1930年(2022年5月8日読了)
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「地獄の季節」の冒頭「俺は確かに夢を見ていたのだ・・・・・俺の奈落の手帖の目も当てられぬ五六枚、では貴方に見ていただくことにしようか」というのは強烈なメッセージで、小林が見つけたランボオはこの「言葉そのもの」なのだと思うが、私には次の「悪胤」の中に述べられているのが案外、ランボオのいらだちの真意なのではないかと思う。この詩はたぶん、ランボオが自分の国、フランスの歴史について思い切り悲観的な言葉を並べたもので、自虐的な表現のなかに、たいして苦労もせず、誇れるような働きもしていない自分やフランス民衆が、自由を享受し、不自由もなく、のほほんと暮らしていることを自覚し、「このままでいいのか」と大声で叫んでいる。「・・・・・そら科学だ、どいつもこいつも又飛びついた・・・・科学。新貴族。進歩。世界は進む。何故逆戻りはいけないのだろう?・・・・・」というのはまさに当時進行中の産業革命のことであり、人々は、ランボオも含め、何不自由のない豊かな生活を送れるようになったのだが、それがランボオには気に入らない。これはまさに現代の若者みたいだ。「強気にしろ、弱気にしろだ、貴様がそうしている、それが貴様の強みじゃないか。貴様は何処に行くのか知りはしない、何故いくのかも知りはしない、処かまわずしけこめ、誰にでもかまわず返答しろ。貴様がもともと死体なら、その上殺そうとする奴もあるまい」
「イルミナシオン」を「飾絵」と訳した小林はおそらく正しいのだろう。ランボオのここでの詩は(少なくとも最初の詩は)ランボオの目に映ったものを、感じ取るままに表現しているように思える。「大洪水」というのは聖書と現実の出来事を重ねているのではと注釈にあるが、前節までにランボオが語ってきた彼自身の芸術活動の挫折のことではなかろうか。そこから立ち直り、前に進むにあたり、ランボオはまず目に映ったものを口にする。最初に出てくるのはまるでおとぎ話のような妄想、幻覚のような描写だが、ランボオはおそらく現実の出来事をそんな風に、「一匹の兎が虹の橋にお祈りをあげ・・・・胡散な奴らが家を建て・・・・隊商等は旅立った」と映る。だが彼は次第に正気を取り戻し、新たなる展開を待つ。
「酩酊船」で、ランボオはフランスのとある半島から船に乗り、「非情の河」を下るうちに船員たちが蛮人に襲われていなくなり、ただ一人海を行く。「流れ流れて思ふまま、われは下りき」。故郷から都会の大海原にやってきたランボオは、頼りにしていた知人たちがいなくなり、もしくは頼りにならないことが分かり、そして船は(大西洋を渡って?)フロリダに流れ着く。そこにでは「黄金の魚、歌うたふ魚、青海波に浮かぶ鯛」が迎えてくれた。これは、アメリカの詩人に出会った、彼等の詩を読んだということだろう。しかし、アメリカの詩を書いても、うまく事は運ばない。一方、ランボオはヨーロッパを懐かしむが、その故郷ヨーロッパはもはや変わり果てていて、「はや冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ」、ランボオはただ嘆き、悲しむ。これは雄々しく船出して強大な世間の波にもまれ、疲れて帰ろうとしたが、故郷はすでに無かったという、悲しみの詩。ランボオはしかし、めそめそ泣くのではなく、大声で叫んでいる。「想へばよぅも泣きたるわれかな、来る曙は胸を抉り、月はむごたらし、陽は苦し、切なる恋に酔ひしれしわが心は痺れたり、竜骨よ砕けよああわれは海に死なむ、・・・・・ああ波よひとたび汝れが倦怠に浴しては、綿船の水脈(みお)ひく跡を奪ひもならず、標旗の焔の驕慢を横切りもならず、船橋の恐ろしき眼を搔い潜り泳ぎもならじ」
「私信-深田久弥へ」は1930年に発表された「オロッコの娘」に対する小林の批評である。えらく歯切れの悪い書きようは、およそ小林らしくない。これには、おそらく二つ理由があって、一つはこの小説を小林が(たぶんほとんど)よいと思っていないからであり、もう一つは、この小説を書いたのが深田ではなく、当時の彼の妻だと知っていたからだろう。遠回しに「いい短編だとみんなが言う、私も依存はない」「果たして器用であるか」などと煙に巻いているが、まるで見当はずれという気がする。一方で小林は、深田の真の姿、登山家であること、素朴な心を持っていること、そして「大概の創作より見事な感動を」書くことができると語る。これこそ、深田の「日本百名山」そのもの。小林はもちろん、真の深田の姿をこのときに見ていたのだ。
「感想」はたぶん1930年の文壇回想文を頼まれて書いたものなのだろうが、作品の名前や中身は全く出てこない。小林が自分でやっている批評家についての「批評」を書いていて、当時、豊富な文芸知識を持つ明晰かつ切れ味鋭い新進気鋭の批評家として日本文壇に認められるようになった小林の、ちょっとした愚痴、悪ふざけのような文章である。こんな愚痴だらけの原稿を「返されるかもしれない。勿論不服は申さぬ」とまで書いているが、そのまま(かどうかはわからないが)発表されたようだ。「私は嘗て批評で身を建てようなどとは夢にも思ったことがない。今でも思ってはいない。文芸批評というものがそんな立派な仕事だとは到底信ずることは私にはできぬ」というのは案外、小林の当時の本心なのだろう。それに当時までは文芸批評はそのように考えられていたのだろう。だがその後、小林の書く数々の批評は日本文壇そのものを変え、「文芸批評」を一つのジャンルにまで押し上げてしまうことになる。この文章はその起点にある、エポック的なものなのかもしれない。文末にある「どうなることやら」というのは見事に花開くことになるのだ。
RRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR
これは文芸評論で、最初に一通り世の文学者や批評家をコテンコテンに批判し、うつろいゆく世の中の風潮に迎合して支離滅裂なものを書いていると切り捨てる。そしてようやく4ページ目の終わりになって、「実に久しぶりで出会った作家が二人いる。・・・・泉鏡花氏・・・と武者小路実篤・・・・」と本題に入る。泉鏡花は当時の自然主義などに対峙して歴史や怪談などのいわゆる浪漫派とされる作家だが、小林が指摘するのは彼の作家としての熱意のようだ。「氏は現に無類の情熱をもって制作している作家である・・・・・・氏の作品には先ず何を置いても極限に達した芸がある・・・・・至芸は心の完璧な象徴であることを常とする・・・・・私は鏡花集をそこここと読み直して、貫かれた太々しい(ふてぶてしい)情熱の線を見て赤面する『俺は一体何を呼んでいたのか』と」。これはまたずいぶんな持ち上げようだ。「描かれた人物も風物も聊かも作者の情熱の呪縛から逃れない。そしてそこに絶対的な夢を孕んできらめく現実の世界を織っている」というのは、泉鏡花の作品はフィクションだが、その中に現実の世界が存在するということだ。最後に小林は「精神は文体stylを持たぬ」というヴァレリイの名言を持ち出し、泉鏡花のロマン的な文学の舞台はスタイル(文体)であり、その精神は現実世界にも通用すると論理づける。最後に括弧書きの断わりがあり、発熱で今月はここで止める、続きは来月、とあるが、来月号に出たのは(武者小路実篤ではなく)横光利一だったらしい。
・うきみ【憂身】 を 窶(やつ)す① 労苦もいやがることなく、身のやせるほど熱中する。一所懸命にうちこむ。※浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)中「うき身やつすは親の為、其のかねをやる物かと」② (「浮身」と書くことが多い) 無益なことに夢中になる。耽溺(たんでき)する。
・詢:読み「ジュン」「シュン」「とう」「はかる」「まこと」意味:とう。たずねる。はかる。相談する。まこと。まことに。
・文体(スチル)=styl フランス語
「婦人サロン」に載せたというこの一文は今風に言えばかなりバラエティ調で、当時の騒がしい文学・文壇をおおいにからかっている。ある批評家がある文学者たちを「金魚鉢のなかの金魚」に例えていることを持ち出し、「ゲエテだってゴオリキイだって金魚は金魚」と語り、「重要なことは金魚の信仰は遊泳術のみにあるということ」と中段になってやっと本音を語り出す。最終節のヴァレリーの引用「精神は文体をもたぬ」に続く文章「文体をもつのは肉体だけ・・・・・芸術の秘密は肉体の秘密・・・・血の秘密・・・・・異人の精神なら電波に乗って到来します、ですが、血肉は汽船に積んでも到着いたしません」というのは、その前段で「泉鏡花の舶来なんてものはない」と語っていることからすると、「芸術の秘密=遊泳術=作家の個性的な心情・体系」とは作品の中に潜んでいるのであって、表面的に概説できるようなものではない、ということか。
「私はたくさん売れる本は読みません。たくさん売れる本を決して軽蔑しているわけではないのでして、私は本は勉強以外には読まぬ覚悟をしているだけです。遊びたいときには他の事をして遊びます・・・・・・作品を勉強のために読むとすれば、必定、作品を通じて作家の心に推参したいと願います。作家の個性的な心情をあるいは個性的な体系を明らかにしてくれない様な作物は私には何の興味もありません」
・棚に上げる:知らん顔をして問題にしない。不都合なことには触れずにおく。「自分のことは―・げて人の悪口ばかり言う」 goo辞書
これはS5年の「地獄の季節」翻訳刊行時の訳者感想文。小林は数年前に書いた「ランボオ1」を「妙な論文」、「ランボオを解析したとうぬぼれた」と切り捨て、翻訳作業にあたって新たな発見があり、「ランボオが明かしてくれた様々な秘密は私の肉体に沈殿してはやときほごす術さえ見当りませぬ」と語るが、ランボオが二つのトーン(調子)、「極点に彷徨する態の緊迫性」と「この緊迫の底にいつも流れている洵(まこと)にやわらかい抒情のひびき」を持っていたことを明かす。
「この二つのトーンの奇妙な交錯が彼の文体に無類の魅惑を与えているのであろうと私には思えます。ところで、この魅惑が、私の日本訳では到底わかるまいと考え、まことに私は残念に思います・・・・・・ただ私は、この翻訳に私の繊弱なな骨肉を少々ばかりけずりこんだことを自負するのみであります」
この冒頭の一節はたぶん、作家生活の宴を楽しんでいたランボオがある日、美や正義に反感を抱くようになり、死や欲念、利己心、七大罪の全ての描写に没頭した後、ふと我にかえって、昔の宴に戻れぬものかと思う。そして、ランボオはおそらく、それらの苦しみぬいて創作した描写、作品の中に何か輝くものがあるのに気づいたのだ。
「俺は確かに夢を見ていたのだ・・・・・俺の奈落の手帖の目も当てられぬ五六枚、では貴方に見ていただくことにしようか」
この詩はたぶん、ランボオが自分の国、フランスの歴史について思い切り悲観的な言葉を並べたもので、自虐的な表現のなかに、たいして苦労もせず、誇れるような働きもしていない自分やフランス民衆が、自由を享受し、不自由もなく、のほほんと暮らしていることを自覚し、「このままでいいのか」と大声で叫んでいるのでは? 終盤、「白人の上陸(ランボオの祖先はガリア人で、そこにローマ人がやってきた、ということ?)」と共に洗礼をうけ、ランボオには理性が誕生し、同朋を愛し、神を崇める、と言うのだが、それも束の間。「道化がいつまで続くのだ・・・・・生活とは風来の道化(注釈には「人生は皆が演じる道化芝居」)・・・・・これがフランス人の生活というものなのか、ああ、名誉への道とは」と嘆いてみせる。
「俺は処かまわず生きてきた・・・・・「人間諸権利」の宣言を後生大事と握っている・・・・・基督の教えの中にも・・・・この俺は断じて見つからない・・・・・そら科学だ、どいつもこいつも又飛びついた・・・・科学。新貴族。進歩。世界は進む。何故逆戻りはいけないのだろう?・・・・・」
「強気にしろ、弱気にしろだ、貴様がそうしている、それが貴様の強みじゃないか。貴様は何処に行くのか知りはしない、何故いくのかも知りはしない、処かまわずしけこめ、誰にでもかまわず返答しろ。貴様がもともと死体なら、その上殺そうとする奴もあるまい」
・胤:血筋。血筋をつぐ者。 goo辞書
正直、この詩はよく分からない。最初にランボオは毒を飲み、地獄の苦しみを味わい、悪魔を呼ぶのだが、この地獄の責め苦というのは彼の生活そのものらしい、「俺は自分が地獄にいると信じている」。だが、悪魔に言わせると、「俺は真理を捕らえて、正義を見ているのだそうだ。俺には穏健確実な判断と完成への心構えがあるのだそうだ」であり、「だが語るまい、詩人等、夢想家たちに妬まれよう。奴等より俺の方がどれほど豊かか知れやしない」と言うのは、ランボオは自分に才能がある、誰にも負けない知識を持っているという自負を持ちながら、そのことがかえって彼の生活=人生を辛いものにしているということではあるまいか。ランボオの周囲には自分と同等の才能を持つ者がおらず、学んだ知識を語り合う友人もいなかったということか。彼がベルナールに会うのはこのもっと後のことだろう。そして彼は言う、「俺は凡ての神秘をあばこう、宗教の神秘を、自然の神秘を、死を、出生を、未来を、過去を、世の創成を、虚無を。幻は俺の掌中にある」。これは決意の表われ? だが、どのようにそれを実行するかは掴んでいないようだ。後段の二つの背反表現は彼が悩み、迷っていることを示すものだろうか?
