「七十年前に都留重人が書いたこと」を読んで(戸松)

P戸松孝夫2018.3.20

都留重人教授は私の学生時代は、大学院の先生で、一般の学生からは遠い存在の偉い学者としてしか知りませんでした。

戦後の片山内閣で短期間とはいえ官僚として仕事をされていたとの認識は全くありませんでした。

今回「官僚としての十ヶ月」の要約文に引用されている氏の鋭い指摘を読んで、今連日メディアの世界を賑わしている佐川問題に照らし合わせ、70年前敗戦直後の日本の官僚機構が体質的に現在と余り変わっていないのではないかという想いがしてきました。

20世紀後半以降、世の中が激しく動き人々の価値観も大きく変わっているのに、70年前のコメント「日本の官僚機構はいまだなお極めて強靱である」が、現在でも頷けるのは不思議なことです。

ここでひとつ思い当たるのは、私が今から30年前エリート官僚氏と個人的に親しく付き合っていた時の氏の哲学です。バブルの崩壊前後、10万人もの日本人(ビジネスマンとその家族)がニューヨークに群がっていた頃、彼地の日本人社会では在米の子供たちの教育が重要な問題になっており、官を代表して文部省のエリート氏が、また民間からは商社マンの私が、日本人子弟の教育機関に専従で出向していました。

頭脳明晰で、一般常識にも優れて長け、私が尊敬していた氏に、私がただひとつ違和感を覚えたのは、マックス・ウェーバーが唱えたという「日本の官僚機構は世界一」との論理への氏の執着心でした。

これに基づき行政技術者が考えること為すことは絶対的に正しいとの前提で氏は、教育行政に係わる問題については、大手民間企業代表者、即ち財界の所謂お偉いさん方で構成される最高意思決定機関たる「理事会」に対しても、絶対に妥協されなかったように記憶しています。

帰国後文部省の局長に就任し、日本の文部行政に一端を担った方でその後私との接触はありませんが、文部省に限らず多くのエリート官僚は、今でもこういう信念を持っているのかなと、最近ホットになっている話題に関連して、私の脳裏に思いあたった次第です。従って70年前の、「国家公務員法」の杜撰な形成過程も私にはよく理解出来ますが、この法律は今でも生きているのでしょうか。

「牙城がおびやかされたとき、組織全体の神経は本能的にその急所に集中して牙城を守りぬこうとする」財務省との綱引きは、佐川事件関連では財務省の敗色が見えてきて、都留教授が提唱していた官僚制度改革への道程が始まったようです。

しかし「官僚機構の人事と予算の権限を国会への移行」に関しては、現政権が人事権限を官僚から取り上げた行き先は内閣人事局であり、これが逆に問題を悪化させたのが現状ではないかと思われます。また予算について「主計局を総理庁に移管して予算局とする」案は実現していませんが、「本来国会がもつべき予算権限が不明朗な行政的手段によっておかされる」事態は現在はほぼ解消されているように思われます。

蛇足ながら都留論文に「掣肘」という単語が出ています。恥ずかしいことに私はこの単語の読み方も意味も分からずグーグルに頼りました。私に学がない為か、それともこれは現代ではもはや死語のなっているのか、どうでもよい疑問を持ちました。 以上

七〇年前に都留重人が書いたこと…P半澤健市2018.3.18

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