Q坂本幸雄 2017.12.7
・田中さんと戸松さんの「歴史と歴史小説」の関するそれぞれの論調を面白く拝見しました。
またこのような相互交信が「33PQネット」で自由に行われるこのサイトの素晴らしさも実感致しました。これぞまさに、お互いのフランクな「落書き帖」の効用だと思いました。
・田中さんの論調は、最近小生が投稿した「塩野七生著"逆襲される文明-日本人へⅣ"を読んで」に関し、その記述内容の疑問を問い質すべく、グーグル検索などを試みながらも、納得の得られる記述に辿り着くことができなかったことから、歴史小説などの浮薄な記述を鵜呑みにしてはならないとの主張であるようにも思いました。トコトン自分が納得するまで、様々な資料を検索されるその姿勢には深く敬服致しました。
・また戸松さんからは、『「ローマ人の物語」を楽しんで読むことと、これが歴史、科学としての歴史であると考える事は別物であるとは厳しい批評。
学生時代ならともかく、我々の年齢になると、歴史の研究は無理で、歴史小説家の口当たりが良い書き物を読む以上には頭脳が回転しないのが悲しい現実ではなかろうか』との評論もありました。
・小生は田中さんの論調に下記のように考えました。
まずは、「“歴史”と“歴史小説”を同列に論じてよいものであろうか?」との疑問であります。
確か磯田道史氏の本にあった記述だったと思いますが、歴史に関し次のように書かれていました。「今や歴史学は、自然科学と同じで、日々新たな史実の発掘で、歴史の解釈・理解も日進月歩の進化を遂げているものである」。
確かに、磯田氏はその主張を裏付けるかのように、自らが発掘した歴史の“古層”から新たな歴史の解釈を行っておられます。それはまさに「歴史学」であろうか、と思います。
・一方、歴史小説には、史実をどの様に解釈するかという、作者の創意工夫によって、点と点の集合である史実を、楽しい読み物として、それを線に繋げ、更には面として拡大し、一般大衆に歴史の面白さを教えるという面で大きな効用があろうかと思います。
・磯田さんの著書に「司馬遼太郎で学ぶ日本史」という本があります。その本の19pに司馬サン、海音寺潮五郎氏、吉村明氏などの歴史小説を論じ、『歴史小説執筆の戦略の基本として語られる言葉に「着眼大局。着手小局」(全体を大きく見て戦略を構想し、実践では小さなことを積み重ねていく)
という表現があります』。司馬さんなどはまさにこの言葉に相応しい作家であります。司馬サンは、時代全体の在り方や時代精神を天の高みから俯瞰して、そこから落下傘降下するように時代のディテールに迫る。逆に吉村さんなどは、小局に着手して結果として大局が見えてくる手法である。吉村さんの文学からは、地を這う史料探査で事実を突き詰め、そこから読者に歴史の実相を悟らせます。(吉村氏の小説の例として“戦艦武蔵”や“桜田門外の変”が挙げられている)
・小生は以下のことを思い出したのです。「司馬サンが、氏のある論評に、あの満州事変を勝手にひき起こした昭和の帝国陸軍の、終戦に至るまでの歴史の総括を“鬼胎”という言葉を使って表現されていたことを。そして、それを読んだ時に、小生はこの“鬼胎”という言葉にあの時代の忌まわしい陸軍の本質が凝縮して理解できたように思ったのです」。これなどは、やはり“司馬史観”と呼ばれるに相応しい歴史小説の効用だろうと思います。
・このように歴史小説・時代小説などの史伝文学には、その作家の歴史感、創意工夫、表現力などに助けられ、中学や高校などで史実を年代で覚えさせられるような歴史勉強よりも、よほど歴史を、大局的に、より深く、面白く学ぶ上で大きな効用があると思います。一般大衆のわれわれには、歴史作家のように、史実を「着眼大局。着手小局」的に捉える能力や構想力には欠けているのです。われわれ大衆は、その欠落しているところを、歴史作家に見事に補って頂き、歴史を面白く、かつ、深く理解させて頂いているのでありましょう。
・小生は、上記の司馬サン、海音寺潮五郎氏、吉村明氏の歴史小説は、ほぼ全編読み終えて以来、歴史小説の面白さから大分遠ざかっていました。が、最近読んだ「池宮彰一郎氏の“四十七人の刺客”」の面白さとその表現力の巧みさに魅せられ、これからも氏の小説「高杉晋作」「島津奔る」「最後の忠臣蔵」「天下騒乱」などをひき続き読む計画です。「池宮彰一郎氏の、韻律を含み、声を出して読みたくなるほどのその表現力」は、史実羅列の多くの「歴史書」では到底味わえないほどの大きな魅力があります。
・少々長くなりましたが、最後に蛇足ながら、小生が歴史小説を読むようになった“きっかけ”について述べさせていただきます。
・それはS42年のことであります。戦後の保護貿易体制から、貿易の自由化へと国の政策が転換されたのであります。その貿易自由化に備え小生のS社も外国産の酒類を取り扱う準備中の折、最初に取り扱いの始まったデンマークのツボルグビールの担当者ブレッド・ホールド氏(氏は名刺に“武礼徒保留土”と漢字の名前を併記していたほどの日本通)と接触するようになりました。その彼が、小生に日本語で「坂本さん。日本の船は、みな、何故“何々丸”と“丸”がついているのですか」と訊かれ、即答できなかったのです。そこで、「外国人ですら日本の歴史を勉強しているのに、なんと恥ずかしいことか」と思ったのです。そこで最初に読んだ歴史小説が、その頃新進作家として頭角を現していた司馬サンの「竜馬がゆく」でした。
そして、その面白さに嵌って司馬サンの本は、その後評論なども含めほとんど読破したのです。その意味で、小生は日本歴史に関しては、些かの知識ながらも、そのほとんどが歴史小説で学んだように思っているところであります。(坂本幸雄 H29.12.7記)