「俺はどんな能力でも持っている。此処には誰もいない、而も誰かがいるのだ、・・・・・・・俺にはどうにも扱えない。俺は隠されている、而も隠されていない。」
これはもっと分からない😢。文章はある女の懺悔で、夫婦生活に耐えられないと訴える。それなら別れればよさそうなものだが、できないらしい、「妾はあの人に身を委ねるように生まれ落ちた・・・・・妾は狂気の処女たちを傷つけたあの地獄の夫の奴隷です・・・・・あれのなんとも言えない品のよさが妾を惑わしてしまったのです。妾は人の務めも忘れ果て、あれについていったのです」。ところが、懺悔を続けるうちに彼女は夫との生活に浸りきっていて、夫の気がめいっているときは行動を共にすると言い、夫の優しい情けに飢えてきたと言い、果ては、決してあの人を嫉妬したことなどないと言い、最後には、「あれの優しさもやっぱり妾には死ぬ思いです」と言い、彼が姿を消してしまうことを恐れる。最後に「おかしな夫婦もあったものだ」と述べられている通り、夫婦になったいきさつはともかく、今や離れられない間柄になっているようだ。なんだか騙されたような、外見上は仲が悪そうでも、夫婦というものは深く結びついているものだ、と言いたいのか?
「何時かはきっとあれは奇跡のように姿を消してしまうでしょう・・・・・・」
これはランボオ自身の回想らしい。それを彼は「俺の狂気の一つ」と呼んでいるのだが。最初、彼は目にする風景、文献や歴史、音楽などを、誰よりも把握していて、それらから何かを創り出そうとした。ランボオは旅をし、森や荒地、川や空を見上げるが、うまくいかないらしい。彼は酒を飲みたくなる。ある朝目覚め、外で仕事をしている大工が桃源郷(エスペリイド)の日を浴びていると感じ、そこの乙女たちが酒をもってきてくれまいかと念ずる。ここまででランボオは何かを創り出せたらしい。「俺の言葉の錬金術で幅を利かせていたものは凡そ詩作の廃れたものだ」というのはただの謙遜であり、相当自信があるのではないかと思うが、どうやらランボオは、町の中の工場の中に荘厳な寺院、天使の学校、道行く馬車は天を翔け、湖の底にもサロンを見たらしい。それを彼は「魔法の詭弁」「言葉の幻覚」と呼ぶが、今ではそれほど詭弁でも幻覚でもなく、詩作というよりはドラマの題材、キャッチ・コピーの才覚と言うべきものか。ランボオが現代に生きていたら、演出家かコピーライターになっていたかも。ここで詩中の最初の詩、「一番高い塔の歌」が出てくる。これは彼が一連の作品を書き上げ、それを祝おう、喜ぼうとしたのだと思うが、どうやら人々はそれに良い印象をもたなかったらしい。ランボオは傷心し、「将軍よ・・・・大砲が残っているならば、乾いた土の塊をこめ、俺たちを砲撃してはくれまいか」と嘆き、自分を瑠璃草に焦がれる羽虫に譬える。二つ目の詩中の詩は「飢」。「毎朝俺が食うものは空気に岩に炭に鉄」というのは、」というのは、すっかり消沈してしまって何を食べても味気ないということか。ランボオはひねくれ、斜に構え、「俺はできるだけ道化た。錯乱した表現を選」ぶようになる。三つ目の詩中の詩には題名は無い。冒頭の「また見つかった、何が、永遠が、海溶け合う太陽が」というのはよく分からないが、自分の作品に対する人々の反応のことなのだろうか? ランボオは「もとより希望はあるものか・・・学問しても忍耐してもいずれ苦痛は必定だ」と嘆く。そして最後のテーマは「幸福」。「俺はすべての存在が幸福の宿命を持っているのを見た」と言うが、人々は自分が何者かもわからず、何をしているのかもわからず、錯乱の最中に生きているのに、それに全く気付かずに、幸福に生きている、ということに気づいたらしい。そしてランボオは自分自身も幸福であると気づき、そのことに苦痛を感じる。最後の詩中の詩にも題名はない。ランボオは幸福な自分に落胆し、諦めの境地にある。「俺はもう何も希うまい、命は幸福を喰い過ぎた・・・・・この幸福が行く時は、ああ、おさらばの時だろう」
「錯乱の、秘められた錯乱の数々の詭弁は一つとして逃したものはない。ぶちまけとあれば残らずぶちまけもしよう。からくりの糸はしっかり握っている。」「『幸福』は俺の宿命であった、悔恨であった、身中の虫であった。幾時になっても俺の命は美や力に捧げられるのは巨き過ぎるのかもしれない」
・吃驚:びっくり、きっきょう[副](スル)1 (「吃驚」「喫驚」とも当てて書く)突然のことや意外なことに一瞬おどろくさま。「急に肩をたたかれてびっくりする」2 わずかに動くさま。びくり。多く、否定の語を伴って用いる。weblio
ここでランボオは、また一つ人生に嫌気がさし、逃げることにし、その理由を「人々がお互いに認め合っては憎み合い、世間の交際が御都合に出来上がっており、世の選ばれた人々はいかさま名士」だからだと言う。そしてランボオは自分が西洋にいるのだと気づく。西洋は光が変性し、形式が衰弱し、錯乱した運動で満ちている。そこでランボオは東洋の思想に、当初の叡智に回帰しようとするが、『教会』は東洋の歴史は為にならぬと言い、『哲学者』は、西洋が東洋かというのは単に場所を変えるだけ、と言う。しかし西洋は『科学』を見つけており、ランボオはこの『科学』に手を焼いているらしい。『科学』は事実を積み上げて物事や自然の仕組みを解き明かすのだが、それがどうもランボオには気に食わない。彼は自分のいらだちの逃げ場を東洋思想に求めるのだが、うまくいかない。
「あの科学の宣言以来、基督教が、人間が分かり切ったことをお互いに証明してはふざけ合い、証明を繰り返しては悦に入り、凡そ外に生きる術がなかったという処にこそ、まことの罰があるのじゃないか」「俺の精神よ、気をつけろ。過激な救いにくみするな。鍛錬を積むことだ。ああ、科学は俺達の眼にはまだるっこい」
この短い詩でランボオは何を嘆いているのだろう? 「人間の事業」というのはたぶん科学を使う仕事のことなのだろうが、どうもランボオは科学と折り合いが悪いらしい。「俺にこの世で何ができる。俺は事業を知り抜いた、科学の足は遅すぎる・・・・・俺の手が要るわけでもあるまい・・・・・俺の命は擦り切れた。さあ、皆で誤魔化そう、のらくらしよう、何というざまだ。戯れながら暮らしていこう・・・・」と嘆くランボオ。だが、まだ光はあるようだ。
「いや、いや、今、俺は死に反抗する。事業は俺の誇りにはあんまり安手の代物らしい・・・・・・やれ、やれ、可愛い哀れな魂よ、俺達には永遠はまだ失われてはいないのだろうか」
・廿歳:はたち
211212 朝 この短い詩でランボオは過去の希望に満ちていた少年の日々、その後に味わった挫折を語る。「人の子(イエスが自分を指して用いた言葉)が扉を開けた、昔ながらのあの地獄」とは、誰もが一度は経験しなければならない苦行ということか。そして静かな冷静な心を取り戻し、夜明けを待つ。
「俺の疲れた眼はいつも銀色の星の下で目覚めている・・・・地上の『降誕』を称えるために俺たちの行く日は何時だ」
ここでランボオは新たな一歩を踏み出そうとしている。別れを告げる相手は秋。「女王蝙蝠(グールの女王)」に「魂と死骸」を食われている「見知らぬ人の直中(ただなか)に横たわる俺」に別れを告げる。「俺の数々の想像と追憶とを葬り去らねばならない。芸術家の・・・美しい栄光が消えてなくなるのだ」。そして、いったんは「土に還る。百姓だ」というが、その直後、「断じて近代人でなければならぬ」「正義の夢はただ『神』の喜びだ」「俺たちは燃え上がる忍辱(にんにく:侮辱や迫害を忍受して恨まない)の鎧を着て光り輝く街々に入ろう」「俺には、魂の裡にも肉体の裡にも真実を所有することが許されよう」と続け、これまでの努力に対する数々の厳しい体験、グールの女王のような人々からの侮辱もすべて受け入れ、街から逃げず、近代化からも逃げず、真実を追求しようと決意する。その方法はこのときはまだ芸術だった。『女王蝙蝠』『忍辱の鎧』というのは小林の意訳で、『女王蝙蝠』は原文直訳で『グールの女王』だが、『忍辱の鎧』の原文が何だったのかは注釈がない。まあ、意味はよく分かる。
「イルミナシオン」を「飾絵」と訳した小林はおそらく正しいのだろう。ランボオのここでの詩は(少なくとも最初の詩は)ランボオの目に映ったものを、感じ取るままに表現しているように思える。「大洪水」というのは聖書と現実の出来事を重ねているのではと注釈にあるが、前節までにランボオが語ってきた彼自身の芸術活動の挫折のことではなかろうか。そこから立ち直り、前に進むにあたり、ランボオはまず目に映ったものを口にする。最初に出てくるのはまるでおとぎ話のような妄想、幻覚のような描写だが、ランボオはおそらく現実の出来事をそんな風に、「一匹の兎が虹の橋にお祈りをあげ・・・・胡散な奴らが家を建て・・・・隊商等は旅立った」と映る。だが彼は次第に正気を取り戻し、新たなる展開を待つ。「ユーカリの樹が俺に春だと告げた・・・・池よ湧き出せ・・・・稲妻も雷もさあ立ち直って鳴り出すんだ」。最後に出てくる『女王、魔法使い』とはいったい誰のことだろう。
・illunination:1.明るくすること,照明;照らされていること[状態];C〔通例~s〕((主に英))イルミネーション,電飾 ・indirect illumination 間接照明 1aU《光学》照度(◇単位面積に当たる光の量) 2.啓蒙けいもう,啓示,解明,説明 3 C〔通例~s〕(頭文字・ページ・写本の絵の具・金泥による)彩飾 weblio
・百里香:百里香 (ヒャクリコウ)植物。シソ科の落葉小低木,高山植物,園芸植物,薬用植物。イブキジャコウソウの別称 コトバンク
ランボオは森の中を歩いているらしく、目にとまったものを表現していく。異国風の偶像、オレンジ色の唇をもった少女、海のほとりのテラスに集う貴婦人たち。次は頭に浮かんだ幻想。薔薇の木立にかくれて死んだ娘、従兄の乗った四輪馬車、黄金の木の葉に取り巻かれた将軍の家・・・・・。次の節では現実と妄想が入り混じるが、おそらく地下にある自室に戻って散歩のときに見たものを思い出しているのだろう。「森に一羽の鳥・・・・時を打たない時計・・・・窪地・・・・湖・・・・小径を駆け下る車・・・・衣装をつけた役者の一団」。ランボオはいたって平穏な様子。彼は今、真っ白な墓のような地下室に住んでおり、そこから這い上がってやるという気概を持っているのだが、自信たっぷりという訳でもない。
「懊悩の時の来る毎に、この身をサファイヤの玉、金属の玉と想い直す。俺は沈黙の主人。丸天井の片隅に、見たところ換気孔のような一つの姿が蒼ざめるのは何故か」
贅沢三昧だが願望と満足が得られないある『王子』が、女たちや従うものをすべて殺した、というのは、おそらくその者たちからは願望や満足を得られなかったということだろうか? そしてある夕方、『王子』は「なんとも支えかねるほどの幸福の幾重にも錯雑した恋愛」をもつ『天才』と出会い、「二人は一緒に死んだ」と言いながら、『王子』は天寿を全うした、『王子』は『天才』であった、というのは全く訳がわからないが、たぶんその夕方、『王子』は突然、願望と満足を得ることができるようになったということか? でもそれではあまりにも平凡すぎやしないか? だから、「優れた音楽が、我々の欲望には欠けている」ということなのか? いやはや。
ここでランボオが語る「道化」、「手品の巨匠」「野生の道化」は「舞台の道化」ではなく、「ふざけた嗄れ声、まがい金襴のむごたらしい動き」で哀歌や悲劇を演じる技能をもった人たち、もしくは特技のことなのだろう。そして、ランボオもまたそういう道化の一人であり、「野生の道化の鍵はただ俺一人が握っている」と語る。「悪胤」の終盤で語った「生活とは風来の道化(人生は皆が演じる道化芝居)」(p38)の道化と同じだとすると、人はみな、道化の一面を持っていることになるが、ここではそこまで広げてはいない。
・嘲弄:嘲弄 (チョウロウ)とは何? Weblio辞書 [名]( スル) あざけり 、からかうこと。 「 他人 の 失敗 を嘲弄する」「嘲弄を受ける」 嘲り からかう こと。 馬鹿にする こと。 係官は 犯人 の 嘲弄 に 悲憤 の泪をのんだ。
ここでランボオは舞台の上で演じている(古代の歌劇?)美しい女の姿態と演技にすっかり心をとらえられ、言葉遣いがすっかりおかしい。「花々と漿果とに飾られたおまえの額」はいいとして、「牙は光り・・・・両性の棲む腹に心臓は鼓動する」とはいったい何のことやら。「生命あるものだけが持つとりどりの色は、深く濃く、舞を舞い、台上に『夢』をめぐって眼の追う方に放たれる」というのは光の残像のことだろうが、「戦慄は立ち昇り、唸りをあげて・・・・・俺たちの遥か背後から、俺たちの美しい母親めがけてこの世が投げる、死人の喘ぎとしゃがれた楽の音に満たされる」というのは、舞台の背後にあるステージにいるコーラスとオーケストラがお呼びじゃない音を出しているということか?
