井上智洋著「人工知能と経済の未来」紹介文を読んで

P戸松孝夫 2017.12.21

有用性と至高性

今回もまた難しい本を読んで、相変わらず「高度の知的好奇心」を満たしておられる筆者(坂本君)に先ずは脱帽。

僕などは日に日に脳の活動が劣化しており、今やこのような難解な書物に挑戦する意欲が全く無くなってしまい、今回の筆者の井上智洋著「人工知能と経済の未来」紹介文を読みこなすのすら覚束なかった状況。

また日頃勉強をしていない僕は本書の著者井上智洋という経済学者の名前すら初耳であった。今やベストセラーを次々に出版し、各地の講演会にも引っ張りだこの「時の人」らしいが。

古い時代のフランスの経済学者「バダイユ」名を知らなかったという点では、筆者も同じとのことだが、これは日本の普通の大学の経済学書に登場しないからではなかろうか。

それにしても今回筆者による紹介文を読んで僕が理解した範囲内ではバダイユ君はなかなか良いことを言っていたように思われる。

「余暇時間は、未来の利得の獲得のためではなく、現在の時間を如何に楽しむか、ということに費やされるようになるのであろう」との70年前の彼の予測は間違っていなかったことに、今や誰も異論を唱える者は居ないであろう。

バダイユは自らの学説を「普遍経済学」と呼び、ケインズと並ぶ経済学者とも言われているようだが、同時に思想家で小説家でもあったとか、空想科学の文学作品として書かれたような奇想天外の説は面白い。

彼は資本主義に覆われたこの世界に生きる人々は、「有用性」に取り憑かれて、役に立つことばかりを重宝しすぎる傾向があるとして「至高性」の大切さを強調しているようだが、これは働くことを止め資本主義社会から20年も遠ざかっている今の僕の考え方にピタリである。

「われわれ人間は役に立つか否かに関わらず価値があるものであると考える価値観への転換」を彼は主張してくれているようだが、他人様には全く役に立っていない現在の僕には嬉しい言である。

筆者は「今までは荒唐無稽だとも言えなくはなかった感のするバダイユの主張」と問題点の指摘もしているようだが、我ら後期高齢者は今や「自分の価値判断を行う悪しき慣習から脱却し、自分自身が生きることのなかで、自分自身にとって“本来的な意味合いで価値があると思うこと”(「至高性」)への価値転換を図る」ことは意義深いことではなかろうか。

これまた恥ずかしいことだが、“シンギュラリテー”という新語と思しき重要な単語を僕は今回初めて知った。この言葉が発生するに至った現代社会の激しい変化に認識がないと本文を理解することも難しいことが分かった。

毎回燦燦ネット投稿を読むことで、こういう新しい大切な言葉に接し、ググってみて自分の情報蔵を更新出来る特典は隠遁生活者には有難いことである。

特に冬の3ヶ月間は毎年の恒例で暖かい南の石垣島で冬眠生活をしており、生の知的情報に接することが困難な僕にとっては、顔を知っている方の文章が即時に読めるのは貴重な機会であり、本サイトの管理者及び投稿者諸氏に感謝している次第である。

以上

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