P戸松孝夫 2017.12.22
僕は「人工知能の未来」にはあまり興味がないので、本書を読んでみる気はないからコメントする資格はないだろうが、「人工知能と経済」というタイトルをむしろ「人工知能とそのおぞましき人間社会」とでも変更すべきとの筆者のご意見には大賛成。水耕栽培で伸びる「もやし」のような百寿を超えた年寄りがうようよ生活しているおぞましい世界は想像するだけでも御免蒙りたい。
人はそれぞれの人生哲学に基づき生きてゆけばよいわけだが、僕の場合は「毎日大量のサプリメントを飲んで健康を維持しつつ、不老不死の日が来るのを待ちわびる」生き方には興味がない。更には、もともと人間の体内に備わっている免疫システムの如き役割を果たすとかいうナノ・ロボットは、「遺伝子組み換え」と同様、神の摂理に反する恐ろしいことをするわけで、人類の滅亡にも繋がりかねない科学技術ではなかろうか。些か宗教めいた発想だが、人間は神様からそれぞれに与えられた寿命を全うすればよいのでは。
また「GNR革命」により、生きた動物を畜産することなく、タンやレバーといった肉のパーツだけを工場で量産できるというが、AI進展で多くの人間の仕事がなくなる時代が目に見えているのに、自然の摂理に反してまで「商業用の大量生産」に拍車をかける必要性があるのだろうか。古代から人間の生活とは切り離せない牧畜も農業も、「経済性」だけが目的ではない筈だ。動物や植物を育てるプロセス自体に、それに携わる人たちが生甲斐を持っていることを無視してはいけないと思う。僕の家の近くの畑で毎日せっせと農作業をしている86才のお婆さんに「大変だろうからそろそろ引退しては」と声をかけたら「わたしの大事な生甲斐を奪うのか」と逆襲された。僕も同じ感覚でこの20年間畑に出ているが、牧畜に携わる人たちも同じだろう。
以上