ランボオは自分の生活、人生を振り返る。「十二のとき、閉じ込められた屋根裏の部屋で世間を知った。人間喜劇を図解した」というのは、おそらくバルザックを読んだということだろう。そして「酒倉で歴史を覚え」「ある夜の祭りで昔の絵にあるあらゆる女性に邂逅し」「パリのとある古い通りで人々が古典の造詣を傾けてくれた」。そして「俺はあらゆる文学の劇的傑作の演ずる一幕をわがものとした」のだが、「いろいろな諍(いさか)い」などで成功を手にできず、「今はつましい空をいただく痩野の旦那」となり「意地の悪い狂人となるのを待つばかりだ」「墓場の向こうから来たこの俺になんの任務があるものか」と嘆く。だが、希望に満ちていた若いころを思い出し、少し元気が出てきたようだ。それは次の詩「出発」に現われている。
この4行の短い詩のなかでランボオはどうやら不幸な自分の人生に拗ねているだけの生活に飽き飽きしてしまったらしい。自分の不幸をいくら嘆いてみたところで人生が好転する訳でなし。この間に全く別の展開、例えば魅力的な友人や恋人との邂逅も無かったとなれば(これは他力本願ではある)、自分自身で新たなるスタートを切るしかない訳だ。
「見飽きた。夢はどんな風にでも在る・・・・・出発だ、新しい情と響とへ」
二人の男女(夫婦?)が広場で人々に対し、女を女王にすると宣言して気絶するが、その日、二人はずっと王様だった・・・・・というのは、誰でも王様になる権利がある、誰でも自分の夢をもってそれを実現できるんだ、という希望を語っているのだろうか。
「ほんとうだった、家々には紅色の布が張り渡され、二人は午前も王様だった。棕櫚の園を進むとき、午後も二人は王様だった。」
ここに語られている太鼓や行動で人を動かし、愛を語る人物は、政治家や預言者の類ではなく、たぶんいろんな知識を人々に示し、頼られているランボオ自身のことなのだろう。人々に頼られることで彼は生き甲斐を感じていたのだろう。
「お前は何時でもやってきて、何処へでもいくだろう」
暗喩だらけのこの詩でランボオが言おうとしているのは古い考え方(善悪の樹、暴虐な誠実?)を排除し、新しい何かを生み出すため、『善』と『美』という毒薬を持った「俺達年頃の人々」により、「超人の・・・・優雅と科学と暴力」という方法を使うということらしい。たぶんヨーロッパの芸術における古いしきたりを打ち破って新しい芸術を生み出したいということか。ピカソが父のやり方から抜け出して全く新しい絵を描きだしたというのと同じことだろう。しかしそのためには、彼らは『刺客達』にならねばならなかった。
「俺たちは毒薬を信じている。いつの日にもこの命を洗いざらい投げ出すことを知っている」
この連文詩もまたランボオの頭にひらめいた言葉の断片らしい。「未聞の栄耀に取り巻かれた静かな美しい老人」とは古い芸術のことなのだろうか?その老人をランボオは圧し殺そうという。一方、まだ成功していないランボオは自分の当惑を女乞食や人足と同列に置き、絶望を火葬の臭いや散歩場の混雑にたとえ、一心に詩を書く。「金の鎖を星から星へと張り渡し」「白い西空を負って魔女が身をもたげ」「雲間に薔薇色の火の鐘が鳴る」というのはその詩の断片。そして、「眠られぬ俺の夜を黒色の粉末がもの静かに降ってくる・・・・・そして影の方に捩じ向くと俺には君たちの姿が見える。俺の娘たち、女王たち(『美』のこと?)」。これらの詩の断片の美しさ、響き、フランス語ではどんなふうに聞こえるのだろう。
「綱を鐘塔から鐘塔へ、花飾りを窓から窓へ、金の鎖を星から星へと張り渡し、俺は踊る」
労働者 ランボオは労働者として働いていた昔を思い出す。アンリカという名の女性と2月の暖かい日に郊外の農地を散歩しているらしい。市松模様の服やボンネット帽子をかぶっているアンリカは魅力的なようだが、ランボオの心に去来しているのは辛い過去の出来事。「俺には一度も許してはくれなかった、あの途轍もなく嵩張った力と科学」と語るランボオの絶望はやはり科学に根差しているらしい。
「あんな小っちゃなお魚が」いると女は私に教えてくれたっけ」
ランボオは運河にかかる橋(たぶんパリのサン・マルタン運河)を眺めている。そこにはまっすぐ、角ばった、そして中央が盛り上がった(「背をまるくした」)橋などがたくさん架かっており、風景が遠近法のよう(「次第に小さく、低くなっていく」)に並んでいる。それらの橋の情景や特徴、歩いている人たちの様子や衣服に、ランボオは短調和絃と色彩の交錯を見る。これはたぶん、画家の視点、芸術家が見た情景描写。そして灰色の空に日が差すと、その魔法(ランボオは「喜劇」と書いているが)は消えてしまう。
「様々の短調和絃は錯交して静かに流れ、様々な調べは堤防から立ち登る。赤い背広がはっきり見える、またいろんな衣装やら楽器やら。一体これは流行歌なのか・・・・・・白い光線が中空から落ちて、この喜劇を消した」
ここでランボオは二つのことを言っていると思う。一つは前半で述べている「自分を識ろうとする要求をもたぬ・・・幾百万の人々」で、彼らは教育を受け職業も持っているが、有益な人生とは言えない(「人の生涯は・・・・幾層倍も短い」)と批判する。二つ目は後半に述べられる新しい亡霊の群れ、エリニイ(自然の摂理に反する罪を咎める女神)の群れで、これは「石炭の分厚いはてしない煙を透して揺れ動く」とあるので、おそらく科学、産業革命のことだろう。この『科学』についてランボオは「涙を知らぬ『死』に、絶望した『愛』に、あるいは街路の泥の中で忍び鳴く可愛らしい『罪』に似ている」と表現している。当惑しているのだろうか。
・好尚:こう‐しょう カウシャウ【好尚】〘名〙 すきこのむこと。このみ。嗜好(しこう)。コトバンク
この短い詩でランボオが見ているのは、たぶん窓からの情景で、右手から朝日が射し、左手の道路の陰影の中に轍がくっきり際立って見えた。その「数知れぬ急勾配の轍」からランボオは「魔法の国の行列」を連想したのだろう。その行列はどうやらサーカスの車で、「木造の動物」や「曲馬」を乗せ、「花を積んで、旗を飾り立て」ている。これもまた、飾窓の情景、夢想の情景。
街々 これはたぶんランボオが夢に見た街の情景だろう。その街は「アレガニイ、リバン」のような高い山々に囲まれ、ガラスと木の山荘は目に見えぬ軌道の上を動き、勇者ロオラン、天使のようなケンタウロス(サントオル)、男性合唱団オルフェオンの舟などが歌っている。ランボオは大通りの雑踏の中を歩き、人々が「新しい仕事の歓びを歌」うのを聞くが、ランボオは「山に帰らねばならなかった。」ランボオはなんとかしてこの国に行きたいらしい。
「一体、どんな見事な腕の御蔭で、どんな美しい時がきて、俺の眠りと僅かな身じろぎを伝えるこの国が、俺の手に戻るのだろうか」
ヴェルレーヌとの放浪を語るランボオは苦しそうだ。ランボオは彼独特の方法で芸術を創ろうとする。「稀代の音楽を奏する楽隊の通る野原の彼方に、未来の夜の栄華の亡霊どもを創っていた」というのは、クラシック曲をモチーフにした未来世界の詩作なのだろうか? このランボオの創作方法がどうやらヴェルレーヌの理解を越えていたらしく、ヴェルレーヌはランボオの気に入るように対処できない。そのためランボオは、「不憫な兄貴だ。奴の御蔭で何とやり切れない」と感じ、ヴェルレーヌはなんとかランボオを理解しようと話しかけるのだが、それはランボオには「兄貴は俺のことを世にも不思議な不運な男、無邪気な男と決めつける・・・・・痴呆のような苦しい想いをわめきたてた」としか受け取れない。だが、ランボオは原因は自分にあると感じていて、「この目論見に俺は心底打ち込んでいたのではなかった。俺は意気地のない兄貴を騙していた」と反省し、「俺は心からの誠意をもって『太陽』の子の本然の姿に兄貴を返してやろうと請け合った。」そして二人は放浪を続ける。
「二人は間道に酒を飲み、街道にビスケットを齧り、俺は、場所と定式とを求めようと焦り乍ら、さまよったのだ」・・・・定式 formule とはランボオの探している芸術のスタイルのことだろうか?
