僕の冬の過ごし方

戸松孝夫

僕の冬の過ごし方

2018年1月25日

戸松孝夫

ハガキでの年賀状を正月に読むことが出来なくなってから13年になる。賀状を送って下さった方々には失礼だが、毎年3月中旬に、賞味期限が切れてから拝読させてもらっている。理由は僕は渡り鳥の如く毎年冬の寒い3ヵ月間は南の地で過ごしているためだ。僕の体型をご存知の方には容易に理解して頂けると思うが、学生時代からの激痩せ体型のまま歳をとってしまったので、皮下脂肪が付いておらず、内地の冬の寒さが身にこたえるのである。若い頃はエネルギーが体内から発散されるので、外部からの冷気に耐えることにさほど問題はなかった。極寒のデトロイトやニューヨークの冬も平気で過ごしていた。しかしその後、老化現象の自然の結果として、徐々に体内での熱の生産力が弱くなってきたようで、尋常に冬を越すのが難しくなってきたわけだ。

70歳の冬に初めて暖かい米国フロリダで過ごしてみたが、ここは大変快適だった。しかしここでも、老齢化に伴う新しい第二の問題に直面した。「時差」の克服という壁にぶつかり、往きもかえりも目的地到着後に数日間苦しんだ。現役時代は仕事柄、時差を乗り越えて地球上を東西あちこちへ移動し、目的地に着いたらその足で仕事場に直行して、夜まで働くことに苦痛を感じることはなかったのに、と齢をとったことを恨めしく思った。爾来僕は時差がある欧米行きは諦めざるを得ず、海外旅行は地球を縦に、つまり南北のみに、動くことにして、翌年の冬は昔暮らしたオーストラリアで、翌々年は時差の小さいニュージーランドで、南半球の夏を楽しんだ。

ところがここでまた新たな第三の問題に直面した。退職金を全部はたいて岡山の山間地に「趣味の家」を買ってしまい貯金もなく、年金以外に収入のない身には3ヵ月間のホテル代の支出は日常生活上の大きな圧迫材料になることが判明した。この克服策として思いついたのが、生活費の高い先進国で冬場をやり過ごすのではなく、開発途上国の一般人向けホテルで寒さを凌ぐことに切り替えるというアイデアだった。しかしこれまで東南アジアで暮らすことなどは全く念頭になかったので、具体策が判らず、定年後マレーシアに移住していた会社の同僚を訪ねて知恵を借りた。そこで得た新しい情報というのは:

① 日本人定年退職者が、マレーシア政府の優遇策を利用して、相当数マレーシアに移住している

② 物価が安いから経済的にも年金で楽に暮らせる

③ 会員制で長期格別割引制度のある近代的ホテルが幾つかあり、欧州からも長期の旅行者が少なからず滞在している

実際に友人を含め多くの日本人が快適に生活をしている現場を観て、「東南アジアは後進国で、日本人が暮らすには不適当な生活環境」との従来のマイナスのイメージが払拭された。

この結果として、その後5年間、冬は毎年2-3ヶ月マレーシアに滞在することになった。但し首府のクアラルンプールは忙しい大都会だから敬遠して、西のペナン島と東のボルネオ島(北海岸のコタキナバル)で毎日海を眺めながら静かに過ごしていた。その時にペナン島で会った日本の年金生活者から「マレーシアは物価が高いから泰へ行った方がいいよ。でも首都のバンコクは人間がうじゃうじゃ居るから、北部の旧都チェンマイを薦めたい」といわれた。好奇心だけは歳をとっても衰えておらず、何でも新しいものは自分で試してみないと気が済まない性質だから、早速翌年チェンマイに行ってみたが、このアドバイスは正解で、結局その後の三冬を泰王国の古都で過ごすことになる。

確かに泰は物価が強烈に安く、治安も問題なく快適に生活出来た。チェンマイは「知る人ぞ知る」という穴場で日本人年金生活者が多いことに驚いた。これを目当てに新しいホテルの建設ラッシュで街は活気立っていた。当時チェンマイ在住の日本人年金生活者が二つのグループに分かれていたのは面白い。一つ目は自分たちを「年金難民」と称して、日本の公的年金では物価の高い母国で暮らせないので、難民としてここへ流れてきたのだとするグループで、彼等の中には身内・親戚の関係で日本を完全に脱出することは出来ず、毎年半年間を安いタイで暮らして年金の一部を貯金し、その貯金であとの半年の日本での生活費の不足分を補うという、いわば出稼ぎ組(といってもタイでは労働許可がないと働けないから、収入を得るのではなく、支出を抑える生活)も居た。タイに来ていた二つ目のグループは、公的年金以外に企業年金等の収入があり、日本でも生活に不自由はないが、ただ贅沢をしたいがために冬の数か月間チェンマイに来て豪華な生活を楽しむという連中であった。

これで時差の苦しみと経済上の問題は完全に解決されたので、引き続き東南アジアで冬籠りをすべきであったのだが、新たに第四の問題に突き当たった。老齢化に伴う医療問題が心配になってきたのである。外地で冬眠生活を開始してから十年間に二度医者の世話になった。一度目はコタキナバルで野犬に噛まれ(同地には、昔の日本と同じように生存している犬は全て放し飼い)、狂犬病の疑いありとの永住日本人の忠告で、即座に現地の医者に看てもらったこと。二度目は、シンガポールから神戸までアメリカの客船で帰ってきた折、原因不明で船の中でぶっ倒れ、船内専属のヤブ医者の世話になり9万円もぶんどられたこと。外地で治療を受けた場合、日本の健康保険法では医者の詳細なレポートがあれば、同じ治療を日本で受けた場合の金額の70%を返してくれる。これに基づき船医の9万円のうち2万円ばかりは健保で戻ってきたが、問題は日本の役人は英語が判らないとして日本語の診断書提出を求められたことである。外国の医者からもらえる筈はないから、これは非現実的な規則ではないかと役所と交渉し、取敢えずは然るべき翻訳をつけることで本件は落着した。しかし今後海外で医者にかかる度にこんなに面倒な手続きが必要なのでは意味がない(しかも治療費は僅かな率しか戻らず)。更には言葉がうまく通じない外人の医者の診察を受けるのはもどかしい。老体の精神衛生上も好ましくない。

