田中實氏(蔵前工業会元理事長)の感想
田中實氏(蔵前工業会元理事長)の感想
参考☞ 戦後の引き揚げの思い出 P河井春穂
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森 正之兄:9月8日
今年は例年より関東方面を通過する台風が多いですね。
13号の影響で貴方の鹿沼地区も豪雨に見舞われたそうですが大丈夫でしたか?
我が家も昨日から警戒していましたが大きな被害は免れました。
下記の田中實氏は私と同じ多摩CCの会員ですが、8年ほど前に偶然プレーを
ご一緒して以来親しくお付き合いをしています。
同氏は東工大OBで新日鉄副社長を経て、藏前工業会(如水会に相当する東工大
OBの会)理事長を数年前まで勤められました。本年85歳になられますが温厚
な紳士です。
たまたま過日の拙文「戦後の引き揚げの思い出」をお見せしたところ、
下記の丁重な返信がありましたので参考までに転送します。 河井春穂
河井 さん:
メールをいただき有り難うございます。中国からの引揚のご苦労が私の場合より
たいへんだったと70年前を思い出しております。私は父が海軍を早期除隊後、
民間に行き、昭和16年から高雄でしたが18年からは空襲もひどくなり、中学入学
からの勉強は殆ど出来ず、もっぱら高射砲の掩体築造の為の動員でした。這う這うの
体で21年2月に祖父が守ってくれていた佐賀県伊万里の片田舎に引き揚げて来ました。
和歌山県田辺に上陸して貰った弁当は稗飯でした。
外地では勉強どころではなかったので、1年留年して唐津中学に編入して、それ以来
下宿を転々として大学は東京なら親戚が引き受けると言ってくれましたが、親は
国立以外は駄目と言うし背水の陣でした。
終戦後の台湾は蒋介石が進駐して来ましたが、幾らかの台湾人による嫌がらせや襲撃
は受けましたが、中国、満洲とは較べられません。
明治以来善政を敷いたと云われる台湾は高砂族義勇軍は日本軍として勇名を馳せ、
それを称える“台湾軍”の軍歌もありました。
歴史の一コマですが、その頃の経験が、その後の私に幾らかの強靭な精神力を持たせて
くれた事を神に感謝しております。
昭和から平成へ日本人の良き伝統のDNAには期待しておりますが、教育者と呼ぶに相応
しい先生も少なくなり、ひ弱になりつつある国民性を心配しています。 田中 實
河井春穂兄 9月8日 (4 日前) 森 正之
台風被害が東北・北海道で甚大で、大津波のような恐ろしさです。鹿沼も脆い地盤
の高台住宅地が毎回避難させられています。私の住む山間地も土石流危険標識があち
こちに立っています。
田中實様の実体験も、もしご本人の諒解が得られるならば、ぜひ33Qネットに
掲載させて頂きたいものです。
森 正之兄: 9月9日 (3 日前)
貴宅が大過なかったようで何よりでした。東京も下町の川沿いは被害がありました。
田中氏のメール転送は問題ありません。近くまたコースでご一緒するので話して
おきます。 河井春穂
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2016.9.12㈪
haruo kawai
17:35 (5 分前)
森 正之兄:
編集作業ご苦労さまでした。田中實氏は純粋の戦中派であり、
我々と違って旧制中学時代には勉強どころではなく、厳しい軍事教練の毎日だった由
で今でも残っている生傷が絶えなかったそうです。今回の同氏の文書にはその事情は
あえて触れられていませんが、33諸兄に何らかの参考になればと思います。
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参考☞ 戦後の引き揚げの思い出 P河井春穂