2017.10.26
いくち・(アミタケ)
いくちは最も平凡で、オーソドックスな茸である。
戦中頃迄は、一寸田舎へ行けば庭先にも道端にも生えてゐて、散歩の途中で採取し、入れ物が無ければ、そこの笹を折り数珠に差して持帰り早速食膳に乗せたものである。 人にあまり重要視されず、時には足で蹴られてしまう様な雑茸“いくち”は、又時にはあの松茸よりも人の心の中にしみじみと郷愁を残す存在である。たかが“いくち”されど“いくち”こそ いくち の本質である
雑茸(ゾウタケ)を すすきにさして 麓(ふもと)路で また落栗の実をば拾うて
青木霞村
いくちの柚子釜
戸松兄の「木曽の『いぐち』茸?」を受けて。
国際部以来の旧友戸松君が拙文のきのこの話にコメントを寄せてくれた。論語ではないが、「友あり、コメント来たる。また、楽しからずや」である。
ところで、「いくち」茸の毒に当たりはせぬかとご心配頂いているようなので、お応えしたい。
まず、私が食しているのは木曾では「いくち」といわれるもので、「いぐち」ではない。この二つが全く同じものか、異なるものかは知らない。戸松兄に習って当方もググってみたが、あいにくネット検索が不得手で、結局はよくわからなかった。
兎も角、色々な情報をつなぎ合わせてみて、「『いくち』とはイグチ科のヌメリイグチ属の中のきのこの一種であり、別称アミタケとも呼ばれる。イグチ科には毒茸の種類がいろいろあるが、『いくち』には毒性はない」という辺りにたどり着いたが、権威ある確証には行き当たらなかったので、当てにはならない。諸兄の中でどなたかよくご存知であれば、教えて頂ければ有難い。
それでも、初めて食った時はコワかった。以来、家内が木曾に来るようになって大の仲良しになった地の人がご近所に住んでいるので、始めのうちはこの人に必ず見てもらって食べていた。
近頃は、家内も私も、上からちょっと眺めて、次にひっくり返して傘の裏を確かめ、更に茎の姿を点検すれば間違うことはないという自信がある。
戸松兄が想定するように毒があれば、肝炎に効くことも期待できるかも知れないが、残念ながら毒はなさそうだし、肝臓の方はお陰さまで完治に近い状況。
ついでながら、ググっている時に、イクチ料理の写真を見つけたので、添付した。ご参考までに。
尚、もし戸松兄が再度木曾へこられることがあれば、「いくち」の新鮮なのを食して頂くべく、いつでも大歓迎するつもりである。 2017.10.26
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P戸松孝夫2017.10.19
萬野君がイグチというキノコを毎日たくさん採集して木曾での夏休みの間中美味しく食べていたとの話を聞き、「イグチ」とは初耳なので念の為ググってみたところ、次のような忠告文が出ていた。
イグチ科にはたくさんの種類があり大部分は無毒だが、ドクヤマドリを初めとしてイグチにもいくつかの毒キノコが知られ、毒はなくとも苦味や辛味があって食べられないもの(不食)が存在し、特にニガイグチ属には注意が必要だ。
イグチだからといってなんでもかんでも口に入れていいというものではないだろう。
今回はそんな毒を持っているイグチ、苦味、辛味を持つイグチをまとめて紹介したい云々」
16年前に僕たち国際部の仲間で木曾の萬野別荘を訪問した時はイグチの話題は一切なく、お蔭で毒を食べる機会にも会わず無事帰ってきたが、素人が道端に生えているキノコを食べるのは何となく怖い気がする。
萬野君は今やベテランで毒キノコの見分け方を心得ておられるのだろうが。彼の慢性肝炎が理由不明でなおったというのは、もしかしたらきのこの毒が肝炎をやっつけてくれたのかも。 戸松孝夫
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【第一便2017.10.11】
森兄 先週末、木曽より芦屋に戻りました。
添付の写真は9月末から10月初旬に掛けて木曽の散歩道でよく出る「いくち」というきのこです。
関西では目にすることも、聞くこともないきのこですが、ご存知でしょうか。 特に際立った味のあるものではありませんが、味噌汁によく合い、おろし合えでも結構おいしいです。
