大田弘子(日経マイ・ストーリー)Q坂本を読んで

P戸松孝夫2018年2月14日

マンモス大学ならいざ知らず、一橋のような小人数の大学で、高校から引き続き先輩ー後輩の関係というのは珍しい。その中でも、日経記事このような卓越した能力・体験を持つ光輝く名士が後輩に居るとは誇らしきことであろう。

知識詰め込み教育が一般的な現代社会において、お二人が学ばれた高校は「知識よりも知性を育む校風」とか、数多の有能な人材を世に排出してきたわけだ。

ここでひとつ思い出すのが我々の頃の入学試験。東大は暗記力が強く「知識」があれば点数がとれたようだが、一橋は世界史の増田四郎先生の試験問題のように「知性」に基づく文章が書けなければ不合格だった事実である。今はどうなっているか知らないが。

学会、政界、更には民間大手企業の経営者としても幅広く活躍されている大田弘子さんの名前は、最近僕の狭い情報網には入ってきてなかったので、今でも「時の人」とは知らなかった。今回日経新聞で取り上げられたのは政府の規制改革推進議長として未来を切り開く制度づくりに尽力している為だろうか。更には、「偉ぶらず、目の前の仕事に謙虚になれる」姿勢は理想ではあるけれど、所謂偉い人の中で実行できる人間が少ないからだろうか。

好奇心旺盛で、一橋では紅一点の体育会で走っていたとか、南博ゼミを専攻したり等、学生生活を充分に楽しんだ様子が、我等OBにはよくわかる。現在でも「MY Charge:飲む・食う・踊る」で、故郷の焼酎をこよなく愛しているというのも面白い。更には「いつも今が一番いい」とか「困難に直面しても何とかなるさ」との人生観を貫いているのは羨ましい。これこそ楽しく生きる為の必須条件だと思って、僕はこれまで大凡このような哲学で過ごしてきたが、僕のような能力のない輩がこの真似をすると「お目出度い人間」と言われたのが落ちである。

筆者は先月10日間故郷鹿児島に行き、昔懐かしい場所や今TVでも話題になっている名所等の最近の状況を観察されてきた由だが、僕はこれまで地の果てだと思っていた鹿児島を何の偶然か最近2度も訪問している。しかし本文にあるような名所旧跡のどこにも行かなかったのは大きな失敗だった。6年前に地元の聖書研究会グループ5人で中国―九州自動車道を運転して往復(2泊3日の研修会に参加)、4年前にはシンガポールから客船で神戸に帰ってくる途次に立ち寄り(8時間上陸)。印象に残ったのは「乗っていて楽しい市電」と、ホテルで朝食とりながら眺めた「桜島の雄大な景色」くらいかな。(星雲の志を抱いて桜島を眺めながら勉強した才媛の若かり日にあやかったわけか)

以上

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