九塞溝・黄龍を訪ねて(多摩湖線第15号)

P大谷 清 2018.1.14アップ

はじめにその景観を知ったのは、NHKのテレビ番組だった。美しい森林地帯に点在する湖沼群、清流が流れ落ちる水面は緑と青色の微妙な階調を作り、石灰岩が作り上げた棚田が段丘状に連なっている。辺りは標高2~3千米の高地で、住民の殆どはチベット民族という。遥かに白銀の高峰を望む「天海の秘境」と紹介された中国のこの風景に一目で魅せられてしまった。

北京に駐在していた当時、敦煌・嘉峪関・昆明・景洪・桂林・西双版納・楽山・承徳・撫順・ハルピンなど、随分遠方まで旅行したが、中国にこんな風景があるとは、聞いたこともなかった。現地で発行されている旅行案内書「中国旅遊図」などにも、この土地のことは全く書かれていない。地元の住民以外に全く知られてなかったこの場所は、中国の写真家や森林伐採に入った人々を通じて次第に知られるところとなり、1992年にはユネスコの世界自然遺産として登録されるまでになった。中国は本当に大きな国なんだと納得したものの、妙に気になっていた。

昼休みに有楽町界隈を散策がてら、JALプラザを覗いていたら、偶々この風景写真に再会した。聞けば九寨溝には飛行場が出来ており、普通に行けますよとのこと。但し、高地なのでフライトは天候に左右されるのと、高度障害の心配もありある程度体力も必要という。限られた休暇日数では問題な行き先だということは、以前ヒマラヤに行った経験で充分承知している。しかし、元気なうちに行かないとチャンスを逃すという気持が理性を上回り、僅か三日間の休暇と週末を利用して決行することにした。

その土地は九寨溝(きゅうさいこう、Jiuzhaigou)と呼ぶ。四川省にあり、ジャイアントパンダや四川ターキンの生息地である。省都・成都から北へ(路線距離で)約440キロ、西側はチベットに連なる原生林地帯にある。手許にある大きな「中華人民共和国地図」(地図出版社1984年発行、幅160センチ)を見ても、この地名はなく、周辺は大方白地になっている。

出発した昨年8月19日は、朝から暑い日だった。保土ヶ谷駅までタクシーに乗り、横浜駅で朝一番のスカイライナー(6時26分発)に乗り換え、成田に向かう。ぎりぎり出発のフライトに間に合い、広州に向かう。交易会や香港との往復時に何度か訪ねたところだが、空港は全く新しく大きくなっていた。北京空港より大きいというが、ここで成都までのフライトを3時間も待つことになった。夕方遅く、成都(ホテル・ソフィテル)に着いたときは疲労困憊だった。

翌日は九寨溝に向かうため、早朝にホテルを出発する。幸い1時間程度の遅れで飛行機は飛び立った。雲間に見える眼下は森林か草地で眼に優しい。40分程度のフライトで見事九寨溝の空港(九黄空港、2002年通航と現地の案内書にある)に到着した。幾分か寒いと感じる程度で、早速小さなバスに乗って黄龍に向かう。町も人影も殆ど見当たらない草原状の土地をどんどん走る。道路は舗装され、車も少なく結構快適なドライブだ。途中、川主寺という集落(町?)で住家や商店に出会う。中国共産党の長征に関係した場所らしいが、ガイドの説明は良く分からなかった。でもこんな土地を歩いて越えたのが長征か、これなら敵だって追って来れないな、ということが実感できるような場所だった。標高4,200米の峠を越え、黄龍(中国語ではHuanglongと読む)まで約2時間かかった。

入口に立派なゲートがあり、150元(予め東京三菱銀行で両替したのは1元=15.84円だったから、2,376円)の入園料を支払う。ここから本番の参観が始まる。ワイフは籠に乗って黄龍観光することにして、屈強な現地の男二人が担ぐ籠に乗る(料金は往復440元、約7千円)。僕は勿論歩いて登るが、コースは別のルートだという。言葉が全く分からないところで、現地人に何処へ連れて行かれるやら、彼女も不安が一杯で緊張している。こちらも心配だが、容赦ない。一人黄龍観光に向かって歩き出す。後で分かったことだが、世界遺産とは周辺の環境破壊を徹底して避けるため、観光客の通るところ(遊覧道)はむしろひどく制限するので、歩く道は迷う余地がなかった。コースはひたすら上りばかり。森林の中、渓流が迫り、石灰質の堆積物が作り出す美しい棚田状の景観が見えてきた。地形や色・形の違う湖沼群が続々と連なっている。迎賓彩地・盆景池・明鏡倒映池・映月彩池など、いかにも中国らしいネーミングの素晴らしい景観が次々と現われる。ひとつひとつ歩いて上るので、保土ヶ谷を出発以来殆ど休養をとっていない体には次第に疲労が感じられる。写真を撮るのも程程に最終ゴールの五彩池(標高3,600米)を目指す。所要1時間40分で到着、標準より大分早い。まだ足は大丈夫と自信が持てた。明代の創建という黄龍寺を回り、五彩池周辺の素晴らしい景観を楽しみながら貴重な40分を過ごした。天気が良いと、岷山山脈の最高峰雪宝頂(標高5,588米)の白銀峰を遥かに望める筈だが、当日はぼんやり霞んで見えるだけだった。下りは写真を撮りながら、休むことなく歩き続けて1時間余で出発地に戻った。基地のホテルでは意外に元気なワイフが待っていた。僕より先に帰ったということは、一番上まで行かなかったのだろうと思ったが、ちゃんと行ったと言う。聞けば籠かきは(二人とは言え)ワイフを乗せて僕より余程早く歩くらしい。もっとも彼らのルートは急坂だが幾分ショートカットらしい。要所では停まって、写真まで撮らせてくれたそうで、観光客の扱いは慣れた様子だった。