この写真のいくちも、その日の晩には胃に収まりました。
尚、木立の林の写真はこれらのいくちがその道端で採れた毎日歩く木曽での散歩道です。
このシーズンになると、家内が目の色を変えて毎日のように採取するので、最後の週は朝晩食わされました。 お陰で、思いを残さずに芦屋に舞い戻った次第。
【いくち1~3】
【夢想の小径1~5】
【第二便2017.10.14】 写真のきのこは、このあたりでは「いくち」と呼ばれている。
色が艶やかで、さぞ旨そうに見えるが、きのこそのものは取り立てての味ではない。
早朝の「歩き」のついでに採ってきて朝飯の味噌椀に入れると、なめこのようにとろっとした感触が胃に優しそうで嬉しい。
おろし和えにして、ポン酢を少したらしてもなかなかのものである。
山に採りに行かずとも、道端で結構見つかる。多くはないがコンペティターもいるようだから、必ずしも歩けば見つかるとは云えないが、秋口のこの季節は、小一時間も歩けば両手に余るほど採れることもある。
写真のいくちは傘の直径が3、4センチのものだが、放って置くと10センチ以上にもなる。ただ、大きくなると必ず傘の裏の柔らかい部分を虫にやられて、その黒い痕が薄汚くしみの様に点々として、食う気がしない。
虫にとってはかなりの美味と見え、大きく育ったいくちには必ず虫跡が一面にある。
虫の姿を見たことはないが、姿の見えざる手ごわいコンペティターである。
だから、かわいそうで申し訳ないことだが、この写真くらいの大きさになると頂戴することになる。さすがに1センチ未満くらいのものは、人に見つからないようにその辺の枯葉をかぶせたりしておいて、翌日見まわるが、歳のせいか目印を覚えておいた積りでも見失うこともおおく、ままならない。
木立の写真は、これらのいくちがよく見つかる小道である。
雨でない限り、ほぼ毎日のように朝食前にこの小道を歩く。
村役場の人は、この道はフィトンチッドが多いというが、真偽のほどは知らない。
「歩き」は約40年も前にC型肝炎を患った折に始めたが、この「歩き」と「わがまま」と正体不明の漢方薬で直ったと思っている。
木曽に夏来るようになってはや二十数年になる。
市町村合併で、数年前から木曾町(きそまち)になったが、来始めたころは日義村(ひよしむら)であった。日義の義は木曾義仲のよしである。近くに陣立て原というバス停がある。
義仲出陣の勢ぞろいをした場所といわれている。
先ほどの小道も、今は「ふれあいの小径」という標識が舗装道路から小道への入り口にあるが、以前、日義村の頃は「夢想の小径」であった。
はじめてこれを見たときは、なんとキザッたらしい名を付けたものかと思った。
しかし、よく聞いてみると江戸末期にこの辺りに夢想権之助という棒術使いが住んでいて、ある時思い立って神に願懸けをし、その満願の夜の祈りの最中にふとまどろみ、夢の中に白衣の神が現れて秘術を授かったらしい。
夢の中で授かったから、夢想権之助と名乗ったという。
そしてその願懸けのために毎夜通った道なので「夢想の小径」と後の人が名づけたとか。
そういえば、中学生くらいの頃、剣豪伝のようなもので塚原卜伝とか千葉周作とかの名に混じってこの棒術使いの名が出ていたことを思い出す。
この小道は全長400m足らずで、写真で見られる通り、適度に蛇行し、苦しくない程度に起伏もある。道からは見えないが、数メートル奥を飲んでもいいくらいのきれいな流れがほぼ道に沿ってあり、歩いているとそのせせらぎの音が絶え間なく聞こえる。
以上。
たまたま近況報告を兼ねて森兄に、このいくちの写真を送ったら、聞いたこともないきのこだから、載せたいとのことだったので説明文を付けさせて頂いた。
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「いくち」と「いぐち」を間違えて、お騒がせして大変申し訳ありませんでした。このミスは「老人惚け」の為とご容赦ください。萬野兄が言われるように
イグチ科には毒茸の種類がいろいろあるが、『いくち』には毒性はない
が正しいから、皆様安心して、イクチを食べてください。
木曾には来年夏訪問しますから(今年の冬に石垣島へ来てくれた仲間みんなで)、萬野ご夫妻でIKUCHIをたくさん採って待っていてください。