これは二つ前の「街々」とは違う巨大な都市らしい。アクロポオルというのが(注釈は「大きな建造物の比喩」としているが、)この街の名前らしく、ランボオは「ハンプトン宮の幾層倍もあるような会場で絵画の陳列を眺めている。」『聖堂』の円天井は半径500m(1万五千尺)、「金持ちらしいのが・・・・ちらほらとダイヤモンドの乗合馬車の方へ歩いていく。」ランボオは劇場に入ろうとして止め、郊外に歩いていくと、そこは「パリの美しい通りのように典雅できらめく風に庇護されて・・・・人家はまばらに、郊外のはるか原野に・・・・・途方もない森林と農場」。これはたぶんパリの郊外と同じイメージなのだろう。産業革命で変わりつつあるパリの中心街に違和感を感ずるランボオは、自然と美のあるパリ郊外には好感を持っているようだ。
ランボオは寝台で寝ていて友人や愛人の夢を見ていて目覚め、夢は清々しいものだったのに、眠れなくなる。照明を灯すと、客間の装飾、壁の装飾が目に入り、そして想念が湧いてくる。「眠られぬ夜の海はアメリイの乳房の様だ」というのは、どこかで誰かが引用しているのを読んだ記憶がある。小林の小説だろうか? 壁紙のエメラルド色は林に見え、そこに雉鳩を連想し、炉の黒い板金に朝日がいくつもの光になって反射したかと思うと、本物の朝日が唯一現われてきた。これもまた、飾絵の情景。
「黒々と炉の板金、幾つもの砂浜にそれぞれまことの太陽が昇り、ああ、そこここに幻術の穴。と、思えば曙の眺めが唯一つ」
これは、列車の窓から外を眺めているのだろうか? 最初は草原の斜面が光の加減で鋼やエメラルドのように見え、左手には踏み均された肥料土、右手には曙の日の光と「進歩の直線」というのは高い建物のことだろうか。「海の法螺貝と人間の夜」というのは列車が汽笛を鳴らし、トンネルに入ったのか? やがて夜となり、「星や空やその他のもので飾られた優しさが・・・・・花籠のように降りてくる」。列車の窓側に乗って外をぼんやり見ていると、こんな感じ。ウラジミール・ナボコフのえらくメタフィジカルな列車の窓の風景描写を連想させる。
ランボオは夜明けにまどろんで、まだ夢を見ているらしい。夢の中で森の路を歩くと、「群れなす宝石の眼は開き、鳥たちは音もなく舞い上がった・・・・一輪の花はその名を俺に告げ・・・・・ブロンド色の滝に笑いかけ、銀色の山の頂に女神の姿を認めた。」そして夢の中でランボオはその女神を追いかけ、「鐘塔や円屋根・・・大理石の波止場の上を・・・息せき切ってあとを追い・・・・月桂樹の木立の近くで」女神をとらえる。「俺は、彼女の途轍もなく大きな肉体を仄かに感じた。」そのあたりでランボオは目が覚める。「目を覚ませ、もう真昼だ。」若干、コミカルな詩。
ランボオはベルサイユのような宮殿花壇を眺めているらしい。「黄金の階段・・・絹の紐・・・水晶の花盤・・・銀の眼と髪の毛との細線で文に織られた掛布の上にジギタリスの花」というのは、空想の世界? それともメタフィジカル表現? 「黄色い金貨・・・アカジュ(マホガニー)の柱、白襦子の花束と紅玉の細い鞭」が取り囲む「水薔薇」はウォーターローズのことだろうか? そして大理石台には薔薇の群れが咲いている。たぶんフランス語のリフレインを並べた詩なのだろうが、和訳では図り知れない。
ここでランボオは四輪馬車に乗って外を眺めているが、やはり空想なのかもしれない。外は風が吹いていて、ガラス窓には月。「月蝕を作る」というのは風で雲が流れているのか? 四輪馬車は古ぼけたものらしく「俺の孤独な眠りの柩車か、俺の痴態の牧舎なのか」と形容するランボオ。「窓硝子の・・・隙間があって・・・様々な顔や木の葉や女の乳房がぐるぐる廻る」というのは落書きだろうか? 乗り物を捨てたあとが良く分からないが、ソドムやソリム(エルサレム)を引き合いに出し、「零れ流れる酒を渡り・・・・ころがっていくのか・・・」というのは酒場をハシゴしている様子? 平凡どころか退廃した雰囲気の夜曲。
p100 夜曲:元来は夕べに恋人の窓の下で歌う歌であるが,ここに含まれる〈夕方〉〈野外〉〈下から上にささげる〉といった意味から派生した各種の芸術音楽の総称となっている。 〈夜曲〉〈小夜曲〉と訳されることがある。 楽曲の形¥¥式を規定せずに演奏の方法や機会を指す名称であるため種類は非常に多いが,大きく次の三つに分けることができる。 コトバンク
これは船の上からの情景。銀(しろがね)、銅(あかがね)、鋼(くろがね)の船が行き交い、「茨を根元から掘り起こす」というのは大きな波を立てている描写だろうか。「曠野の潮流と引潮の巨大な轍」というのは渦のことだろう。その渦が「ぐるぐる廻り、流れ去る。」そして「波止場・・・・の角は光の旋風に衝突する」というのは、港の建物の間から日が差しているのだろうか。
ランボオは祭の中を歩いているらしい。お芝居小屋からは滝の音、「水煙は延びて、メアンドル河に添う果樹園に至り」というのは噴水か何かの先に果物の店か果樹園があったのだろう。「やがて西空に群れなす緑色、赤い色・・・・オラアスの水の精達・・・・・シベリヤの輪舞曲、ブウシェ描く志那の女達」というのは祭の踊り手たちがやってきたのだろう。映像と音楽を連想させる詩。
これもまた、「科学」に夢を打ち砕かれ、悶々とするランボオの姿。ランボオの「野心」はおそらく芸術なのだろうが、彼の芸術は認めてもらえない。一方、「科学=吸血鬼・・・の呉れるものを喜んでいれば」生活には事欠かない。しかしそれではランボオの心は満たされない。最後の文がその苦悩の辛さをにじませる。
「転々とさまようのだ、疲れた風に乗り、傷口の上を・・・・・荒々しいうねりを上げる沈黙の裡に、嘲笑う苦悩の上を」
これはおそらくパリのことだろう。「オシアンの海」というのはランボオが追求している詩や芸術のことで、かってはそれら「薔薇色、柑子色(こうじ)の砂の上に・・・・水晶の大通り」があったが、今は「一片の富もない」と言う。「最も不吉な黒煙」「だんだらの濃霧」というのは工場の吐き出す煙だろうか。「彩色した様々な顔」「愚かしい女の水の精」「豌豆の苗畑には晃きわたる髑髏の群れ」というのは下町の住人たち? そして、「柵と石垣に縁どられ、うちには樹立ある景色も見えず」というのはたぶん工場や新しい建物で、そこには「王女等(つまり科学)も棲んで」いて「星の研究も御勝手」にすることができる。ランボオはそうすることを潔しとしていない。よって、「君らは、これらの中に立ち交わって『彼女』と一緒にじたばたするのだ」と言い捨てる。産業革命で変わりゆく都市パリの情景、それには逆らえないと知りつつ、馴染めないで苦悩を感じるランボオ。これは芸術家の苦悩なのだろうが、科学や産業革命とも協調できる芸術の道もあったのでは?
・オシアン:Ossian3世紀ごろ、イギリスのスコットランド高地地方およびアイルランドに居住した古代ケルト人の英雄フィン(またはフィンガル)の子として生まれ、ターラの宮廷に仕えた勇者で、吟唱詩人として幾多の叙事詩をつくったといわれる伝説的な人物。18世紀に至って、スコットランドの詩人マクファーソンが、オシアンの詩をゲール語から散文詩風に英訳したものと称して、『スコットランド高地地方で集めゲール語から訳した古代詩集の断章』(1760)、『フィンガル』(1762)、『テモラ』(1763)の3編を発表した。さらに好評にこたえ、1765年にこれらを『オシアン作品集』として2巻にまとめるに及び、古代ケルト世界の醸し出すその縹渺(ひょうびょう)たるロマン的情調は、イギリスのみならず、ヨーロッパ各国語にも訳され、ワーズワース(ワーズワス)をはじめ、ゲーテ、ヘルダー、シラー、シャトーブリアンら、いわゆるロマン派の作家、詩人たちに大きな影響を与えた。 しかし発表当時から、その真偽に関して論議があり、マクファーソンによる偽作とする説もかなり有力であったが、むしろ今日では、オシアン原作説はともかく、古代ケルト人の間に語り継がれた英雄叙事的主題をもとに、マクファーソン自身が英語、ゲール語両方にわたる知識を縦横に駆使して創作したものとみられている。20世紀において、詩人イェーツはアシーンOisinの名のもとにアイルランド文芸復興のシンボルとして歌っている。
「人間どもも国々も遥かの彼方に後にして・・・・北極・・・・海・・・古めかしい豪勇」というのはバイキングのことだろうか? そこには「生肉の天幕」があり、いかにも野蛮だが、ランボオは彼等に「優しさ」を見出している。それは「炭火」や「音楽」、そして「様々な像」「様々な汗」「とりどりの髪毛」「とりどりの眼」「沸騰する蒼白い涙」などに「優しさ」を見出しているということは、今の生活環境ではランボオはそれらを見いだせていないということだろう。これもまた産業革命に対するランボオの嘆き、人々はかって野蛮人のバイキングがもっていた大切なものを失っているといいたいのだろう。
ここで「売物」と言っているのは、おそらくランボオが人々に売り出したい、世の中に打ち出したいと思っているモノやアイデアではなかろうか。それは「構成を変えた諸々の声・・・・同胞の目覚めと・・・実施、俺達の感覚を解放する無二の機会」(これはランボオと仲間たちのアイデアということだろう)、「価も量られぬ肉体、歩むにつれ迸る様々な富、滅茶滅茶のダイヤモンドの安売り」(これもまた、ランボオや才能豊かな者ということか)、「民衆には無政府・・・・好事家等には抑えきれない満足・・・・信者情人共にはむごたらしい死」(民衆や好事家や信者情人が望んでいるものということ?)、「住居と移住」「様々な計算の応用・・・・言葉の掘り出し物・・・・不可見の光彩・・・・」(これは新たな技術や才能によるソフト?)などのようで、まさしくランボオが世に売り出したいと思っていたものだろう。だが、これらはいかにも生煮えで中身がなく、具体性に欠けている。これではとても起業家や投資家などは手をだせないだろう。
「売物。肉体と声、まさしく途轍もない豪奢。将来も断じて売り手にはないものだ。まだまだ品物には不足せぬ。旅人たちはあわてて手附を置くには当たらない」・・・・まあ、売れないと分かっていたようだ。
「エレエヌのために陰謀を企てた・・・・・樹液と・・・・心無い光」というのが妖精(fairy)なのだろう。妖精が企てたのは「夏の暑熱」(恋?)「なすことも無い放心」(失恋?)そして「喪の舟」(恋人の死?)であったが、それも今や昔となり、エレエヌはそれらの陰謀を乗り越え、もはやいかなるものも「彼女の双眼と彼女の舞踏には及ばない」。エレエヌ(Helene)はギリシャ神話のヘレネとも考えられ(これは今、ダン・シモンズのイリアムでずいぶん読み込んでいるのだが)、ヘレネがパリスに誘拐され、そのパリスもトロイア戦争で死に、美貌のヘレネは生き残るというホメロスの詩の通りになっている。時の経過を沢音や樵の角笛で表現しているところは、フランス語ではどんな感じなのだろう?
「朽ち潰れた森をくぐり、早瀬の音は杣人の吹く風に乗り、谷間々々に木霊する牧獣を呼ぶ角笛の音、ステップに起こる叫びも、はや過ぎて後。」
これはランボオの思い描く夢。少年の頃にはいろいろな空(世界)を見て経験し、様々な性格の人々との交流で痛い目辛い目にも会い(顔に影をつけ)、出会うものすべてが驚きの連続だった(ざわめき立った)。そして今、「様々な瞬間の永遠の屈折と数学的無限とが俺をこの世に駆り立てる」つまり、ランボオは出会うもの全てから何かの意味、仕組み、からくり、隠された真の姿(永遠の屈折と数学的無限)を感じ取り、それらでな何かを成し遂げたい衝動に駆られる。それこそがランボオの「戦」、軍人の戦争ではなく、市民としての競争であった。だがランボオはそれを「音楽の一楽章のように埒もない」と切り捨ててしまう。相当に感受性が強く、鋭い理解力を持っていたに違いないが、一方、成功を勝ち取るために必要な忍耐力に欠けていたのでは?
p199 埒もない:1 とりとめがない。たわいもない。「―・い話」「―・く笑いころげる」2 きまりがつかない。順序だっていない。めちゃくちゃである。goo
ここで語られる四つの詩もまた、ランボオの若い頃の努力と焦燥、絶望と決意を綴っている。「Ⅰ.日曜日」では、休みのはずなのに仕事(計算)をしているランボオの頭にいろいろな空想が浮かび、仕事がままならない。「Ⅱ.小曲」は言葉の羅列で意味不明だが、おそらくランボオの仕事はうまくいかず、「血縁とか家柄」「力と権利」には勝てず、「お前のその計算もお前のその焦燥も・・・・・お前たちの舞踏に過ぎぬ、お前たちの声に過ぎぬ」といらだつ。「Ⅲ.廿歳」は更に言葉の断片。20歳になったランボオはすでに忙しく「仕事」するのも止め、緩やかに(アダージョ)日を過ごし、どうやら歌と酒におぼれているらしい「合唱だ、玻璃の盃を集め、夜の歌を集め・・・・」。「Ⅳ」は、それでもまだ夢を捨てきれず、何かができるはずだという思いを語る。「お前はまだアントワンヌ(聖アントニウス)の誘惑から逃れてはいない・・・・・諧調をもったあらゆる可能性・・・・完璧な諸存在・・・・古代群集の好奇と無為の栄耀とが夢のように溢れるだろう。お前の記憶と感覚とは、正しくお前の創造する衝動の糧となるだろう」。ランボオはたび重なる絶望にもかかわらず、新たなる決意を新たにした。
廿:にじゅう
これはランボオの空想。ランボオは地中海やイギリス、スペインには行ったことがあるのかもしれないが、ここに記されたギリシアやアフリカ、日本やアメリカには行ったことはないはずだから、これらは文献で読んだり見たりした光景だろう。「二本マストのささやかな帆船」に乗ってランボオはこれらの地を訪れ、「神殿」「砂丘」「カルタゴの大運河」「日本の樹」「円形の門構え」「鉄道」「タランテラの踊り」、岬に立つ「海角殿」などを目にする。世界を巡ってみたいという願いは詩を書くのを止めてから、実現する。
ランボオは芝居小屋に見物に行く。それは野原に設けられた舞台で、現代貴族(当世倶楽部のサロン)や東洋古代の抒情劇がフルートや太鼓と共に演じられ、喜歌劇では舞台の仕掛けが稼働したらしい「桟敷から照明まで、設けられた十個の隔壁の交截稜(こうせつりょう)できれぎれになる」。珍しく全くの叙景詩で、劇の評も見当たらない。ほとんど無意識に見ていたのだろう。物珍しさだけが感じられる。
「銭金沙汰から身を引いて・・・立迷う・・・心やさしい旅人」とはランボオ自身のことだろう。「巨匠」や「人」が誰なのかは分からないが、「旅人」=ランボオは様々な「挫けた夢」をもち、「狩とさすらいの小径に身をふるわせ」ていたが、どこに行ってもうまくいかない。しかしランボオは「時は来る」と信じている。そのときには「この世は火室となり」「必至の勦絶(滅ぼしつくす)だ」というほどの激動が起きるだろう。難解。絶望の中にも希望は捨てていない。
p113 暮方=夕暮れ
ボトムとはシェイクスピアの「真夏の夜の夢」に登場する道化で、オベロンの魔法により、ロバに変身したボトムをティータニアが愛するというもの。ランボオは「一匹の巨きな熊」になって「俺の女の家」にいる。朝になって、ランボオが夢から目覚めると、ティータニアのように、女が身を投げ掛けてきたのだろう。ここでのランボオはたぶん、女性と過ごすことで「荊棘」や苦悩を和らげているのだろう。
タイトルの「H」はオルタンス(Hortense)の頭文字なのだろうが、これは誰のことなのだろう。「色情の機械学」「恋愛の力学」でもって「この世の人間共の道徳は、彼女の情熱か行動の裡に解体」するというから、よほどの美人で男にとって魅力のある女性なのだろう。彼女の芸術や知識については何も触れられていないが、それにもかからわずランボオが最後に「オルタンスを捜せ」と書いているのは、こういう純粋な愛を感じさせる女性に巡り合いたいということか?
