Q渡邉静雄2018.1.11
◎「誰が私をドイツ語に追い込んだのか?」
受験勉強という長いトンネルを、ようやく抜けて目指していた一橋大学に入学できた昭和二十九年の明るい春を迎えた気分は、実に爽快であった。これから、どんな大学生活が始まるのか、大いなる期待と若干の不安が、入り混じっていた。
こうして、初めて出会う仲間の、Q組での授業が始まった。難関を突破してきた連中は、いずれも「出来そうな面構え」をしており、ストレスを感じさせる。
このような気分の中で始まった、Q組での英語の授業でのことだった。
教授が名簿を見て指名し、指名された学生が読んで訳すという、高校時代の授業方法と変わらないものだった。但し、変わっていたのは、指名された学生の方である。その時初めに指名されたのは葛巻照雄君(国際部に所属、卒業後は東銀に入社。ロスアンゼルスを始めアメリカで活躍。残念ながら、今は故人となってしまった)であった。
立上って、読み始めた彼の発音は、まさに、ホンチャンのそれであった。私も英語には自信を持っていたが、こんな凄い発音を聴いたことは、両国高校時代には無かったことだ。
やはり、一橋の英語は、レベルが違う。このような連中ばかりでは、英語に於いて、とても、梲(うだつ)があがらないと悟った。
そこで、目を付けたのは、全員横一線でスタートした第二外国語のドイツ語だ。よし、ドイツ語で勝負だ!と心に決めた。夢中になって勉強した。そして二年生になった時に、無謀にも、ドイツ語のゼミを選択した。ゼミの先生は、グリム童話集等の翻訳で知られる植田敏郎教授であった。
いざ、ゼミに入って、使用するテキストが、ニーチェの〝ALSO SPRACH ZARATHUSTRA(ツアラツストラはかく語りき)〟と知った時は、しまった!と思った。日本語で読んでも難解な文章を、ましてや、語彙力の極めて乏しい二年生になりたての私が読むのは、難行苦行の連続であった。
毎日、何時間もかけて、辞書と首っ引きでやったことが、ゼミの一時間半程の間に、軽く進んで行ってしまう。こうなると、意地になってやるしかない!
その一年間を何とかやり抜いた。この間、友人の多くは、何人かのグループで、「アダムスミス」や「ケインズ」を輪読会などで勉強していた時に、私は、ドイツ語と格闘中だったのだ。
このようにして勉強したドイツ語であったが、後年(卒業後四十年以上経って)ヨーロッパに旅行した折、ドイツ人のグループに出会った。チャンスとばかり、錆付いたドイツ語で、話し掛けたところ通じたので、嬉しく思う間もなく、ペラペラと応答されてしまった。残念ながら、全く分らなくて、唯々「イヒ・バイス・ニヒト」と、言って退散するしかなかった。
ああ、あの前期二年間の努力は、何だったのだろう?
世の中には、報われないことが、多いのだと、自らを慰め、人生には、無駄が多いものだ(いや、本人は決して、無駄だったとは思っていないが・・・)
葛巻君が「僕のせいではないよ!〝I DON’T KNOW〟」と天国で、笑っていることだろう。
ダンケ・シェーン、マイン・フロイント!(完)
↓下向き矢印をクリックするとワード文書が
ダウンロードできます。お試し下さい。