駅、立川駅と連絡はスムーズ。東京はこのような山奥でも便利だ。打ち上げは奥多摩駅付近の蕎麦屋さん。かつてはよく来たような気がするがそれも大分昔のことになった。

写真説明

8578 奥氷川神社の3本杉

8581 小河内ダムへ向うトロッコの軌道。振り向けば背後にはトンネル跡がある。

8586 最初の橋から日原川渓谷を見下ろす。

8592 白髭神社は至るところにある。祭神は神武天皇の東征を案内した塩土翁神。ご神体はこの傾いだ大岩という。

8593 上記逆断層の大岩の説明。

8596 樹齢200年のいろは楓の巨樹。旅人に憩いを与えその紅葉は目を楽しませたという。

8602 惣岳渓谷。下記8601を参照。

8620 歩道右手の斜面を滝になって流れ下る山の水。

8622 小河内ダムの展望所から。

8624 みはらしの丘遊歩道のヤマブキの花。この先から登り道になる。

8626 卯の花の垣根。

8638 奥多摩湖の一隅。ここまでは時おり御前山が見えたがここから右手奥に三頭山が見える。

8601 惣岳渓谷の説明看板。往年の多摩川の規模を偲ばせる。

8607 道辺に保存されている牛頭観音の説明版。往来の盛況とわれわれの祖先の生活ぶりを偲ばせる。

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