これは産業革命を皮肉った詩のようだ。「大河の震動、船尾に渦巻き、斜面を疾駆し、激流を通過し」ていくのは次々に現れる産業技術で世渡りしようとしている事業家や労働者のことだろう。ランボオは彼らが「世界の征服者」であり、「遊戯と慰安」「教育」を持ちながら、「眩暈(めまい)」に襲われるという。「調和ある陶酔と発見のヒロイズムに追い込まれる」とは、あまりにも性急に物事が進みすぎていて、いつかは破綻するということか。ランボオは現代におけるバブルの崩壊を予言しているのだろう。そしてランボオはこの性急に進む大型船とは別に、小さな方舟に乗った年若い夫婦を登場させ、旧約聖書の大洪水を生き延びるだろうと語る。確かに、産業革命後の近代社会は幾多の経済破綻や戦争を経験し、現在のサステイナブル・グロウス(持続可能な成長)に至っている。ランボオが最後に言う「古代の野蛮」はどうにか乗り越えているようだ。
この詩でランボオは自身が献身(わが身を犠牲にして尽くす)する対象を列挙している。シスター・ルイズ・ヴァナン・ド・ヴォランゲムは海で難破したのだろうか、それとも難破した人々のために祈っている? シスター・レオニイ・オオボア・ダッシュビイは発熱を押さえるための悪臭を放つ夏草をもっていた。ルルは年頃のおしゃべり癖の悪魔。世の男たち。xx夫人。嘗ての俺の青春・・・・・貧しい人々の心。至徳の僧。凡ての礼拝。そしてシルセトエとは、ランボオが密かに恋する女性だろうか。ランボオはこれらのために、「何事を賭しても・・・・たとえ形而上学の旅にさまよおうとも」献身すると誓う。「形而上学の旅」というのは現代だと人物や建物をカリカチュアしたバーチャル・リアリティの世界を連想させる。勿論、ランボオの頃にこんなものは無かったのだが、彼は未来を直感的に予感していたのかも。
ここでランボオは民主主義と産業革命に対して強烈な皮肉を吐く。「旗」は自由な人々の象徴だが、彼等は尊いもの規律あるもの整然と合理性を求めるとは限らない。ランボオはそういう人たちに「汚らわしい風景」「破廉恥極まる汚瀆(おとく:けがすこと)」「一番言語道断な経営」「猛悪な哲学」を促し、「学識には文盲」「慰安には極道」でもって「前進せよ、出発だ」と呼びかける。かなりやけっぱちになっているが、産業革命は汚水や貧富の差などの悪い面もたくさん生み出しているから、そのことを言っているのかもしれない。
ここでランボオの言う「彼」が「天才」なのだろうが、特定の人物を指している訳ではなさそうだ。「彼」は「飲料を清め、食物を清め」、「彼こそ愛であり・・・・理知であり、永遠であり、どうしようもない資質に愛された機械である」ということからすると、「彼」とは「科学知識」のことではなかろうか。「彼」は「精神の豊富と万象の無限」をもたらしてくれるが、一方、「新しい暴力」「優雅の破砕」「様々な苦痛」をもたらす。しかし、ランボオたちは「彼」と離れなれない。「あらゆる苦悩は張り切った音楽のうちに・・・・消えてゆく。」そして「様々の力と疲れた心が・・・彼を呼び、彼を眺め、彼を送る・・・」。ランボオは科学知識を妄信する人々の不幸を嘆いているのだが、ランボオにも人々にも他に取るべき方法はない。科学知識と共に歩まねばならないのだ。これこそは、20世紀前半の人類の歴史そのもの。そして、人々は多くのことを学び、科学知識と共存してきた。もちろん、犠牲や不幸も少なくなかった。
これはシェイクスピアのハムレットのヒロイン、オフェリアを悼む詩。あまりの激情と悲しみに発狂して小川で溺れ死んだというオフェリアは、このランボオの詩のなかでは「長い面帕(かずき)」、たぶん船のように大きなベールに横たわったオフェリアが静かに川を流れてゆく。榛(はんのき)の木陰でふと目覚めたのはオフェリアではなく、ランボオだろう。目覚めたランボオは、雪のように美しく、ほんの子供で死んだオフェリアを悼み、彼女が死んだのは「つらい自由をひそひそと聞かされた」ため、「自然の歌とやらを聞いてしまったため」、「情愛のありすぎた」ため、「美しい蒼白な騎士が一人・・・・お前の膝に坐ったため」なんだと断ずる。最後の4行でオフェリアを見たという「詩人」はシェイクスピアのこと? それともランボオのことだろうか。ランボオはここで、ハムレットの悲劇に打ちのめされ、ハムレットやシェイクスピアの書いた悲劇のプロットを呪い、小説のヒロインにすぎないオフェリアの死を悲しんでいる。
「摘み取った花を捜そうと夜が来て、お前の来るとこを星影たよりに『詩人』は見たという。長い面帕に寝かされて、大きな百合の花のように、水を行く真っ白なオフェリアを見たそうな」
p1201 面帕:(帕:バツ、はちまき):かほぎぬ、かほおおい、ヴェール、かつぎ・・・・・小林の訳文のふりがな「かずき」はネットには出てこない
太陽が輝き、谷川が歌うたう谷間に静かに眠っている若い兵士は、息をしておらず、脇腹には銃創があり、どうやら死んでいるようだ。この詩でランボオが表現しているのは、死んだ兵士が微笑んでいて、いかにも幸福そうに自然に溶け込み、いざなわれているということか。あくせくと仕事をして自然を破壊し、戦争ですべてを灰色にしてしまう人間に対するアイロニー、いや警鐘なのだろうか。
p123 水仙菖(すいせんあやめ):注にはグラジオラスの異名とある(がネットで確認できない)。なお、「スイセンアヤメ:スイセンアヤメ属 (Sparaxis)はスパラキシス属ともいわれ、原種が16種あり、南アフリカに固有で、主に西ケープ州南部とレノスターベルドの中の粘土土壌のカルー西部にあり、ときに海岸の砂地帯にもみられる。 」ではないだろう。
これはランボオが詩才に目覚めたとき、もしくは世の中を斜に見始めたとき、あるいは何かがおかしいと気づいたときの生々しい思い出らしい。子供の頃のランボオは悧巧なばかりでなく、母親を欺く知恵をもっていたが、その真の姿は苦し気で、物思いにふけっていた。たぶん彼は学校の宿題や母との会話にはうんざりしていて、葡萄の枝々のざわめきに耳を傾け、みすぼらしい子供たちと言葉を交わすのが好きだった。そして7歳になり、ランボオは詩を書き始めた、自由や森や太陽について(「様々なものを織った」というのは詩を語ったということだろう)。そして、「更紗模様の・・・・小娘が・・・彼の背中に躍り上がり・・・・彼はお尻にかみついてやった。そして娘の拳固と踵で疵だらけにされた」というのは「絵本」を読んで空想したのだろう。「こんな時には、彼は娘の肌の舌触りを部屋までもってかえった」。7歳のランボオは聖書を読むのも神様も嫌いで、「黒い人影・・・が繰り出し」「東西屋(大道芸人)が・・・太鼓のどろどろ打ち」をし、「牧場の・・・黄金の織毛」を空想するのが好きだった。こうして、物語を読むとき彼の空想は絶え間なく広がり、「眩暈と崩壊、潰乱と憐憫」に包まれた。どうやら若きランボオの心は聖書や信仰のような一方的、画一的なことに反発し、あらゆる方向、自由で制約のない生き方に強く惹かれていた。最後の一節「満々たる帆を予覚した」とは、ランボオの空想が限りなくどこまでも広がっていたことを物語る。
「下に街の喧騒を聞きながら、彼は、ただ一人、粗末な布切れの上に寝転んで、切ないまでに、満々たる帆を予覚した」
ランボオはフランスのとある半島から船(ベルギーの小麦船かイギリスの綿船)に乗り、「非情の河」を下るうちに船員たちが蛮人に襲われていなくなり、ただ一人海を行く。「流れ流れて思ふまま、われは下りき」。子供の頃に海を見たことはあったらしいが、ランボオは海で嵐に会い、漂流する。「身はコルクの栓よりなほ軽く、躍り狂いて艫の灯の、惚けたる眼を顧みず、われ漂ひてより幾夜へし」。故郷から都会の大海原にやってきたランボオは、頼りにしていた知人たちがいなくなり、もしくは頼りにならないことが分かり、ただ一人、人の海の中に流離っているということか。船には海水が染みとおり、酒や反吐で汚れている。「舵は流れぬ、錨の失せぬ」。しかしランボオはこの日から、星や海の詩を書きはじめる。すると、水死体が流れてゆき、その「蒼き色・・・・愛執の苦き赤痣を醸すなり」。恋に引き裂かれた人のことだろうか。ランボオは都会の海で稲妻や竜巻や波頭や潮流を見るが、それは「時にこの眼の見しものを他人は夢かと惑ふらむ・・・・・古代の劇の俳優もかくやとわれは眺めけり」。「まばゆきばかりの雪・・・・歌うが如き燐光」を見たこともあったが、ランボオはこの都会の海に従うことを「愚なり」と感じる。そして船は(大西洋を渡って?)フロリダに流れ着く。そこにではワニ(リバイアサン)や大蛇が死に絶え、「黄金の魚、歌うたふ魚、青海波に浮かぶ鯛」が迎えてくれた。これは、アメリカの詩人に出会った、彼等の詩を読んだということだろう。しかし、「また水死者の幾人か逆様に眠り降りゆき・・・・嵐来て鳥棲まぬ気層に投げられては・・・・水に酔ひたるわが屍、いかで救はむ」、アメリカの詩を書いても、うまく事は運ばない。しかし、ランボオの決意は固い、「思ふがままに煙吹き、菫の色の靄に乗り、赤壁の空に穴を穿てるわれなりき・・・・・永劫に蒼ざめし嗜眠を紡ぐはわれぞ」、一方、ランボオはヨーロッパを懐かしむ、「ああ、昔ながらの胸墻(きょうしょう→かべ)に拠る欧羅色(ヨーロッパ)を惜しむはわれか」。しかし、その故郷ヨーロッパはもはや変わり果てていて、「はや冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ」、ランボオはただ嘆き、悲しむ。これは雄々しく船出して強大な世間の波にもまれ、疲れて帰ろうとしたが、故郷はすでに無かったという、悲しみの詩。ランボオはしかし、めそめそ泣くのではなく、大声で叫んでいる。
「想へばよぅも泣きたるわれかな、来る曙は胸を抉り、月はむごたらし、陽は苦し、切なる恋に酔ひしれしわが心は痺れたり、竜骨よ砕けよああわれは海に死なむ、・・・・・ああ波よひとたび汝れが倦怠に浴しては、綿船の水脈(みお)ひく跡を奪ひもならず、標旗の焔の驕慢を横切りもならず、船橋の恐ろしき眼を搔い潜り泳ぎもならじ」
p132 嗜眠:(しみん)の用語解説 - 〘名〙 意識の混濁した状態。眠りつづけて、強い刺激を与えなければ覚醒も反応もしない状態のこと
p132 胸牆/胸墻(きょうしょう)とは。意味や解説、類語。敵弾を防ぐために、また、味方の射撃の便をよくするために、胸の高さほどに築いた盛り土。胸壁。
ここでランボオは喉が渇いている。「親」というのはたぶんランボオの両親か祖父母で、彼等はランボオに酒を飲むことを教えるが、ランボオはどうも気に入らないらしい。「飲むなら牝牛の飲むとこ」というのは牛乳? 「いっそ甕という甕が干したい」というのは飲み干したいということ? それとも飲みたくないということか? 「精神」というのはたぶんスピリット(妖精)で、水の精やさまよえるユダヤ人の「昔噺や絵姿」を読んだり見たりしたランボオは、それでは満足できない。「気違いじみたこの渇き」に苦しむランボオ。「友達」といっしょに苦味酒やアブサンを飲み、酔っぱらった友人にあきれるランボオ。どうやらランボオは酔えないらしい。「あわれな想い」でランボオは親や書物や友人と別れ、「どこか古風な村に行き、心静かに飲むとしよう・・・・そうして愚痴らずに死ぬとしよう」と世捨て人の心境を語るが、「いくらか金があったなら」旅行してみようとも考える。「やれ、やれ、夢見る柄かなあ、いやさ無駄さ無駄」と言いつつ、まだこの世に未練がありそうなランボオ。「くくり」では、どんな生き物も「みんな喉は渇いているのだ」と達観し、当てどない浮雲や爽やかなスミレで渇きをいやすことにするランボオ。ランボオの渇きをいやすのは酒でも文学でもなく、自然の景観ということか? 少なくとも、旅をしたり、自然の情景を眺めることで、ランボオの心は休まり、満たされるようだ。
