「"パクス徳川"とも呼ばれる江戸時代とは」を読んで

P戸松孝夫2017.10.4

明治維新に先行する江戸時代につき、数冊の本を読んで勉強し、高齢で錆び付いた脳と心の活性化に役立てたとか、筆者の相変わらずの強烈なチャレンジ精神に先ずは敬服。僕は高校で日本史の単位をとっておらず、我国の歴史に対する知識は、極めて曖昧なものだが、本文で述べられている歴史観には共鳴するところ大であった。

今回本文を読んで新たに学んだ主な点は以下の通り。

1.「徳川の先進性」とは、江戸時代の美術・工芸・技術と言った物的文明を指すのではなく、江戸時代の人々が見せた人権獲得への闘争が存在したから幕末に於いて、明治政府への政権移行がスムーズに行われ得たのだ、という磯田氏の指摘は成程と思った。民百姓を殺すことは、結局は、自分たち支配階層のコストに跳ね返ってくるのだ、ということを支配階層に判らせることで「愛民思想」が生まれ、それが明治以降の市民意識の醸成に繋がったとの史観はよく理解できる

2.「庶民が主役を務めた黄金の徳川」の注目すべき点として、下記10点の史実が列挙されているが、極めて興味深いことばかりだ。

① 日本の産物で、欧米へ持ち出された品物のなかで、当時のヨーロッパの王侯貴族が一番気に入ったものは、和紙でつくったトイレットペーパーだった、

② 1543年に種子島に漂着したポルトガル人から買取った鉄砲を分解し国産品鉄砲の作製に成功した。織田信長時代の日本は既に産業先進国だった

③ 1853年にペルーが浦賀にやって来た時に、見せられたコルト拳銃を役人がその場で図面に書き取り、元のコルトよりも出来栄えの良い拳銃を作り上げた

④ 江戸時代初期には、応用・実践面でも当時の測量技術や暦と併せて、作物の出来高や収穫時期を割り出すなどの技術を持った職人を非常に大切にした

⑤ 逆に中国や李氏朝鮮で一番大切にされて来たのは読書人階層であり、彼等は自分の手でものを触ったり、つくったりは絶対にしなかった(想像力の欠如)

⑥ 旺盛な町人たちの経済力により世界的にも名だたる芸術を生み出した日本は、シェイクスピア劇に登場する人物の多くが王侯・貴族であるのと対照的

⑦ 当時の日本人の識字率は世界最高のレベルであり、その知能レベルの高さに大きく貢献したのが“寺小屋教育”であった

⑧ 江戸時代の特徴は、庶民の旅行が非常に盛んであった点で、お伊勢参りを名目に何千万人の庶民が旅行を楽しんでいた。

⑨ 当時の江戸は世界のどの都市よりも、飲料水に恵まれていた。家康は新たな都市として江戸を建設するにあたり、良質の飲料水の確保に全力を尽くした。

⑩ 日本は古来その精神文化の中で、“物心ともに清明を求める文化”を貫いてきており、日本語のなかで「心」の文字が最も多く用いられてきた。

3.「明治維新は革命であったか?」という興味深い課題を検討するに当たり、一般的な革命の特徴が8点挙げられている。その中で7点は明治維新にも共通するが、ただ1点「旧体制のボスを処刑する」という最も革命的な特徴が当てはまらないことから、明治維新は「革命=Revolution」ではなく、「改革=Reformation」であったと結論付けられているが、これは妥当と思われる。

4.歴史学者磯田通史の次のような徳川時代の評価は面白い。

265年続いた江戸幕府の根幹を支えていたものは、何よりも江戸人のメンタリティーであり、「パックス徳川」「徳川の平和」の根底にあるのは「生命の尊重」という価値基準である。これは「命を大切にする」という江戸時代に新たに見いだされ醸成された新たな価値観であった、

5.江戸時代初期の30年間は、本当の意味での「徳川の平和」が訪れるまでの助走期間であったとの磯田氏の解釈が紹介されている。1563年に来日したポルトガルの宣教師に「日本では人殺しは普通のことである」とも書かれた程の日本において、その後265年間も平和が続いたのはこの助走期間が存在していたからだとのこと。徳川幕府はこの30年の助走期間の間に武力・武威による全国支配を固めていったが、戦国と江戸の間には深い断層があり、江戸時代初期は、その断層に「人命を尊ぶ」という風穴を開けた時代でもあったと。

6.参考文献Aとして紹介された「日本の奇跡、中韓の悲劇」の題名の前半については本文で上記のとおり詳しく分析されているが、後半部分「中韓の悲劇」については

①万世一系の天皇を仰ぐ日本と易姓革命で天子を交代させて来た隣国の歴史の違いから両国の民族的・伝統的思考の差が生まれた

②中韓では自分の手でものを触ったり、つくったりは絶対にしない「読書人階層」が一番上の階層に位置つけられていた

③職人は官吏人階級よりも下の階層に位置付けられ軽蔑の対象となっていた

以上の3つのFactorsが中韓の悲劇を齎せたということか?

7.家康は、自分自身や孫の教育について、剣術には冷淡であったが、水泳には熱心であったとして、本文に述べられている理由が面白い

最後に脇道へ逸れるが、島原の乱の記述を読んでいて突然思い出したのは、Q新海君が高校3年生の卒業直前の秋の学校祭でこの劇の主役(天草四郎)を演じたことである。彼は僕と高校同クラスだったが、受験勉強そっちのけで毎日放課後は台詞を覚え演技の練習に励み、本番で大役を演じきったのは見事だった。東大仏文科からNHKのディレクターになった同じクラスのK君が日本史で習った島原の乱に感動し、自分で脚本を書いてクラスの仲間に演じさせた。「島原の乱は幕府や支配階層の武士が多大なコストを払う結果となり、武断から仁政への愛民思想の芽生えとなった」(磯田氏)との歴史的意義が、65年前日本史勉強中の高校生の心に強く響いたのか。

僕は最近、読書をしていても想いが直ぐに昔のことに飛んでしまう、老齢化の所為か、困ったことだ。

以 上

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