坂本幸雄②同上返信2017.10.25

戸松兄へ

・大津寄兄への謝意の小生のメールに対する貴兄の感想を読み、貴兄のいつものクイックで、かつ、至らぬ駄文投稿ながらも、投稿者に更なる投稿意欲を掻き立たせるような返信メールに感謝。折角の返信に対して、小生が五木 寛之氏の「孤独のすすめ」に読み解いた更なる氏の良き三つの教えを付け加えます。

老齢期には、様々な身体機能が衰えること一つとってみても「諦める」ということが肝心である。普通にはこの「諦める」ということは、マイナス思考のように思われがちであるが、決してそうではないのである。「諦める」という言葉の本来の意味は、「明らかに究める」ことを意味するのである。勇気を持って現実を直視すること。それが「あきらめる」ことなのである。「覚悟する」といっても良い。人はともすれば、老いたることから目を逸らそうとする。しかしそうじゃなく、自分の衰えや疲れを素直に認めると、そこから老齢期を生きていく上で必要な意識が生まれ、老齢を逞しく生き抜く神経すらもそこから研ぎ澄ますことが可能となるのである。そんな「諦める」ことに自分が徹した時から、自分の人生の後半戦が始まるのである。

老いを自覚し、よくよく耳を澄ましてみると、自分の体が様々な信号を発していることに誰でも気付くのである。そんな声なき声の「身体語」とも言うべき声を聴き、自らが様々な工夫を行い、ライフスタイル全般を見直すことに心掛ければ、そこから徐々に体調も変化し、新しいことにチャレンジする意欲も湧いてくるのである。ともあれ、自分(著者)自身そんな工夫ができるようになったのは、人生の下山期を迎えた五十歳過ぎからであった。

「自分が八十歳を過ぎてまで生きているなんて、信じられない」というのが、只今の自分の実感である。なぜだろうか。人から「老醜」と笑われようがどうであれ、とにかくも生きようとしているのは、何のためであろうか?、と最近よく自問自答するのである。勿論、そのベースには、動物が持つ「生存欲」もあるのだろう。敢えて笑われるのを承知で言えば、自分は「この世界がどう変わっていくのかが見てみたい」だけなのである。日本が、アジアが、世界全体が、この先どのように変貌を遂げていくかを目撃したいのである。荒唐無稽な「夢」とは言え、そんなことを考えていると 、多少なりとも“生きる張り”になることは確かである。もし、自分が少しでも長く生きたいと願っているのなら、その自分の原動力は何であるかを自問自答してみることは、老齢期の全ての人々にとっても、老いの時代を生き抜くひとつの確かな糧にはなるだろう。

・以上、この本には、かかる如き忠言にとどまらず、周りから「嫌老世代」と思われがちな下り坂人生を、自らの意識と才覚で、「賢老世代」に変革するための様々な知恵が多く語られているのです。

・最後に、小生自身が長年試みている、老齢期の「後背の歩み」のなかで「老齢期の良き回想」を手助けしてくれている試みを一つ紹介します。小生は“Ipad”を長年愛用し、今はその発売以来3機種目となる”iPad pro”(その色彩の鮮やかさに惚れ込んで発売直後に機種変更)を使っています。そこには、3千枚以上の写真が記録されています。これらの写真は、初期iPad”発売時直後の2010年4月の写真から始まり、その後折々に遭遇した、“これは!という心に残るシーン”の写真であり、その殆どは、印象に残った旅の風景の数ショット、様々な人々との出会い・触れ合いなどの写真であります。そんな“ipad“を常時持ち歩いているので、”iPad”そのものが、言わば「持ち運ぶ写真帳」の役割を果たしているのであります。従って折に触れその”iPad”の写真を見ることによって、その写真に見るその時々の情景が、その時の様々な状況や、場合によってはその折の会話などまでも含めて、実に鮮やかな印象として蘇り、「老齢期の大いなる楽しみと思っている過去の回想」を、いつでもどこでも楽しむことができるのであります。

(坂本幸雄 H29.10.25記)

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