「時代の風景〜郷愁の旅(第四集)」ご恵送に感謝 坂本幸雄2017.10.22
大津寄兄
・今回も貴兄の力作第四集をご恵贈頂きありがとうございました。
いつものことながら、貴兄のココロに詰まっている、その記憶の引き出しの、豊かさと濃密さに改めて感銘致しました。
・先般、五木寛之の「孤独のすすめ」という本を読みました。
その本の中に「人生には、青春、朱夏、白秋、玄冬という四つの季節が巡ってくるものである」という言葉と、「古代ヒンズー教の教えには、“学生期”、“家住期”、“林住期”、“遊業期”がある」という教えが書かれておりました。
勿論、われわれ八十歳代の年寄りは、いずれもその最終段階にあることは言うまでもありません。
そのうえで、前者の言葉には、「”玄冬”は、後ろを振り返り、ひとり静かに孤独を楽しみながら、昔の楽しかりし日々を回想することは、実は非常にアクテイブな時間の過ごし方であるとともに、それこそは、老齢期にあって”つきせぬ歓びに満ちた時間の過ごし方“である、と書かれております。
また後者の言葉では、さまざまな人生の務めや桎梏から解き放たれた、この人生最終段階の時期こそが、「人生の黄金期」ではなかろうかと諭し、人生を登山にたとえると、老齢期は、登山では下り坂に当たる下山の時ではあるが、しかし、「この時期こそは、まさしく人生の醍醐味を味わえるのである」と教示しております。
青春や壮年期には、上を目指して歩くのであるが、老齢の下り坂では、前を向いて歩くのではなく、後ろ向きに歩む「後背の歩み」を勧め、次のように書かれております。
老齢期で前向きに歩むと、そこには“死“と向き合う世界しかないのであるが、「後背の歩み」には、登り坂の時のその時々の思い出が蘇り、それが老後の生活にありがちな孤独感や寂寥感から解放される活力にも繋がるのである!。
・貴兄の今回の第四集を読み、殆んどQクラス全員との思い出が、実に克明に、しかも、昨日のことのように鮮やかに描かれていることにも驚嘆しました。
例えば、文集52pには、2年生の学園祭でクラス全員で合唱した思い出深い「赤トンボ」について、安楽君の日記に基づきあたかも、ごく最近の出来事のように、その発想、曲の選定、練習風景、その出来栄えまでも含め、しかもその日付けまでも付して記述されておりますね。
それを読み、小生にとっても、このことが大学生活全般を通じての忘れ難い思い出の一つでもあっただけに、貴兄の文集のお陰で、今回その前後の経緯まで含めてそれが実に鮮やかな思い出として蘇り、かつ、それが、小生の心の活性化にも大いに繋がったことを感謝します。
ありがとうございました。(坂本幸雄 H29.10.22記)
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戸松孝夫 2017.10.24
本文を読んでいないので、適切なコメントは出来ないが、P組にもクラス全員との思い出を克明に、昨日のことのように鮮やかに描いてくれる有志が居たらいいなと思った。
僕は筆致力も記憶力もないので「郷愁の旅」のような回想録は書けないが、2年生の学園祭でP組でもクラス全員で合唱した思い出は残っている。
赤トンボは歌わなかったが、淡路君の指揮で当時流行のロシア民謡を放課後皆で何度も練習したことを覚えている。
他にクラス全員が協力しあって成功したイベントとしてクラス雑誌「多摩湖線」の発行がある。
小平の2年生の秋に第1号を創刊、4年生の秋、国立で第2号を出版した。
その後皆が社会人になってからはずーっと休刊していたが、定年退職者が出始めた平成6年に復刊し、平成24年最終号(第21号)まで18年間毎年発行された。
長期間にわたる編集人諸兄のご苦労にはクラスOB全員が感謝しているが、これが一橋大学にも認識され、全21巻が国立図書館に保存されているのは誇らしいことだ。
僕はこの間仕事の都合で十数回家を転居して、雑物は引越しの都度捨ててきたにも拘わらず、不思議と多摩湖線は全巻(第3号を除く)今でも手元に残っている。
本文との関連で坂本君から、五木寛之の「孤独のすすめ」が紹介されている。
この中で次の点は隠遁生活を営んでいる今の僕には至言である。
①後ろを振り返り、ひとり静かに孤独を楽しみながら、昔の楽しかりし日々を回想することはアクテイブな時間の過ごし方であるとともに、老齢期にあってつきせぬ歓びに満ちた時間の過ごし方である。
②さまざまな人生の務めや桎梏から解き放たれた人生最終段階の時期こそが「人生の黄金期」であり、人生を登山にたとえると、老齢期は下山の時ではあるが、この時期こそは人生の醍醐味を味わえるのである。
③老齢の下り坂では前向きに歩むと、そこには“死“と向き合う世界しかないが、後向きに歩くと登り坂の時のその時々の思い出が蘇り、それが老後の生活にありがちな孤独感や寂寥感から解放される活力にも繋がる
