Q森正之:新一万円札の肖像に起用 郷土・埼玉からみた渋沢栄一 2019.4.27

公明新聞2019年4月27日(土) 5面・文化欄

新一万円札の肖像に起用 郷土・埼玉からみた渋沢栄一

病院設立や大学生支援など 多くの社会福祉事業に貢献

大東文化大学教授 宮瀧 交二

去る4月9日、麻生財務大臣は2024年度の上半期を目途に、現行紙幣のデザインを刷新すると発表した。福沢諭吉に代わって新1万円札にその肖像が使用されることになったのが、「日本近代経済の父」と言われている実業家・渋沢栄一=天保11(1840)年~昭和6年(1931)年=である。今日、埼玉県は「埼玉ゆかりの3偉人」を顕彰しているが、ここに国学者・塙保己一(現・本庄市出身)、日本初の公認女医・荻野吟子(現・熊谷市出身)と並んで選ばれているのが、渋沢栄一である。

武蔵国榛沢郡血洗島村(現・深谷市血洗島)の藍玉の生産農家に生まれた渋沢栄一の業績については、改めて述べるまでもない。江戸幕府に仕えた後、明治新政府の大蔵省に出仕したが下野し、第一国立銀行(現・みずほ銀行)の頭取に就任、これ以後は全国各地の地方銀行の設立に尽力した。また、銀行以外にも東京瓦斯、東京海上火災、王子製紙、帝国ホテル、麒麟麦酒、秩父セメントをはじめとする500社以上の企業の設立に関与したと言われている。

このような、よく知られた実業家の顔とは別に、意外に知られていないのが、渋沢栄一の社会福祉事業家としての顔ではないだろうか。渋沢は、東京市養育院(現・地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター)や、ハンセン病の公立療養所である全生病院(現・多磨全生園)等への支援をはじめとする数多くの社会福祉事業を支援・推進しているが、埼玉県民にとっては、明治35(1902)年に設立され、今日なお活動を継続している埼玉学生誘掖会(現・公益財団法人埼玉学生誘掖会)の存在を忘れることは出来ない。都内の大学等で学ぶ埼玉県下の学生のために新宿区内に学生寮が設けられ(平成12年度末に閉鎖)、延べ2千人を超える人材が育成された。現在では奨学金の給与が行われており、毎年8名の学生が奨学生に採用されている。なお、埼玉県も、平成12(2000)年から、こうした渋沢の精神を受け継ぐ企業活動・社会貢献を行った企業を顕彰する目的で「渋沢栄一賞」を設けて、今に至っている。

本稿の執筆中、パリのノートルダム大聖堂の火災のニュースが飛び込んできた。世界中の事業家が資金援助を申し出て、その総額は1千億円を超えたという。この金額に驚くと同時に、各国の事業家には渋沢のように苦学する人たちにも支援の手を差し伸べていただきたいと願わざるを得ない。

現在、深谷市には、その業績を展示する渋沢栄一記念館や旧渋沢邸「中の家」等があり、多くの渋沢ファンや歴史愛好家に親しまれている。風薫る5月、小説家・城山三郎が渋沢の生涯を描いた小説『雄気堂々』の文庫本を片手に、新緑の美しい深谷市を訪ねていただければ幸いである。 (みやたき・こうじ)

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