「ああ、爽やかな爽やかなものの手よ、露しいた菫の中でこと切れよう、明け方が、菫の色に野も山も、染めてくれぬとも限るまい」
これは、様々な努力にもかかわらず、人生がうまく回らないことにいら立つランボオの心の叫びだろうか。菩提樹に山葡萄、空は紺碧に晴れているのに、ランボオの心は暗いのは、芸術や仕事が世に認められないからだろう。それらに「堪え忍び、退屈し・・・・糞いまいましい気苦労」を重ね、「自然よ、この身はお前に返す」というのは、ランボオに芸術のひらめきを与えた自然に対する呼びかけなのだろう。最後の「この不幸には屈託がない」というのは、芸術や仕事がうまくゆかずとも、当時の都会においては不自由なく生活できたことの裏返しで、いはば、現代の若者の不満、中世の食うものもない、医者もいない世界とは比べ物にならぬ裕福な世界に生きる若者の不満、人生の生き甲斐を見つけられずに苦悩する若者の不満を、ランボオは発見したのだろう。
「堪忍もした、退屈もした、想へばなんとたわいもない、糞いまいましい気苦労だ、・・・・・自然よ、この身はお前に返す・・・・・俺は何も笑うまい、ああこの不幸には屈託がないように」
これは新約聖書に出てくる「ベトサダの池でイエスが病人を癒す」という話に基づくランボオの手記で、ベトサダの池は決して清らかな病人を癒すための場所などではなく、悪魔たちが病人や乞食を陥れようとする地獄のようなところであったとし、水に入った者は癒されるのではなく「新たな任地を捜すことを強いた」。イエスが現われ、腹ばいになった病人が立ち上がり、足取りも確かに街に消えていったのは、新約聖書にある通り、イエスが病人に「起き上がりなさい。床(とこ)を担(かつ)いで歩きなさい。」と言ったからだが、おそらくここで述べられているベッサイダ(=ベトサダ)は当時の産業革命で豊かになった都会の暗喩であり、そこに集まってくる労働者たちは賃金はもらえるものの、不当な労働を強いられていることを譬えているのだろうか。すると、ここに現われたイエスは産業革命に対抗する者、つまり芸術家たちであり、労働に虐げられた者を芸術が救うということを言いたかったのだろうか。
p141 Bethsaida(ベツサイダ) ベツサイダは、カペナウムから4km北東、ガリラヤ湖の岸辺から1.5Km内陸に入ったところにある小さなテル(遺跡の丘)にあります。. カペナウムと同じく、イエス様のガリラヤ宣教が行われた場所として聖書には何度も出てくるところですが、つい最近まで、その場所がどこなのか知られていませんでした。. 1838年にアメリカの学者エドワード・ロビンソンが、この丘がそれらしいという見解を出しましたが、岸から離れていることから反対意見も多く、やっと1987年になって発掘が始められた結果ロビンソンの意見が正しいということになりました。. イエス時代の2000年前は、ガリラヤ湖の水が豊富で、岸辺がすぐ近くまで来ていたのだそうです。.
p141 ヨハネによる福音5章、ベトサダの池で病人をいやす この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺(まひ)した人などが、大勢横たわっていた。さて、そこに38年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、長い間病気であることを知って、「よくなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りていくのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床(とこ)を担(かつ)いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。 gooブログ
この全集の訳注で、小林の当初のフランス語訳の誤りをいくつか指摘している。「悪胤」末尾付近の「生活とは風来の道化」→「人生は皆が演じる道化芝居」、「錯乱Ⅱ」冒頭の「畳句」→「リフレイン」、「呂津」→「リズム」、「夜明け」「歴史の暮方」「オフェリア」の「面帕(かづき)」→「ヴェール」、「場面」の「海角殿」→「岬館」、「酩酊船」の「レヴィヤタン」→「リヴァイアサン」、「ベヘモ」→「ビヒモス」、「渇の喜劇」の「七頭蛇(イドル)」→「ヒドラ」。まあ、今では外国語の読みがそのまま日本語になっているから、それを当時の小林に強いるのは無理というものだろう。当時はインターネットどころか辞書も揃ってはいなかっただろうから、「誤訳に至っては水の中に水素が在るように」と小林も自覚している。一方、「イルミナシオン」を「飾絵」、「ユヌ・セゾン・アン・アンフェール」を「地獄の季節」と意訳していることについては苦労した経緯を書いていて、ヴェルレーヌが「イルミナシオン」とは「カラード・プレート」の意だと書いていること、「ユヌ・セゾン・アン・アンフェール」については直訳すれは「地獄における或る季節」であると書いている。小林は、(飾絵のことだけかもしれないが)「詩よりも散文の方が遥かに重要で而も見事である」ということ、かつ、飾絵と地獄の季節は1872年から1873年のわずか2年間で創作され、「ランボオの頭は全く未聞の文体を生む錬金的状態にあった」ということを指摘している。当時21歳のランボオはこの後は詩も散文も書かなくなり、37歳で若死するのだが、これはどう言えばいいのか分からない。ランボオは結局、生きている間には自分の詩を正当に評価されることもなく、あの粗削りの詩を更に発展させることもなく、この世を去ってしまった。なんとも悲しい人生。
「何を調べてみても見当のつかぬ固有名詞、何処の国の言葉とも分からぬ、恐らくは彼の造語、辿りあぐむ文字の彫像、これらは盲蛇ものにおじずの颯爽たる姿をまなんでやっつけました。楽屋は公開いたしません。誤訳に至っては、水の中に水素が在る様に在るでありましょう」
この後記の小林は最初、ずいぶん混乱している。冒頭でランボオに惚れこんだことで育てた秘密を「握りつぶそう」と語り、何もいわないのかと思ったら、3ページ目に至っていきなり、ランボオについての小林の独白が始まる。これだけ見事に強烈に作家の正体を示してみせられるのは小林以外にはいないだろう。この短い文章を書くために、小林はいろいろな文献を読み、ランボオの詩を何度も読み返したに違いない。私など、ランボオの詩を読んで感じたのは単に、当時の産業革命の進行で豊かになり、物理的には困らなくなった住みやすい世界で、ランボオの芸術や文学が認められないことへの、いわば現代の若者の不満であったが、小林やマラルメやクウロデルが見たものは文学と芸術の極限だったようだ。はてさて、現代においてはランボオのようにハチャメチャな芸術家も、いや、ミュージシャンや役者にたくさんいるものだから、かえって分からないのかもしれない。インターネットの現代において、ランボオを演ずることはもはや難しくはなく、認められることも、一つの世界を造ることも可能なのではなかろうか。一方、当時の小林は自分の芸術と人生の不幸をランボオの人生と芸術に重ねて見ていたのではなかろうか。だが、小林の文学批評のキレはこの前からも存在していたし、特にランボオが小林に与えた具体的な影響は無いような気がする。それは、後に小林が明かすように、サント・ブウブなのだろう。
「ランボオほど己を語って吃(ども)らなかった作家はない。痛烈に告白し、告白はそのまま朗々ととして歌になった。吐いた泥までが晃(きら)めく。彼の言葉は常に彼の見事な肉であった。如何にも優しい章句までが筋金入りの腕を蔵する。ランボオほど読者を黙殺した作家はない。彼は選ばれた人々のためにすら、いや己のためにすら歌いはしなかった。ただ歌から逃れるために湧き上がってくる歌をちぎりちぎってはうっちゃった。その歌は無垢の風に乗り、無人の境に放たれた。彼ほど短い年月に、あらゆる詩歌の意匠を狂暴に圧縮した詩人はいない。人々は彼と共に、文学の芸術の極限をさまよう。・・・・・彼は、人々の弱弱しい吹っ切れない讃嘆を呼び集めては、マラルメの所謂「途轍もない通行者」であることをいつまでも止めないであろう・・・・・・『繊維のくまぐままでも明晰な音の浸透した乾燥した柔軟なストラディヴァリウスの木のような』とはクロオデエルがランボオの文体を評した言葉である。これは的確だ。私はどうやら彼の乾燥、まず眼をとらえる、苛立たしいほど、どぎつく、硬く、光り輝く色彩は、そのなかばを写しえたかもしれないが、これを貫く彼の柔軟、重厚なまた切ないまでに透明な息吹に至っては、はや、私の指先は徒(いたずら)に虚空を描く」
「夢を織ることは人々の勝手だ。諸君は幸いに私の駄訳に、諸君の夢を惜しまないことを。私は自分の仕事を自慢もしまい、謙遜もしまい。」
「彼は私に何を明かしてくれたのか。ただ、夢を見るみじめさだ。だが、このみじめさは如何にも鮮やかに明かしてくれた。私はこれ以上のことを彼に希いはしない、これ以上の教えに、私の心が堪えないことを私はよく知っている」
p146 労る:いたわる
これは1930年9月「改造」に載せられた「機械」の評論。機械工場で働く4人についての物語。「私」はデカルトの倫理をもっていて、「世人が行動するとは約束を辿ることである」という理論に従うが、通念や感情に従う自覚的な行動には冒瀆を感じ、軽蔑する。ゆえに「私」は底抜けに善良な「主人」は無垢である(約束を辿る)ゆえに好感をもち、「私」にいやがらせをしたり暴力を働く軽部は単に「機械の運動に過ぎぬ」として甘受するが、聡明な屋敷については「利口な学者という馬鹿者」であり、顔が苦痛のために歪む(通念や感情に従う自覚的行動)を軽蔑する。もちろん小林も横光もこの倫理が好きでも正しいとも思っていないらしい。小林は「人間の誠実の正体が痛烈に描かれている。作者は誠実を極限まで引っ張ってみせた・・・・世間の誠実で己れに誠実に不潔な満足を感じていない誠実は一つもない・・・・・・最後に誠実は助けを求めているではないか」と結ぶ。そして「氏は常に動揺する叙事詩人であったと共に不幸を計量する抒情詩人であった」と称える。暴力をふるう軽部を赦し、聡明な屋敷を軽蔑するところが矛盾していて、それも誠実さの一つの表われだとするところが悲劇なのだろうが、現代の「いじめ」の理論なのでは? こういう考え方をもつのは健康的ではなく、暴力を肯定することになってしまう。やはり「暴力のない倫理」を追求するべき。現代にもそれは戦争や幼児虐待などでなくなってはいないのだが。横光利一が「機械」で示したのは、主人公の「私」の考え方が間違っている、不健康であるということを逆説的に示しているということで、小林もそれをその通りに論評しているのだと思う。「機械」以外にも「日輪」「御身」「蠅」「赤い色」そして「花園の思想」が語られており、そこで小林が強調するのは横光利一の「眼」。肉眼や義眼で世の中を眺める視点の選び方が卓越しているということか。「ナポレオンと田虫」というのは、やや古いようだが、おもしろそうだ。