以上
*****管理人2017.10.24↓*********************************
【トキメキ】森の高輪中学3年時の担任、門馬和男先生は来年2月90歳になるが、その口癖は「にんげんトキメキが大切だよ」である。
偶々、戸松兄は高輪高校1年時に1年間、門馬先生から社会科を習い、その後都立大付属高2年編入試験に合格し、ここで新海嗣哉君に出会いました。
戸松兄はさる10月12日千歳烏山の門馬先生宅を訪れたという。
トキメキ・好奇心の塊ですね。
*****(坂本幸雄 H29.10.25記)↓***********************************************
戸松兄へ
・大津寄兄への謝意の小生のメールに対する貴兄の感想を読み、貴兄のいつものクイックで、かつ、至らぬ駄文投稿ながらも、投稿者に更なる投稿意欲を掻き立たせるような返信メールに感謝。折角の返信に対して、小生が五木 寛之氏の「孤独のすすめ」に読み解いた更なる氏の良き三つの教えを付け加えます。
① 老齢期には、様々な身体機能が衰えること一つとってみても「諦める」ということが肝心である。普通にはこの「諦める」ということは、マイナス思考のように思われがちであるが、決してそうではないのである。「諦める」という言葉の本来の意味は、「明らかに究める」ことを意味するのである。勇気を持って現実を直視すること。それが「あきらめる」ことなのである。「覚悟する」といっても良い。人はともすれば、老いたることから目を逸らそうとする。しかしそうじゃなく、自分の衰えや疲れを素直に認めると、そこから老齢期を生きていく上で必要な意識が生まれ、老齢を逞しく生き抜く神経すらもそこから研ぎ澄ますことが可能となるのである。そんな「諦める」ことに自分が徹した時から、自分の人生の後半戦が始まるのである。
② 老いを自覚し、よくよく耳を澄ましてみると、自分の体が様々な信号を発していることに誰でも気付くのである。そんな声なき声の「身体語」とも言うべき声を聴き、自らが様々な工夫を行い、ライフスタイル全般を見直すことに心掛ければ、そこから徐々に体調も変化し、新しいことにチャレンジする意欲も湧いてくるのである。ともあれ、自分(著者)自身そんな工夫ができるようになったのは、人生の下山期を迎えた五十歳過ぎからであった。
③ 「自分が八十歳を過ぎてまで生きているなんて、信じられない」というのが、只今の自分の実感である。なぜだろうか。人から「老醜」と笑われようがどうであれ、とにかくも生きようとしているのは、何のためであろうか?、と最近よく自問自答するのである。勿論、そのベースには、動物が持つ「生存欲」もあるのだろう。敢えて笑われるのを承知で言えば、自分は「この世界がどう変わっていくのかが見てみたい」だけなのである。日本が、アジアが、世界全体が、この先どのように変貌を遂げていくかを目撃したいのである。荒唐無稽な「夢」とは言え、そんなことを考えていると 、多少なりとも“生きる張り”になることは確かである。もし、自分が少しでも長く生きたいと願っているのなら、その自分の原動力は何であるかを自問自答してみることは、老齢期の全ての人々にとっても、老いの時代を生き抜くひとつの確かな糧にはなるだろう。
・以上、この本には、かかる如き忠言にとどまらず、周りから「嫌老世代」と思われがちな下り坂人生を、自らの意識と才覚で、「賢老世代」に変革するための様々な知恵が多く語られているのです。
・最後に、小生自身が長年試みている、老齢期の「後背の歩み」のなかで「老齢期の良き回想」を手助けしてくれている試みを一つ紹介します。小生は“ipad”を長年愛用し、今はその発売以来3機種目となる”iPad pro”(その色彩の鮮やかさに惚れ込んで発売直後に機種変更)を使っています。そこには、3千枚以上の写真が記録されています。これらの写真は、初期iPad”発売時直後の2010年4月の写真から始まり、その後折々に遭遇した、“これは!という心に残るシーン”の写真であり、その殆どは、印象に残った旅の風景の数ショット、様々な人々との出会い・触れ合いなどの写真であります。そんな“ipad“を常時持ち歩いているので、”iPad”そのものが、言わば「持ち運ぶ写真帳」の役割を果たしているのであります。従って折に触れその”iPad”の写真を見ることによって、その写真に見るその時々の情景が、その時の様々な状況や、場合によってはその折の会話などまでも含めて、実に鮮やかな印象として蘇り、「老齢期の大いなる楽しみと思っている過去の回想」を、いつでもどこでも楽しむことができるのであります。
(坂本幸雄 H29.10.25記)