大田弘子さん(日経マイ・ストーリー2018.1.14)

Q坂本幸雄2018.2.13

日経新聞の2頁 見開きの大きさで取り上げられた大田弘子さんの「マイストーリー」の新聞の紹介には次のように書かれている。

安倍・福田両内閣で経済・財政担当相を務め、今も政府の規制改革推進議長として未来を切り開く制度づくりに尽力。異才の学者、大田弘子さんは、築いたそのキャリアにとらわれない。難しい仕事に誘われるまま“まな板の上”に乗り、新しい自分を見つける。

以下はその思考柔軟で経験豊かな大田女史のマイ・ストーリーの要約・紹介です。

<好奇心旺盛>

・大田さんは大学教授なのに、自分のことを「学者」と呼ばない。民間の研究員から客員としてスカウトされ、博士号を取得するような道のりを歩んでいないから自らは「はぐれものの謙虚さです」という。だが、そのはぐれものが半端でない。今でも上記の政府の役割のほか、みずほフイナンシャルGの取締役議長、パナソニックなどの社外取締役を兼務。好奇心旺盛で、ただ襖を開いて、そこに飛び込む。常に平気でまな板の鯉になれるんです」という。乗らなくてもいいまな板になぜ乗るのか、という自問自答には、「自分が強いのか弱いのかもやってみなくては分からない」と思い、時には自分がこんなにも自意識過剰だったのかとも思う」と語る。そして「自分は成り行き任せの根無し草。ただ流れ着いた先では死力を尽くし、初めの世界で見たものを嬉しそうに語る。

<鶴丸高校時代>

・高校で入学した鹿児島の伝統校、鶴丸高校には知識よりも知性を育む校風があり、学んだことは「ずしんと染み付いているといい、特に記憶に残っているのは、化学の先生の「教養とは、はにかむことである」という述べ、「生半可がとうとうと正論を述べ、知識をひけらかすのは慎まなければならない」と諭された、という。そしてこの姿勢がまさに自分自身の生きる根っこになったとも言う。だから学界、官僚、政治、企業どこでも行っても、「自分のキャリアは中途半端です。大したことはないという意識から偉ぶらず、目の前の仕事に謙虚になれる、とも語っている。

<一橋大学から社会人へ>

・高校の先生が勧めたのが一橋大学。その先生が開いてくれた襖の奥は、男だらけのキャンパス。「運動がやりたいけど同好会は嫌い」という気持ちで陸上部を選んだ。部員50名のなかで、女性は自分一人だけ。紅一点であることを意識すらせず、豪快な体育会の空気になじんだ、と語る。社会人の道になると、襖を開けるとそこはそうそうたる面々になっていく。その社会生活では、高原寿美子さん(当時経済企画長長官)、本間正明教授(当時経済財政諮問会議民間議員)、牛尾治朗氏(ウシオ電機会長)などから知己を得て、安倍内閣の閣僚に推薦された。『「若い人は居場所がない」などと言うけれども、居場所は周りが決めることもある』とも思う。安倍首相に自分を推薦してくれた牛尾会長は「彼女は考え方が健全。曲解せずに物事を受け止めてくれるので安心できる」と評してくれた。

・このような経験から、「自分には特別の才能もないが、なぜ自分はこれほど多くの人々に見込まれたのか」と不思議に思う。「それを考えると、自分には、しがらみなくものが言える外の目“があるからではないかと思う。捨てるもものがないから、後先も考えない」。

・高校時代の校長はこう語った。「学問の本質は真理の探究だが、目的は”For Others“。政策は妥協。妥協できないと改革はできない。3歩進んだ2歩下がるなか、落としてはいけないことをいかに守るか。人々の生活や企業活動に響いていく。次への芽を残さないといけない。ひたすら理想を叫ぶのではなく、いつか歯車が回って実現する可能性を作る。

