深田の頃はアイヌ名のヌタクカムウシュペ(川がめぐる上の山)から大雪山と呼ばれるようになり、観光客や登山客を集め始めた頃だったが、今では「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」という名前も使われ始めているようだ。
深田の頃はまだ層雲峡からも勇駒別からもロープウェイができておらず、深田は勇駒別から歩いて登り、天女ヶ原(今はロープウェイの途中)から姿見の池(ロープウェイ頂上駅を出てすぐ先)に至り、爆裂火口を見て旭岳に登っている(これは今も同じ)。深田はそこから裾合平、沼ノ平を経て愛山渓温泉に泊っているが、深田の頃は「まだ原始的なさまの残っているひっそりした湿原」だった沼ノ平は今ではもう主要な登山・散策コースになっている(私はまだ行ってない、行かなければ)。
次の日、深田は北鎮岳に登り、雲ノ平を横切って黒岳の石室に寄り、桂月岳を見てから「烏帽子岳、赤岳を経て銀泉台に下り、バスで層雲峡に出た」としている。今ではもちろん黒岳の下までロープウェイがあり、私は桂月岳と黒岳には2度登った。
北海道最高峰の旭岳には、春に西から登って頂上から滑走。夏は東から登って縦走し、花をたくさん見た。
春:雪に埋まった姿見の池に近づくと噴煙が何本も激しく噴き出していて、その向こうに白い谷がせり上がり、はるかに高いところに旭岳の頂上が悠然と待ち受けている。噴煙のかなたに立つ残雪の雄峰。
滑走:地獄谷の入口は頂上をやや北に下ったところにある。少し滑り降りるともう頂上標識は見えなくなり、眼下に広い滑走斜面が見えてくる。さっそくそこに滑り込むが、雪は柔らかく、引っかかり気味。ショートターンは切りにくい。広めの先行トレースよりは小さなターンで下るが、雪が重いので足が疲れ、何度も休止。柔らかい雪にスキーが重なって転びそうになり、横倒しになってから持ち直す。
夏の縦走:北海岳から下り、渡渉点から黒岳に向かって登り返していく道脇にエゾコザクラが咲いていた。やや大振りのピンクの花がたくさん風に揺れている。
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深田の頃はアイヌ名のヌタクカムウシュペ(川がめぐる上の山)から大雪山と呼ばれるようになり、観光客や登山客を集め始めた頃だったが、今では「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」という名前も使われ始めているようだ。
深田の頃はまだ層雲峡からも勇駒別からもロープウェイができておらず、深田は勇駒別から歩いて登り、天女ヶ原(今はロープウェイの途中)から姿見の池(ロープウェイ頂上駅を出てすぐ先)に至り、爆裂火口を見て旭岳に登っている(これは今も同じ)。深田はそこから裾合平、沼ノ平を経て愛山渓温泉に泊っているが、深田の頃は「まだ原始的なさまの残っているひっそりした湿原」だった沼ノ平は今ではもう主要な登山・散策コースになっている(私はまだ行ってない、行かなければ)。
次の日、深田は北鎮岳に登り、雲ノ平を横切って黒岳の石室に寄り、桂月岳を見てから「烏帽子岳、赤岳を経て銀泉台に下り、バスで層雲峡に出た」としている。今ではもちろん黒岳の下までロープウェイがあり、私は桂月岳と黒岳には2度登った(黒岳の三角点を見逃しているが)。
大雪山は深田の頃よりも広がっていて、石狩川の右岸の平山、武利岳、武華山、白雲岳の南の忠別岳、化雲岳まで広がり、その先はトムラウシに東大雪(石狩岳、ニペソツ、ウペペサンケ)や十勝岳となる。おそらく北海道は深田の百名山により最も山に目が向けられた地域かもしれない。それでも今なお、多くの未踏の山、登山道のない山は多いだろう。
北海道最高峰の旭岳には、春に西から登って頂上から滑走。夏は東から登って縦走し、花をたくさん見た。
春:雪に埋まった姿見の池に近づくと噴煙が何本も激しく噴き出していて、その向こうに白い谷がせり上がり、はるかに高いところに旭岳の頂上が悠然と待ち受けている。噴煙のかなたに立つ残雪の雄峰。
滑走:地獄谷の入口は頂上をやや北に下ったところにある。少し滑り降りるともう頂上標識は見えなくなり、眼下に広い滑走斜面が見えてくる。さっそくそこに滑り込むが、雪は柔らかく、引っかかり気味。ショートターンは切りにくい。広めの先行トレースよりは小さなターンで下るが、雪が重いので足が疲れ、何度も休止。柔らかい雪にスキーが重なって転びそうになり、横倒しになってから持ち直す。
夏の縦走:北海岳から下り、渡渉点から黒岳に向かって登り返していく道脇にエゾコザクラが咲いていた。やや大振りのピンクの花がたくさん風に揺れている。