「『お前はヨオロッパを征服する奴は何者だと思う』『それは陛下が一番よくご存じでございましょう』『いや、余よりもよく知っている奴がある』、人には見せぬ彼の腹の上の田虫は『脂の漲った細毛の森を食い破って』没落に向かう彼の忠実な兵士の行進に正確に比例して、その地図を腹の上に拡げた」
p157 好尚(こうしょう)とは。意味や解説、類語。このみ。嗜好 (しこう) 。また、はやり。流行。
p158 首肯(しゅこう)とは。意味や解説、類語。[名](スル)うなずくこと。納得し、賛成すること。
p164 憂い/愁い/患い(うれい)とは。1 予測される悪い事態に対する心配・気づかい。うれえ。
これは小林自身が批評家失格と言っているのではなく、世にはびこる批評のことを批判している苦言や非難である。例によってそれに適格緻密な理屈を添えてあるから批判されている方はどうしようもあるまい。それにしても、「現代日本の文芸評論の一大特色は先ず何を置いても理智だけは参加していない事である。ただカンの鈍さが理屈を言わしている」とは手厳しい。ただ、小林の論証にいくつか揚げ足を取ることくらい。例えば、「私は理智を働かせねば理解ができぬような評論を絶えて読んだことがない」これはまあ、そうなのだろうが、「私の評論などは言わずと知れたこの部類だ」というのは絶対にそうではない。というか、小林の評論を簡単と思う人もいるのだろうが、通常人には難解だということだ。もう一つは「実生活にとって芸術とは屁のようなものだ・・・・・芸術は人生を了解する一方法である。・・・・・芸術の一般の人々の精神生活、感情陶冶への寄与、私はそんなものを信用していない。それより人々は実生活から学ぶ方がよっぽど確かだ」とう点で、小林は芸術の役割にえらく手厳しいが、少なくとも現代においては、芸術は(少なくとも一部の)一般の人々の精神生活や感情陶冶に寄与していると思う。なるほど、と思ったのは、「自分を棚に上げなければ批評文はできない・・・・批評文に対して・・・人は知らず知らずに・・・・喧嘩腰で読む」ということ。まあ、批評とは人に喧嘩を売ることなんだろうが、その喧嘩そのものが小林の場合は芸術になっている。来週、もう一度読んでみよう。
「毒は薄めねばならぬ、批評文とは薄めた毒だ。サント・ブウブ」
言葉の羅列(これらにいちいち寸評している)「理屈はどうにでもつく」・・・・そんなに簡単なものじゃない。「他人(ひと)に意見をするような気楽な身分になってみたい」・・・・意見することを職業としている小林にとってはまごつく言葉、寸評はなんか変。「犬の歩けば棒にあたるそうだ」・・・・・これについてもお手上げ。「自分のことを棚に上げて何だ」・・・・・ここに来て、小林は適切な言葉に出会う。批評は自分を棚に上げなければできない、ときっぱり宣言する。
理屈の羅列(理屈をこねて、何かを生み出す)「仕事の上で嘘をつく数学者なんてものは一人もいない・・・・処が芸術学というものは、頭が良くないということは、嘘をつくと同じ意味をもつ」・・・・・数学者だって、間違った仮説を立てて無駄な論証をすることはあるのでは。「公正な立場でものを言う・・人は・・他人も自分も殺せない・・・・・月並みの定量以上のものが見える眼は・・・・作品の後に隠れたペンを握る掌の厚さもあかす」・・・・・・・これは批評のみならず、作品や人生を楽しむための必要条件ではなかろうか。ぼんやり見ていたのでは何も分からない、見たものから何かを感じ取れなければ。「独断家だ、と言われる(のだが)私はただ独断から逃れようと身を削ってきた」・・・・・なんでもすぐに見通せるわけではないから、優秀な科学者であっても、まず仮説を立てて推論し、検証する。その仮説の立て方は勿論、独断にならざるを得ない。「探るような眼はちっとも恐かない・・・・和やかな眼は恐ろしい、何を見られているかわからぬからだ」・・・・・・何を考えているのか分からない人は確かに対処しにくい。「私は客観的な尺度などちっとも欲しかない。客観がほしいのだ」・・・・・・これは、3節で言っている「分析はやさしい、視点を変えることは難しい」と同義だと思う。「優れた作品に漂う心は決して点検された心じゃない。日を送ってきた心だ。生きてきた心だ。・・・・いとおしくなるほど自分を憎んだ心だ」・・・・・これも「尺度」や「分析」で文学や芸術は創れないということの言い換えだろう。そこには喜びも悲しみも憎しみもある。それをどう表現するか。しかし、批評するためにはどうしても分析することになる。それが批評の難しいところ、キモなのかもしれない。
長い25節の終盤から、小林は結論めいたことを書いている。「優れた作品は人を食っている」「人生から一歩すさった眼」という究極のところまでいかないと良い作品は創れない、それは心境小説でも本格小説でも同じことで、「至難を痛感しない人は作家でもなんでもない」と小林は断ずる。ところがそんな至難を克服して書かれた作品は批評するのも至難になるだろう。だから、「作家の栄光は批評家にとっては癌」ということになる。「作家の制作とは感動の化学なら、これを感動の世界で受け取って計量するのが順序である。ほんと言えば批評はもうそこで終わっている」と言いながら、小林の批評はここから始まる。「悪口が自然とくたぶれてくるのを待っている」というのは、その作品について読みつくし、考え尽くした上で、小林がよく使う「基底音」が聞こえてくるのを待つのだろう。その手順は決して計算されたものではない、小林の心の中に、作家の考えが沁みとおり、化学反応を起こすまで待たねばならないのだろう。そして最終節で述べているのは、批評も創造に寄与できるという小林の信念ではなかろうか。
「批評と創造の間には、その昔、無機体が有機体に移ったような事情があるのであろう。正しくつながりがあろうが、また、正しく透き間があるのであろう」
これは1930年に発表された「オロッコの娘」に対する小林の批評である。えらく歯切れの悪い書きようは、およそ小林らしくない。これには、おそらく二つ理由があって、一つはこの小説を小林が(たぶんほとんど)よいと思っていないからであり、もう一つは、この小説を書いたのが深田ではなく、当時の彼の妻だと知っていたからだろう。遠回しに「いい短編だとみんなが言う、私も依存はない」「果たして器用であるか」などと煙に巻いているが、まるで見当はずれという気がする。一方で小林は、深田の真の姿、登山家であること、素朴な心を持っていること、そして「大概の創作より見事な感動を」書くことができると語る。これこそ、深田の「日本百名山」そのもの。小林はもちろん、真の深田の姿をこのときに見ていたのだ。
「君は一体装飾のある心に対しては全く不器用だが、素朴な心には大変器用になる。こうなると器用という言葉も、余程器用に取り扱わないと甚だ当たらない」
「君は登山家だ。ぼろぼろになった君のリュックサックは見事である。いつか借用して山に行った時なぞ、気恥ずかしいほどリュックサックばかりが幅を利かせた。君は山を知っているように素朴な心を知っているに違いない。登山期になると方々の雑誌でいっせいに登山記を掲げる。どれを見ても例外なくあまい文章だ。だが大概の創作よりみんな見事だ。つまりあまくならねば法がつかない一種の感動を孕んでいるのだ」
p179 ギリヤーク:ニヴフ人(ギリヤーク人)(Нивхи). ニヴフ人はロシア極東部の少数民族。. 日本語では「ニヴフ」や「ギリヤーク人」と呼ばれることもあります。. ※「ギリヤーク」はロシア人がニヴフ人に最初につけた呼称(Гиляки)に由来します。. ロシアでの総人口は4,466人。. そのうち約50%の2,253人がサハリン州に、約46%の2,034人がハバロフスク地方に暮らしています。. (2010年の統計より). 日露戦争以降、第二次世界大戦終結までサハリン南部が南樺太という名で日本領だったため、日本に移り住んだニヴフ人もいます。
「帝国大学新聞」に載せたというこの短い文はまるでいきあたりばったりで、何を言っているのかわからない。ほとんど支離滅裂。最初に「毎月雑誌に文芸時評を書いて・・・・金をかせいでしまえば、もうなんにも書くのがいやである」と失礼なことを言い、「正宗白鳥氏の文芸時評は毎月読んでいるのだが・・・・如何にも普通の顔をしてものを言っている。うらやましい事だと思う。年は薬の感なきを得ない」と大先輩の正宗氏を褒めてるのか貶しているのか分からないことを言い、自分がまだ若いことを嘆いてみせる。「若年者であることが気にかかっている。これを気にかけることだけが文学への道だとさえ思っている」「いっそ文学なんてさっぱりとやめちまったらよさそうなものだ」「小説を書くからには尻のあたたまらぬ青年読者のためには書かない」などと若い文学者を否定する言葉を並べ、最後は「古来若年者で大小説を書いた人は一人もいない」と断ずるが、その直前に「文学を軽蔑することと文学を一生の仕事と覚悟することとは紙一重だ」と口走っており、小林は紙一重で文学を一生の仕事にした訳だ。因みに、若くしてデビューした小説家は少なくない。幸田露伴、谷崎潤一郎、芥川龍之介、三島由紀夫、最近では村上龍、まあ、芥川と三島は自殺しているが、「若年者で大小説を書いた人」はいないことはないだろう。
これは「読売新聞」に出したもので、同じ日の午前中に書いた「帝大新聞」のものと「おんなじ事を述べる」と冒頭にあるが、ほとんど支離滅裂だった「帝大新聞」のものよりはだいぶ整理されているようだ。小林は当時の批評家、小説家、いや日本文芸の低調を嘆いているのだ。「早く頭が禿げて背中を丸くして机の前にすわりたい」というチェホフを再び挙げており、「帝大」ではこれを「(チェホフは)実在の時間というものが持っている真実を知ったに違いない」と書いているのに、「読売」では「実在の時間が孕む真実はうかがえぬと嘆息している」と否定しているのは、たぶん、リアル・タイムで起こっている事柄を(何年か後、何十年、何百年か後になって、周辺環境への影響も分かった後ならば把握できるようになるが、)把握するのは難しいということだろう。それなのに当時の批評家や小説家は溢れるメディアに感想や意見を求められ、手持ちのガジェットを持ち出して見当はずれなことを言っていたのだろう。小林はその中にあって、何が真実なのかを見極めようとしている。例えば、リアリズム小説にしても所詮は空想であること、新興芸術派やマルクス主義文学などのジャンル分けをするのはともかく、「己を語ろうとしないからいけないのだ。借り物でしゃべっているから種切れになる」ということ。どんなジャンルであっても、己を見つめ、己を語らねばならぬ、そこに真の文芸が生まれると言いたいのだ、「人は持って生まれた処を語る以外何事もできぬ。私は自分の道が危難に満ちていることを良く知っている」。(別の道を目指しても良いのでは?)
