加蘇詣で

P戸松孝夫 2018年7月9日

昨年11月本ネットに、「かそじまん蕎麦蒟蒻古民家おもてなし」報告(Q森) の掲載があり、それを受けての「地域密着の楽しそうなイベントの写真多数を楽しみました」(Q坂本) との投稿文を読んで、この「かそ」とは面白そうな所だから、一度行ってみたいと思っていたところ、今回上京の折に同地を訪れる機会があったので、以下報告します。

そもそも本題の「かそじまん」のかそとは、本ネットの管理人Q森君が定年後生活している栃木県鹿沼市加蘇地区という固有名詞のことらしい。これは最近日本で全国的に増加しており、現に僕も住んでいる普通名詞の「過疎」村と通じるものがあるので、僕も個人的に興味があり、森君を頼りに実情視察にチャレンジしたわけである。

先週7月5―7日間2泊3日で同地に滞在し、丸1日森君運転の車で写真掲載の各地を案内してもらい、昼飯には特産の美味しい蕎麦を食べ(一食分の量が多いことに驚き)、加蘇地区における田舎生活の実態を見てきた。

1.加蘇について

緑が深く、川があちらこちらに流れており、小高い山がせまっている自然風景に囲まれた人家のばらつき状況や、高い建物がなく街全体の見通しが良い環境は、僕の住んでいる過疎村と同じようなものだが、

① 加蘇は歴史的観光資源に恵まれており

② 従って文化程度も高いようだ

③ 高齢者の比率はどちらのカソも高いが、加蘇は年寄りへの配慮がよく行き届いており、高齢者には住み易いような感じ。

④ 加蘇の人たちは他所者(他都市からの移住者)への理解度が深いようだ

⑤ 好奇心から、用事もないのに市役所待合室に15分程座って眺めていたが、職員の生産性の悪さは、両方のカソ村の間に優劣がないこと(ぶらぶらしている市職員の数が多過ぎる)を実感。これは日本の地方公務員共通の問題かも。

2.宿について

森君が面白い宿を紹介してくれた。

① その名はCICACU(シカクと発音するが、日本文字はない)。鹿の角のロゴマークで表示されている。

② 利用客が減り20数年間も休業に追い込まれていた徳川時代創業の老舗旅館を、3年前に31歳(現在)の若い美人の女将が再生したとのこと。

神戸芸術工科大学出の芸術家肌で、知的で話題は豊富。客とも気楽に会話の輪に入ってきてくれることは印象的だった

④ 第1日目に森君差入れの炭酸水を宿の食堂で水割りに使っていたところ、観察眼の鋭い女将は「そのサントリーのお水、私が育ったところで作られた製品です」と言ってサントリーの京都ビール工場の近くに実家があり、ちょっと離れた山崎にはウィスキー蒸溜所があるとの話題を提供したので、僕もこの話に付いてゆく為に「サントリーの元偉いさんが俺の友達で、以前に両方の工場に連れていってもらったことがある」と10年前にQ坂本君が如水会大阪仲間を工場見学に連れていってくれたことを思い出し、彼女の話題に乗ることが出来た。

⑤ その日はそれで終わったのだが、翌日が面白い。森夫人が自宅の畑で育てたいろいろな野菜を手間をかけて料理して酒のつまみにと夕方宿へ持ってきてくれた。幸いその日は他の客が居なかったので、宿のラウンジで、森夫妻に女将さんと僕の4人で森君差入れのサントリーウィスキーでの酒盛りが始まった。そこでまたサントリーに話題が移り、僕と森君の間で何度か坂本君の固有名詞が出ているうちに、記憶力が良い女将はいつの間にかサカモトさんの名前を記憶していたようだ。有名企業の役員を務めた方が退任後は大学院で勉強し、今は趣味のサキソフォンの演奏会をするなど好きなことをして暮らしており、自宅マンションに付いているジムで身体を鍛えているなどの話に彼女はすっかり気に入ったようだった。この宿にもジムがあるので、サカモトさんには是非使って頂きたいとの強い要望があったことをQ坂本君にはこの場で伝えておきたい。

⑥ この宿にはテレビが一台もなく、新聞もとっていないので、ここの宿泊客は、現代の過度な情報社会から完全に隔離された生活が出来るという楽しみがある。残念ながらこれまで、僕はこういう環境に浸る機会がなかったが、今回丸2日間情報から完全に閉ざされた生活を楽しんだ。ところがこの2日間は、僕の女房が暮らしていた岡山県の山間地では大雨洪水警報が続いており、公の避難命令が出ていたらしい。案の状、家の前の川は氾濫し、川沿いの住民は学校に避難していた。我が家は高い場所にあるので、浸水は免れたが、直ぐ裏の山が百年振りかの大雨で崩れる惧れがあったことをも知らず、僕は美しい人妻や女将たちと冗談を言い合っていたわけだ。

⑦ この宿は大正時代に建てられた芸術性が高い木工レトロの2階建てで、客室は2階に十幾つあるが、その中にはトイレ無しの部屋もある。僕は年金生活者相応の安い部屋を予約して、会計では安い料金しか払わなかったが、女将は気を利かし「今日はトイレ付部屋が空いているから、そこを使いなさい」と言ってくれた。後程わかったことだが、共同トイレは一階にあり、その階段は大正時代の急勾配だから、年寄りが夜中にトイレに行く時に足を踏み外す危険性がある。幸い僕は女将の親切心でそれを免れたわけだ。

http://www.cicacu.jp/

鹿沼市役所近くの宿

3.森君の優雅な田園生活

① 22年前定年で企業を退職し、田舎に移り住んだ理由は、都会育ちで故郷がない自分たちの境遇を顧みて「故郷がある人生を子供たちに味あわせてやりたい」との奥方からの提案とのこと。当時黎明期のIT分野に強かった森君は田舎でパソコン先生と崇められ、地域貢献のボランティア活動に従事する傍ら、小遣い稼ぎの仕事も多々あるようで、今でも忙しく、教養(今日用がある)と教育(今日行く所がある)の羨ましい生活を送っている。

② 昨年秋、森家のHalloween Modeの写真とその説明を当ネットで見た時、家の内外全面的に飾られていた奥方の芸術作品に僕は深く感動し、実物に接したいと思っていたのだが、その念願が6日午後森邸に招待されたことで叶えられた。僕は芸術的観賞眼には欠けるが、自宅に保管されている数々のキルト作品を今回見せてもらい、更には奥方もキルト教室の講師として地域活性化のボランティア活動に従事されている点に感銘を受けた。

③ 更にこれまで知らなかったが、前述したように奥方が邸宅に接した広い畑で野菜や果物つくりも楽しんでおられる現場も見せてもらえた。家庭菜園はこの20年近く僕も力を入れている分野であり、共通の話題が出来たのは今回旅の収穫である。

④ 旦那が知的分野(パソコン)で、奥方が芸術的分野(キルト)でとどちらも高度な領域で活動されている森家で、僕のように低次元の農業もされているとは意外だった。今回出発の前日の森君のメールに「昨日残した畑仕事」との語句があり、もしかしたら彼も家庭菜園をしているのかと思い、我が家で収穫した沢山の岡山産新鮮野菜の持参を取り止めたのは正解だった。自分で野良仕事をしているとよく判るのだが野菜は特別の仕掛けをしない限り、短い期間に同じ種類のものが一斉に収穫期を迎え、生産者はその処分に困り、需要家を真剣に探す。今回大きな顔をして余った野菜を森家に持ち込んで恥を掻くのを事前にストップ出来たのは幸運というものだった。

以上

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