・今度ばかりはNOだと思った大臣も、どうせ死ぬんだったらやって見てもいいと思えた。なんでも面白がる南国の血。

<「いつも今が一番という気持ち」―それが、根無し草の自分自身の真骨頂>

・よく中学時代はよかった、高校時代はよかったとかが話題になるが、自分にはそんな気持ちはない。自分は人生のうち、いつも今が一番いいと思うが、この気持ちが根無し草の自分の真骨頂だと思う。

<飲む・食う・踊る>

・また当記事には「MY Charge:飲む・食う・踊る」という記事もあり、自分がこの20年間取り組んでいるダンスなどの紹介と併せて、故郷鹿児島の芋焼酎をこよなく愛して飲むことを次のように紹介している。銘柄で言えば、大好きな「八幡」や「伊左大泉」などを飲むと、「首の後ろのあたりの神経の緊張がふわっと解けるのがわかり、多忙で落ち込みやすい気持ちをホットさせる」と、愛飲する故郷の酒:焼酎の効用をとても具体的に書いておられるところからも、それがいかに彼女の精神回復剤として役立っているかが伺える。

・そして、この記事を彼女は次のように締め括っている。桜島のどーんと構えた威容に見守られて育ったためか「困難に直面しても何とかなるさ」と考えるようになりました。

感想:

・大田弘子さん(以下女史と記す)とは、小生と同じ鹿児島県出身で、その上、鶴丸高校、一橋大学の先輩・後輩という間柄ながらも、先輩としては、女史と比べるのも恥ずかしいほどに、彼女は全てに卓越した能力・体験を持つ光輝く素晴らしい後輩である。

・上記の自己紹介を通じての女史の人生の体験、考え方、その人生訓などを読んでみて、ふと連想したことは、この正月から始まったNHK 大河ドラマ「西郷どん」の西郷隆盛や大久保利通、あるいは、天下分け目の関ヶ原の戦いで、負け戦の中でも敵中突破を果たして、その後徳川幕府260年の間、薩摩藩のその政治的存在感を幕府に示し続けた島津義弘、はたまた、幕末の激動の中で西郷隆盛と共に、江戸城の無血開城をなしとげた天璋院や篤姫(いずれも薩摩半島の喜入と指宿の中間ほどの山間の“今泉郷”の出身)など、薩摩藩が日本の歴史の中にそれぞれに時の英傑として名を残した数々の偉人・英雄たちを連想させられるほどの爽やかな心意気である。大田女史はその心意気を“薩摩おごじょ”として示しているのである。彼女の今後の更なる活躍を期待したい。

・この1月は、10日間ほど故郷・鹿児島に墓参を兼ねて帰省した。その間訪ねた指宿や鹿児島市では「西郷どん」に関連して、薩摩の歴史や関連人物に関する展示会が開かれており、それらをじっくり見物する機会に恵まれた。その折に、鹿児島市の城山の西郷自決の洞窟や、母校鶴丸高校跡地周辺に点在する薩摩輩出の偉人の記念碑なども望郷の念から改めて訪ねてみた。

・そして市内どこからでも仰ぎ見ることができる桜島の雄大な景色を眺めながら、彼女もまた若かり日に星雲の志を抱いて勉強したのであろうと思った。

・わが母校鶴丸高校は、在学中加治屋町という地名に存在していた(今はその校舎は“鹿児島中央高校という別の高校の校舎として使われている)。その学校校門の道路を隔てた向こう正面には、あのバルチック艦隊を撃破した明治の英雄”東郷平八郎“の銅像があり、町内には、西郷や大久保利通などの生誕の地が点在し、今はそれぞれの地に記念碑や銅像が建てられている。

・しかも鹿児島市内からは、多くの場所であの雄大な桜島を仰ぎ見ることができるのである。幕末から明治維新にかけて活躍した多くの薩摩の偉人たちと同じく、大田女史もまた、この素晴らしい教育環境に多くの影響を受けたのであろうか、と思った。(坂本幸雄 H30.2.5記)

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