U市畑進「Re:『非武装・中立地帯』への思い」
2018.8.26
33年卒諸兄姉どの
朝鮮半島をめぐる交渉はいったいどうなっていくのか?
日本国の立ち位置はどうあるべきか?
2018.08.23朝日論説では「非核地帯構想 北東アジアでも模索を」(添付参照)がでた。
この意味するとことは、朝鮮半島のみならず沖縄も含む日本米軍基地の撤収を含意するだろう。
「非核地帯構想」というのは、「非武装・中立地帯」に隣接する構想である。
この構想の最大の障碍になる日米安全保障条約の成立過程を知りたく豊下楢彦著「安保条約の成立」(岩波新書、在庫あり)を読んだ。
岩波書店のwebでも必読の書とうたっている。
★交渉を準備した日本政府側の案は時間軸をおってA,B,C,Dの4種類
10/4;A案(原文は「作業」という言葉を使っているが、ここでは案とを使います);1950.05.25に始まった朝鮮戦争は、米国の防衛線(いわゆる、アチソンラインは添付1参照、このアチソンラインは1950.1.12にアチソン米国務長官によって米国の西側の防衛線として発表された。これが北朝鮮侵攻の原因の一つになったといわれている。)の外側にあっても、また非国連加盟国であっても、国連決議に基づいて国連軍の派兵がなされたという事実にかんがみて国際連合によって我が国日本の平和と安全を委託すると云う考え方である。この任に当たった西村熊雄条約局長は夢の案だ
10/11;B案 A案に加え、前条目的達成のために、アメリカ合衆国の兵力が日本国内に常駐することを両国は合意する。
10/31;C案 これは、A、Bと全く発想が異なり、日本列島・朝鮮半島を地帯「非武装・中立地帯」とするという案である。(添付文章参照)
この案は、吉田の意向でテーブルに載ることはなかった。わたし(イチハタ)が推測するに朝鮮戦争への10/19中国義勇軍の参戦をみて事態の深刻さを考えたのだろう。
無論、この案は吉田首相の発想で検討された。当時,西村条約局長に言わせればA案を上回る夢のまた夢の案だそうだが、吉田はこれをbargaining、、トランプ的にはdeallとして使おうと思っていたらしい。
12/27;D案 この案は、朝鮮戦争の激化に伴い、アメリカ合衆国は日本の平和と安全性は太平洋地域における、とくにアメリカ合衆国の平和と不可分の関係にあると認めるという、ABCが国際連合との関連で日本の平和と安全を護るのと違って、二国間での解決を図るというものである。
しかし結果は、上記の案と全く関係のないものになってしまった。
★旧安保の要約はサンフランシスコ講和条約調印後、確か6時間後、9月8日午後に同じサンフランシスコの第6兵団の駐屯地で吉田首相一人が
秘密裏に調印したという、事前に一般国民・国会にも知らされなかったという(同書p220)。
第1条 米軍の日本駐留は「義務ではなく米側の権利」であると規定されている。
後で問題になる「極東条項」も入った。
第2条 日本はアメリカの同意なしに第三国に基地を与えてはならない。
第3条 米軍の配備については別途の行政協定に委任されている。
第4条 期限について米国が不必要と認めたときに失効すると言う規定になっている。
この結果、「アメリカは日本とその周辺に陸海空軍を維持し、あるいは日本の安全と独立を保障する、いかなる条約上の義務を負っていない」
(フォーリン・アフエアーズ1952.1に寄稿したダレスの論文)になってしまった。
これは、60年の安保改定によって、内乱条項、第三国への基地権(許与)禁止条項のの削除、10年後以降の「一方的破棄通告」という条約離脱手続きの明確化(第10条)、
防衛分担金廃止など行政協定の一定の改善がといった「自主性の回復が図られた
重要なのは第5条1項で「日本国の施政下にある領域で、いずれか一方に対する武力攻撃の対し両国が共通の危険に対処して行動することが規定され、米軍の日本防衛義務が明記され、国連憲章第51条(各国の自衛権を規定)との関係も明記されたことで日米間の集団的自衛権が認められた。
(この「日本国の施政下にある領域」外ではその義務はなかった。これが「極東条項」とともに憲法解釈問題に繋がっていく。
僕の興味は、C案「日本列島・朝鮮半島を地帯「非武装・中立地帯」とするという案」である。
この案を、もし北朝鮮にとって究極のデールだろう、仮にCVID※との交換に持ち出したら米国はうけるだろうか?
日本も受けるだろうか?
これこそ、東アジアの平和への道、大いなるパラダイムシフトとおもう。
※CVID(complete、verifiable、irreversible、denuclearization)
イチハタ