次はもと来た道を辿って、九寨溝のホテルに向かう。これがなんと130キロも離れており、疲れがどっと出てひたすら眠るが如く耐えていた。再び標高4千米の峠を越え、行けども行けども走っている。途中で気分が悪くなり吐きそうになったので、車を止めてもらい外に出たが、結局何も出なかった。運転手は典型的な高山病(高度障害)だから、酸素マスクを使えと言う。生れて初めて用意した酸素ボンベを開けたが、性能はあまり良くない代物だった。やっと到着したホテルは九寨溝シェラトンで、五つ星級の立派なものだった。久し振りに快眠し、翌日はいよいよ九寨溝観光に向かう。

九寨溝も渓谷の入口に立派な管理局があり、入場料220元(約3,484円)を支払う。ここは入口からシャトルバス(料金90元、約1,425円)が出ており、観光客は順番に定員制のエコバスで上部の観光に向かう。ここも樹正群海・老虎海・珍珠灘・鏡海・熊猫海・盆景灘などと名が付けられた見事な景観が展開する。観光客は任意の場所でバスを降り、少し又は結構歩いて目的の観光スポットに向かう。湖沼(中国語では海子という)・樹海・瀑布のスケールは黄龍より大きく、水量も豊富で迫力がある。写真を撮る場所が無数にあり、季節ごとに豊富な画材を提供するという。入口から一番奥の長海(海抜3,103米)まで上り道が32.5キロ(枝道も含め、自動車道の総延長は55キロも)あるそうだ。各観光スポットにバス停があり、観光客はひっきりなしに往来するシャトルバスを使って次の目的地に自在に移動できるシステムになっている。

感心したのは観光客用の歩道で、ちょうど尾瀬の木道と似たものをずっと幅広くして金網が張ってある。ところどころ水のかかり易い場所では、この金網が滑り止めにもなり歩き易いものだった。大変な労力を要した筈の木道がどのスポットでも延々と設置されているのにびっくりする。ユネスコの世界遺産は登録要件として、環境保全のため必要な投資をむしろ求めたのだろう。地元はこれらの建設で相当の労働力を活用出来たうえ、完成後は途方もない観光収入が期待できる、という仕掛けなのだ。道路・空港・ホテルなど莫大なインフラ投資をしても、それに見合う観光収入が期待される。地域の所得水準を引き上げる絶好のプロジェクトに思える。観光資源を有効活用する新制中国のしたたかな活力を痛感する。

木道を歩いていた時、地元の人が補修やゴミの管理をしているのを見かけた。もともと現金収入が限られていた場所だから、年間30万人を越える観光客のもたらす恩恵は大変なものではなかろうか。森林地帯をずいぶん走ったが、耕作地を全く見かけないので、何故かとガイドに聞いてみた。「畑はもう作らせません。木材伐採も禁止です。自然の豊かな環境を保全するのです」と、答えは意外なものだった。

その夜、シェラトンホテルに付設された民族歌舞団の公演を見に行った。大舞台に少数民族の躍動感溢れる歌舞が展開し、聴衆も立ち上がって盛んにエールを送っていた。後で見た成都の四川伝統芸能「川劇」と比べ、芸術性はともかく野性味あふれた活発なものだった。料金は190元(約3,009円)と現地の物価水準では破格のもので、観光客相手のプロジェクトなのだろう。

第3日は成都に帰る日で、早々に九寨溝の空港に向かう。これが又九寨溝のホテルから2時間もかかるロングドライブだった上に、空港では恐れていたことが現実となった。天候が悪く、僕らの乗る飛行機はまだ成都を出ていないという。所在無く待つ間、ヒマラヤのように結局今日は飛びません、なんて悪夢が蘇った。結局、4時間近く待つことになったが、幸いその日に成都に戻ることができた。昨夏の小さな冒険旅行だったが、あこがれの景観をこの眼で見た、という充実感は今も残っている。

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