このため4年前、パスポート期限切れを機会に外国行きは一切諦め、冬眠先を日本国内の暖かい場所、沖縄辺りに切り替えることを真剣に考え始めた。(冬眠生活を止めることは僕にとっては「死」を意味するから考慮外)。しかし物価が高い日本では上記第二の問題点のように3ヶ月間のホテル滞在は年金生活者には非現実的であることは判っていた。この頃たまたま京都へ遊びに来ていたP大谷君から短期賃貸マンションに滞在している話を聞き、僕にとっては新しい情報だったが、これを利用してみようと思った。前記のマレーシアを選んだ経緯もそうだが、僕は親しい友人からの情報に基づき意思決定をすることが多い。今の世の中、殆どのことはネット検索で判るが、未知のことにつきネット情報だけで決めるのは危険だと思う。信頼できる人の体験談に基づき、詳しい点をネット検索するのがよいだろう。

こうして4年前の冬、那覇と石垣島の7つの短期賃貸マンションを週単位でネット予約し、それぞれで滞在体験をしてみて、現在住んでいるマンションを永代冬眠先に選んだ。選択基準は

① 海に面している

② 道路には面していない静かな部屋

③ 最上階の眺めがよい角部屋

④ スーパーやコンビニに近い

⑤ 生活に必要な設備・道具が一切揃っている

因みに家賃は月10万円、光熱費は実費、掃除代1回1万円、事務手数料1万円也。

この部屋を僕は毎年12月中旬から3月中旬の3ヶ月永代予約した。保証としては、毎年僕個人の荷物すべてをマンションに残す。(これはチェンマイで日本人から学んだ知恵で、往復の道程は軽い手荷物又はリュックサック一つで足りるから便利。チェンマイには自分の車も毎年ホテルに残してゆく豪快なリピーターも居た)

住所は石垣市登野城530-6、シースケープ605号室。

序いでながら、最近新等聞でも時々明示されている尖閣諸島の住所は僕と同じ町名で、石垣島市登野城2390から2394番までの5つの番地が順番に、魚釣島など五つの小島に付いている。日本の領土であることをアピールするために、わざわざ新聞で表示しているようだが、新聞社が自主的にしているのか、或いは政府の指導かは不明。

石垣島は沖縄本島からも400キロ南に在り、地理的に亜熱帯に属する日本唯一の場所だから、冬も暖かく常に摂氏20度前後。関西空港からは格安航空機(全機体が派手な桃色のピーチ航空)が飛んでいるので、早めに上手く予約すると片道1万円以下で利用できる。七-八年前LCC(格安航空)なるものが世に出てから、僕はタイ、マレーシアへ通うのも常に格安を使ってきた。余談ながら、最近は上京するのも成田空港・関西空港間格安便に乗っているから新幹線よりも安い。事故の可能性は大きいだろうし、事故の場合の命の値段も安く評価されるだろうが、この歳になっては命なんてどうでもよい。

滞在中の島内での足は、最初の年はレンタカーを使ったが、2年目からは自分の足と公共バスだけ。毎日1万歩くらいは歩いているが、最近、老齢化の所為で身体のバランス保持が難しくなり、時々、道で転びそうになる。僕には骨粗しょう症の持病があり、過去20年間に二回の骨折・入院をしており(背中と腰)、今度転んだら寝たきりになるから遠出の旅行などは止めよ、とかかりつけの医者から忠告を受けている。しかし止める気はないので、最後に僕の冬眠生活を妨害する第五の事由になるのは骨折かなとも思っている。

今年で13回目になる僕の冬眠に女房が付き合ってくれたのは、最初の4回だけ。奴は先進国での生活が長かったためか「自分の家に居るよりも快適な生活が送れることだけが旅行の目的」だとする価値観にspoilされており、観光とか異文化との接触には興味がなく、僕の価値観とは相容れない。従って先進国での滞在には喜んで付いてきたが、第4回目のペナンでの経験から、後進国には絶対に行かないと決めてしまったようである。①ペナンは街の中が汚いこと(これは東南アジアどこでも共通だが)と、②バスが扉を開けたまま走っていたこと、が決定打になってしまった。(当時ペナン島には冷房バスなど存在せず、厳しい運行規則もないから、扉を開けて車内に涼しい風を入れていた)。

僕が冬眠先を東南アジアから石垣島に変更したので、今度は付いてくるかと思ったが、奴は新しい拒絶理由を見つけ出した。「老犬(現在17歳)の世話をしなくてはならない、旦那は自分で動けるから、優先順位は2番目」という屁理屈で、僕は毎年冬の3ヵ月間は、この歳になっての単身赴任である。昨年はQ萬野君等国際部仲間三組の夫妻が慰めに来てくれた。今年はQ坂本君が一週間の石垣島豪華旅行をされるようだが、4月とのことで、僕の冬眠時期とはずれる。当ネットワーク仲間の誰か他に来てくれないかな。な。

以上

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