「人々はただ空想したいから文芸を愛するのだ、空想の形式は世の移り変わりとともに移り変わるまでである。空想にだっていろいろあるのだ。ほんとみたいな空想もあり、空想みたいな空想もある」
「文芸の道とは所詮、板についたものの言い方をしたいという人間の願望なのである」
「己を語ろうとしないからいけないのだ。借り物でしゃべっているから種切れになるのである。身に着いた言葉だけしゃべっていればしゃべることがなくなるなんて馬鹿々々しい目には決して会わぬ。借り物でしゃべるとは言葉への冒瀆である。言葉は思想の奴隷だなどと高をくくっているから言葉に仇を撮られるような始末になるのだ」
正岡子規の「歌よみに与ふる書」からモダンガアルの魔子、ジャズ、プロレタリア文学とまるで関係なさそうなアイテムを段落毎に並べていると思ったら、それらをほとんど強引に関連付け、「モダン・ガアルとはジャズのようなもの・・・・・こんな女性は現代日本のブルジョア作家の手におえぬ、プロレタリア作家の手にも負えぬ」と言うのは、「彼等の耳にジャズはその愛すべき真実を明かしはしない。彼等もまたジャズにいい気持になりながらジャズに馬鹿にされているにすぎない」と手厳しい。具体的には、龍胆寺雄氏のモダンガアル、魔子の描写に現実味がないこと、そして水木京太郎氏の戯曲に登場する女性の描写の不足である。そして、子規の比類なき実証家精神、そして末尾に挙げた「病床六尺」の一文を「これこそ作家の勇躍する物質への情熱だ」と結ぶ。モダンガアルの描写と正岡子規の病床六尺の比較は飛躍がありすぎるような気もするが・・・・・北海道から戻ってもう一度読んでみよう。
「『歌よみに与ふる書』・・・を私はたいへん愛するのだが・・・・子規の矢はあやまたず的を射抜いているのだが、的が不死身なものなら、これまた致し方ない・・・・馬鹿は花崗岩(みかげいし)みたいなものだ、ぶつかって行けばこっちがぺちゃんこになるだけだ・・・・・石にお灸という事もある」
「妾しゃエロだってマルクスだって何だって見逃しゃしないときょろきょろし切っている癖に、自分の見すぼらしさだけは何としても眼に入らず、右往左往する様はまことにみじめな観ものである」
「ジャズはまさしく切ない心を語っている。切なく私に聞こえるのではない、その音符が悲しく配列されているのである。・・・・・ジャズはただ謙虚に衰耗(すいこう)を唄っている」
「今から一世紀前・・・・・・1830年の先端・・・・恐らく日本文学史上で芸術が最も大衆に近づいた唯一の時代・・・・・享楽小説が唯一の小説形式であった・・・すべては趣味であり、趣味をもつことが生きることであった」
「プロレタリア・リアリズムの理論などは思うに空論に近いであろう。批評家に拙いと言われてうまく書きましょうなどと答えるプロレタリア作家はさっさと文学をやめるがいいと私は信ずる」
1章を読み返す。「正岡子規は日本詩人稀にみる論理的な実証的な精神をもった天才であった・・・・歌詠みどもには・・・・・理論の糸は辿れたであろうが、子規の情熱には何としても辿れなかった・・・」の中の「子規の情熱」がこの文章のテーマのはずだが、「実証的精神」と「情熱」はなんだか矛盾しているような気がする。小林は「子規の言葉は理論ではない、発音された言葉である」というのはまさに「情熱」のことだろうから、ますます「実証的精神」とは矛盾する。小林は「殆ど笑止ともみえるほど見事な彼の実証家精神」とも述べているから、やはり正岡子規は一見、実証的、理論的に見えて、その実は「情熱」の人であったということだろう。第1章の最後に語られている「詩人は美しいものを歌う気楽な人種ではない。在るものはただ現実だけで、現実に肉薄するために美しさを頼りとしなければならぬのが詩人である」とは正岡子規のことに違いない。。「名人は危うきに遊ぶという」は松尾芭蕉の言葉らしいが、「真実とは常に危ういものであるらしい」「一見感傷的な歌も達人の歌は底知れぬ苦さを蔵する」とは正岡子規のことなのだろう。
2章を読み返す。ここのテーマは尖端女性。小林が具体的に挙げているのは龍胆寺雄の作品に出てくる魔子や珠壺という女性で、アメリカから入ったエロチシズムが原点らしいが、最初はともかく次第に「とんでもない新時代理論を振り回す」ので小林は読むのを止めたという。これらの尖鋭女性たちは「なんだって見逃しゃしないよときょろきょろし切っているくせに自分のみすぼらしさだけは何としても眼に入らず・・・・・みじめとは感じないから人間らしく描くことができない」と小林は断ずる。ここには次の展開はなく、次章以降に譲っているようだ。
3章で述べる小林のジャズ論「ホワイトマンの言う、現代アメリカの空疎な切ない心の表現である」はある程度正しく、長谷川氏如是閑氏の「あらゆる表現からの狂暴な逃避である」というのは間違いだろう。だが、今日のジャズ論は長い歴史(アルリカ音楽とヨーロッパ音楽の融合からビバップ、スウィング、更にクロスオーバーやフュージョンまで)を詳細に分析しており、「白人のポール・ホワイトマンを”キング・オブ・ジャズ”と呼んだ評論家たちは、後にその誤りを自嘲的に語ることになった 」との記載もある。小林が言うよう「ジャズはただ謙虚に衰耗を歌っている」訳ではなく、もっととんでもなく幅広いのだが、当時の見当違いのジャズ論よりはましだろう。だが、小林のジャズ論には別の目的があり、それは次章で語られる。
4章 ここで小林が尖鋭女性=モダンガアルはジャズのようなものと言うのは、現代の作家たちがモダンガアルの本質を捕らえておらず、つまらないことばかり書いているということらしい。小林が比較のために持ち出したのは1世紀前に風俗小説を書いていた為永春水で、彼は「見事な残酷な心を持っていた」という。もう一人は谷崎潤一郎の「卍」で、これもまた残酷小説(性の倒錯の世界らしい)。龍胆寺氏の魔子は最初はエロっぽかったが、それ以上に残酷にはなれなかったらしい。小林は現実を見ていて、それを書くべきだと言っているらしい「今日作家たる眼を磨くとはなんと困難を極めた事業であろう。理論はあんまり易しすぎて興味がない。現実はあんまりおもしろすぎて手がつけられない」。
5章 ここでも新しい女性を描いた作品が二つ述べられ、水木京太郎の描く近代女性は「無智な淫乱なしかも健康」だが「せっせと働く女」。片岡鉄平の作品にも近代女性は出てくるようだが、この女性は男に「捨てられて初めて惚れていたことに気づく」。小林はこの女性の心情を展開してほしかったと語るが、それは近代女性とは無関係のようだ。
6章 ここでまた正岡子規の「病牀六尺」の一節が持ち出され、病床にあえぐ子規が腫れた足の痛みに耐えている自身の気力、満身の活力を込めたこの一文に、小林は物質=唯物論を越えた精神を感じたのだろう。結局のところ、正岡子規の実証と情熱、尖鋭女性=モダンガアルとの関連は、小説の深み、人物表現の(残酷なほどの)奥深さにあるらしい。ジャズはその例として持ち出され、5章の二つの作品も深みや奥深さがもう一つということらしい。正岡子規や谷崎潤一郎(それに為永春水)はまさしく深みも奥深さもあったらしい。
「足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。足あり、大磐石の如し。僅かに指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震動、草木号泣、女媧氏未だこの足を断じ去って、五色の石を作らず」(病牀六尺)
これはナンセンス文学作家、中村正常が小林の批評に抗議文を書いたことへの返信である。小林の批評は本書の12ページ「文学と風潮」の一節にあり、小林は冒頭で「失敬な態度は努めて気を付ける」としながらも、批評の論点については自分の正当性、中村の誤りについて徹底的に論ずる。その論点とは、小林が書いた「中村正常の信条は『愚劣は自分にも見せるな、他人にも見せるな』」であり、これに対し中村は「僕の信条は『自分の愚劣は自分で大事にする、他人のことに構うな』である」と抗議したのだが、小林は「私の使った愚劣という言葉と君の使った愚劣という言葉との間には天地のへだたりがある」「君がどういう訳で私の愚劣という言葉を懐疑の同義語だと曲解してしまったのか」と手厳しい。小林がかくも(本当は好きなはずの作家に対し)手厳しいのは、中村が「逃げてしまう・・・・・議論が吐けたことがない・・・・悪い癖だ」そして「遥かに危難に満ちている」と考えているからのようだ。どうやら小林は中村よりも中村のことをよく理解しているらしい。
「人々は僕の作を読んでみんな笑った癖に、あとで悪口を言った」という中村の懐疑について、小林は「君の作品には正しく笑いがあるから人々は笑ったのだ。だが笑い止んで言葉が無かったから人々は悪口を言ったのだ」と解釈してみせる。要するに、ナンセンス文学は笑いはとれるが賞賛を期待してはならない、もしくはナンセンス文学で賞賛を取ることもできるが、そのためにはシェイクスピアと変わらぬ取組、覚悟が必要だと言いたいのだろう。「愚劣は自分にも見せるな」とは賞賛は期待しないということか、それともナンセンスと思わずに人々の賞賛するものを追求するということか、どちらなのだろう。おそらく後者なのか?
「君の愛読者あるいは君の悪口者なんかよりは私は百倍もよく君の作品を了解している積りである。だから私は君の悪癖が君の心を傷つけている事が気にかかるのだ・・・・・勿論私は君のきれいな心が屡々覗くのを決して見落としなんぞするものか。だが、終いまで流れ切った文章を嘗て読まぬ。これは一体どうしたことか」
これは「詩神」に発表されたもので、こういう表題のものを頼まれて書いたものだろう。こういう表題だとランボオの恋人の名前が羅列されて、この女性はこうだ、ああだというのが雑誌風の展開だが、もちろん小林はそんなことは書かない。冒頭でまず、ランボオは普通の天才ではない、彼の恋愛は複雑ではなく、単一なものだったと読者を驚かせる。単一な恋愛なら簡単そうだが、ところがどっこい、「ランボオの難解はその恐ろしい単一性にあるのであります」ときた。なぜなら「たった一本の鉄線でも白熱しておりますれば人々はまともに眺めることはできない」ということだ。なるほど。それでいて小林はしっかり結論を書いている。「詩作はまず感傷の風に乗って鳴り始めるのを常とします。ただしランボオの詩には感傷の痕跡すらありません。彼の心は生まれながら苦く、重く、強烈に、燦々とした心でした・・・・・・命をかけた詩作さえ馬鹿々々しい愚行と見えた彼の眼に、恋愛とは一体どのくらいやり切れない汚物と見えたか、私がここに語るも愚かでありましょう。『女共との昵懇は俺には禁じられていた』と。」まあ、ランボオはかなり常人とは違う変わった人だったと思われる。
「練れてくるに従って資質は奥の方へ引っ込んでいきます。そして奥の方で光を放ちます。上層の数々の装飾は余光を受けて何処からくるとも分からぬような光に滲みわたっております。これが所謂名人の名表現といわれるものの一般の姿です・・・・・ところがランボオという人はこの道順を全く逆行した天才であります・・・・・言いたいことは洗いざらい、まるで汚物でもうっちゃるように吐き出しました。しかもこんないけぞんざいな調子で吐き出した処が、そのまま如何にも見事な律格をもった歌となった。これはまことに少なくとも近代の詩人の間では比類を見ない現象であります。」
p209 矯める(ためる) :ねらいをつける。 また、じっと見る
これはたぶん1930年の文壇回想文を頼まれて書いたものなのだろうが、作品の名前や中身は全く出てこない。小林が自分でやっている批評家についての「批評」を書いていて、当時、豊富な文芸知識を持つ明晰かつ切れ味鋭い新進気鋭の批評家として日本文壇に認めれれるようになった小林の、ちょっとした愚痴、悪ふざけのような文章である。こんな愚痴だらけの原稿を「返されるかもしれない。勿論不服は申さぬ」とまで書いているが、そのまま(かどうかはわからないが)発表されたようだ。「私は嘗て批評で身を建てようなどとは夢にも思ったことがない。今でも思ってはいない。文芸批評というものがそんな立派な仕事だとは到底信ずることは私にはできぬ」というのは案外、小林の当時の本心なのだろう。それに当時までは文芸批評はそのように考えられていたのだろう。だがその後、小林の書く数々の批評は日本文壇そのものを変え、「文芸批評」を一つのジャンルにまで押し上げてしまうことになる。この文章はその起点にある、エポック的なものなのかもしれない。文末にある「どうなることやら」というのは見事に花開くことになるのだ。
「いつの間にか批評家ということになってしまった・・・・・『先生は御在宅ですか』などとやってくる。やり切れたものじゃない。お袋もあきれている。情けないことになったものだ・・・・・私は元来ものを書く時、世間というものは到底扱いきれぬと観念してふてくされる覚悟は失わぬつもりなのだが、結果としては、世間を甘く見ていると言われても致し方のない様なものが出来上がってしまう・・・・」
卒業論文をめぐって by 村松剛 これは小林の三つあるランボオ論(最後のは1947年)とは別に、小林が大学2年のときに書いた最初のランボオ論を元にフランス語で書いた卒業論文を論じたものである。フランス語に訳すときに説明を加えた「宿命」がテーマになっていて、それは「本質的に永遠なある一つの意識」「交響楽の変異転調の彼方に絶えず揺曳し絶えず失われ、また一瞬ごとに響いてくるあの荘重かつ持続的な一音調」ということだから、小林のいわゆる「主調低音」のことだと思う。なお、引用文の最後にある「正銘の金を得た時、彼はそこに自分のものではない何物か独特の輝きを見て驚く。ここには神の手が動いていると」というのは「主調低音」ではないだろう。ベルグソンの「純粋持続」も時間についての観念(観察できるのは瞬間瞬間に切り取られたものであり、時間そのものではない)であり、かなり違うと思う。だが、村松の言う「人間個性の原型のようなもの」というのが「宿命」「主調低音」に最も近いのだろう。小林は作品や作者の表面や見てくれにはとらわれず、これら「人間個性の原型」「宿命」「主調低音」が見えるまで、作品を読み、作者について知ろうとした。ここに小林が参考にしたというサント・ブウブがどう関与するかは次に読んでみるまでの楽しみだが、村松が最後に語る小林の運命についての当時の記述は正確だと思う。
「近代批評の開拓者としての彼が負わされた文字通り宿命的な課題があった・・・・・・日本は近代的自我の確立が未成熟なままに近代否定の声を聞かねばならなかった。未成熟なままで破壊の猛威をうけいれるなら自我を紛失するばかりだろう。彼は顔を守った・・・・・・『私は手をこまねいて自分のこわばった横顔を思う』・・・・このうつろな『白々しい』顔の上に彼は新しい夢を織ろうとした。自分を育てようとした。しかしそれはどのようにして可能なのか。彼の苦闘の歴史がここから始められる」
p56 瑠璃草
p80 キタラ(六弦琴)
p89 サンマルタン運河
P100 ウォーターローズ(水薔薇?)
P100 ジギタリス
P102 フランソワーズ・ブーシェの作品(ロココ絵画)
p121 榛(ハンノキ)
p123 グラジオラス
p123 スイセンアヤメ
p139 すぐりの実