羽島兄作品集への感想…Q下條剛一2017.5.22
[吉田 茂の自問]への感想 Q下條剛一2016.9.26・田中慎造 2016.9.28
椿姫出演 下條剛一
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2017.11.3 start
羽島兄作品集への感想
Q下條 剛一 2017.5.22
33Q 会の後、じっくり羽島兄の一連の写真集シリーズを拝見しました。
特に、Form の美しさはには、目を見張るものがあります。
羽島兄の「神戸散策」「Paris 2000」 「Budapest Wien Salzburg Plague 1997」については、羽島兄のタイトルは全て小生馴染みの土地ではありましたが、対象となる被写体を見て、只 気に入った絵葉書的景色をカメラに収めるだけの小生とは違って、
羽島兄独特の基準を持った眼で、対象の観察をする洞察力というか、鑑賞力というか、兎に角「力」を感じました。
「Form」は、33Q会で写真集として戴き、改めて拝見しました。
悲しい現実を美に昇華させた羽島兄の力量に脱帽します。
隴を得て蜀を望むの類かも知れませんが、観る者に訴えてくる白鳥のいじらしさ、
苦しみ、美しさを更に強調するため、そして見る者の理解を深めるために、
写真に「一行のコメント」があれば、さらに効果的ではないのかなと愚考しましたが、もう一つ、カメラとレンズのスペックを加えるのはどうだろうかと思いましたが、素人考えか? 教えてください。
********感想の感想****************************************
Q 森 正之
瞠目すべき作品集ですね。
33Q会の席で「Formの彼女たちはどれくらいの距離?」とうっかり聞いてしまいましたが、「10メートル位」とあっさり教えてくれました。
彼は芦屋写真倶楽部のメンバーで海外の写真家とも交流があり、神戸大写真部OBや若い男女学生たちの中で日常活動に励んでいます。
神戸大写真部の部室は私も入ったことがありますが、書棚に書籍が整然と並び、写真に取組む姿勢に敬服しました。
彼に教えられることは多々あります。(写真だけでなく)
燦々P&Qネットでは余りデータ的なことは公表しないと思います。
直接メールで聞いて下さい。
または33Qの2~3次会あたりで、なにかのついでにさり気なく聞いてみたらどうでしょうか。彼は新しい機材など積極的に使っています。
Formの極彩色の表紙は忘れられないですね。
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先日の「対馬壱岐への旅行」で感じたこと-フレイユ先伸ばしを願っての旅第2弾 Q坂本幸雄 2016.10.4
壱岐対馬風景等LINK 2016.10.6
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坂本兄
下條 剛一 2016.10.7
何時も 一橋33Qnetでの貴兄の健筆ぶりを拝読し、その弛まぬ探求心と読書熱に敬服しております。
今回の「対馬壱岐旅行」の寄稿は、小生の祖父が偶々壱岐出身のため、一層興味深く拝読しました。
東洋一と称されている黒崎砲台が対岸の対馬の砲台と呼応して、戦略上重要拠点と見做されていたこと、よく理解できました。しかも、この砲台の建設の時期が、1927年(昭和2年)から1933年(昭和8年)だったとは、当時の軍部の時代錯誤的発想に驚かされました。さはさりながら、日本列島の防人として、時の流れにもまれながらも、逞しく生きてきた島の存在を再認識しました。
祖父の実家は、島の東南にある壱岐空港の近くの石田町印通寺(港)ですので、貴兄が泊まった郷ノ浦とは反対側ですが、壱岐は何処でも海産物に恵まれいて、それがとてつもなく美味いと、祖父が何時も言っていたのを思い出しました。
又、電力の鬼と言われた松永安左エ門氏とは同じ町内で、祖父の方が10才ぐらい若輩でしたが、しばらくの間、年賀状の交換していた模様で、「松永さんは偉くなったもんだ」と言っていたのを覚えています。
貴兄の旅行記に促されて、壱岐方面への初旅を計画したいと思います。
Qクラスの「赤とんぼ」で、貴兄が原爆で犠牲となった肉親の皆さんへの思いを綴った文章は、未だに小生の頭の片隅に健在です。
今後とも、貴兄の筆捌きに期待申し上げます。
下條 剛一
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下條さん 2016.10.8
・今回の小生の拙い旅行記への返信ありがとうございます。
・壱岐が貴兄のおじいちゃんの故郷とは、「びっくりポン」ですね。
・おじいちゃんの言葉の如く、壱岐の“海里村上”で味わった素晴らしい料理のお蔭で、この島は、その自然の風景だけでなく鮑、サザエ、剣先イカ、つぶ貝、赤うに、あらがき、壱岐牛、更に様々な野菜・くだものなど、実に豊かな海と陸の幸にも恵まれたところで、2,3日滞在の旅人にも、ここは本当に天国ようなところに思えたのです。貴兄の場合、ご先祖様のルーツ探しというもう一つの意味も含めて、何がさて置き、是非訪問してください。間違いなく感激するでしょう。
・島の観光の際、九電の火力発電所の近くを通るとき、ガイドさんから、重油をメインにした島の電力事情の説明の序に、あの松永安左エ門氏がこの島の出身者であることの説明があり、この島の風土は、また凄い人材をも生み出しているのだなぁ、と感嘆しました。貴兄のメールにある如く、「日本列島の防人として、時の流れにもまれながらも、逞しく生きてきた島の存在」がかくも素晴らしき人物を生み出す壱岐の気風ともなったのでありましょう。
坂本
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[吉田 茂の自問] Q田中慎造 2016.9.25・・・
田中 慎造 兄
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・下條 剛一 2016.9.26
掲題の貴殿の力作を拝見しました。
十年前の受講記録とは言え、今日でも、いや永遠に生きるテーマで、感心しました。
小生も以前より、満州事変、支那事変、太平洋戦争の原因について関心を持っていましたので、
実に興味深く読ませてもらいました。
特に、日本が国際連盟脱退のきっかけとなったリットン調査団報告書(訳文)は数年前じっくり
読んだ記憶があります。
確か論点として、下記のような趣旨だったと思います。
〇 柳条湖事件とその後の日本軍の活動は自衛行為とは言い難い(つまり、侵略行為)。
〇 日本の満州における既得権益、居住権、商権は認める。
〇 中華民国の満州に関する名目的主権は認めるが、民国の統治能力が乏しい状況下、
国際連盟の委任統治とする。
このリットン調査報告書の提言は、冷静に考えると中々良く出来ていると解釈されるのですが、
時の日本政府、特に軍部は血が頭に上ってカッとなり、連盟脱退となってしまい、日本が
世界の厄介者と見做される結果となってしまったのですね。
貴兄の寄稿に触発されて、又、歴史の勉強に力を入れたいと思っています。
下條 剛一
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下 條 兄
前略、申し遅れましたが、貴兄のコメント中の指摘(リットン調査団報告の中心論点の第一項、自衛権)により、 1933.2.24の連盟総会で、松岡代表が大演説をぶった三点の論旨が、小生に明瞭に理解できましたこと、深く御礼申し上げます。
英国は、この大義をもって、アヘン戦争(1840~42)以来、数々の権益を中国より取得しており、日本の主張も一理あるものの、米国の参入や時代の変化により、このような折衷案(1~3項)となったと考えられます。 貴兄の申すとおり、日本がこれを許容すれば、別の良き将来があったでしょう。
まずは御礼まで。 田中拝 2016.9.28
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[吉田 茂の自問] Q田中慎造 2016.9.25
近況等、自由原稿依頼しました(森)。
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2017.11.3 start