P戸松孝夫2017.12.6
筆者は本文の冒頭で「歴史」という学問と、「歴史小説」という文学の違い、即ち歴史家と歴史小説家の定義を明確化した上で、ローマ時代の一つの実例を題材にして、「評論又は随筆にて、事態の是非を論ずる場合の根拠は、あくまで科学的に妥当な論拠によるべきで、物語による歴史小説を根拠とするものであってはならい」との結論を導いている。
ローマ時代の五賢帝の一人と言われる表題の皇帝トライヤヌスに関しては、恥ずかしいことだが僕はこれまで何も知らなかった。
筆者はイタリア在住の著名な歴史小説家塩野七生氏の「ローマ人の物語(全15巻)」を読破されたようだが、この中で「賢帝は失業者救済のために増税するよりも、収益の三分の一の本国イタリアへの投資を課した法を成立させた」との一小節を読んで直感的にいろいろな疑念がわいたとのこと。
法の適用対象者、収益の範囲や期間など根本的な内容が明示されていないという歴史小説の限界を感じた筆者が、ローマ史家の著書を読んだり、グーグルやWIKIで検索することにより、真実の解明を図ったプロセスが本文で詳述されている。
投資を課した法の根拠を求めて、突っ込んで研究した筆者の姿勢には全くの脱帽である。脇道に逸れるが、グーグル検索は「現代の魔法だが、その信用性は問題あり、用心が肝要」との指摘は面白い。TRAJANも検索したとのことだが、この用語は僕には初耳でよくわからない。
こうした研究の結果、筆者は「塩野氏が、描くイタリア本土の経済空洞化を阻止せるトライヤヌス帝の功績なるものは、氏の豊かな想像力と現在のわれわれに共感を与える日本の産業本土空洞化の現象をマッチさせた見事な創造物語」との結論に達したようだ。
巧みに心に響く「ローマ人の物語」を楽しんで読むことと、これが歴史、科学としての歴史であると考える事は別物であるとは厳しい批評。
学生時代ならともかく、我々の年齢になると、歴史の研究は無理で、歴史小説家の口当たりが良い書き物を読む以上には頭脳が回転しないのが悲しい現実ではなかろうか。
筆者は以前にも論語や史記等中国の厖大な古典を読んでおられたと記憶するが、今なお難しい勉強が可能なことは羨ましい限りである。
以上