「武尊をホタカと読める人は山好き以外にはあまりいないだろう」に始まるこの山に初めて行ったのはオグナほたかスキー場にスキーに行ったのが最初で、そのときは前武尊山頂上まで500m強のところまでリフトで登ったが、そこから先へは行かなかった。まだ登山も山スキーも始める前のときである。だから、後日、この山に登ろうと計画した時、最初に浮かんだのはこのリフトを使い、剣ヶ峰経由で沖武尊山まで登ることだった。
だが当時、オグナほかたスキー場からの登山は、たぶん遭難事件のため、禁止されていた。そこで最初の登山は深田と同じく、北側の宝珠台(深田は上ノ原と記している)からで、3月半ばの雪尾根を途中までは調子よく登ったが、藤原岳手前(沖武尊山から700mくらい)のところで天気が悪化し、引き返した。ただし、このときの帰りのパウダー滑走は抜群の雪質で実に心地よかった。
その翌月、今度は、ある山スキーガイドにあった川場スキー場から剣ヶ峰山(東の剣ヶ峰とは別の山)経由で登るルートに挑戦し、剣ヶ峰山直下までのリフトが動かないという災難があったものの、頂上に立って二つの剣ヶ峰を見降ろした。
だから、深田が最初に記している(前武尊山経由の尾根の)「物々しい鎖や鉄梯子」「小祠」や「花咲石」「籠堂」なども見ていない。一方、深田が武尊山に惹かれた「長大な障壁・・・・・大きな壁全体」は尾瀬笠ヶ岳や谷川岳から見た。
深田は書いてないが、武尊山の頂上稜線には水平なラインが数本見え、それが武尊山独特のキャラクターになっていると思う。一方、その壁の連なりを構成するものとして深田が挙げている沖武尊から東の諸峰、川籠岳(中ノ岳)(*)、家ノ串、剣ヶ峰、前武尊山には、私はまだ登ったことがない。今ではリフトから登ることもできるようだが、夏に登って祠や仏像、それに花を見に行くのもいいかもしれない。
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「武尊をホタカと読める人は山好き以外にはあまりいないだろう」に始まるこの山に初めて行ったのはオグナほたかスキー場にスキーに行ったのが最初で、そのときは前武尊山頂上まで500m強のところまでリフトで登ったが、そこから先へは行かなかった。まだ登山も山スキーも始める前のときである。だから、後日、この山に登ろうと計画した時、最初に浮かんだのはこのリフトを使い、剣ヶ峰経由で沖武尊山まで登ることだった。
だが当時、オグナほかたスキー場からの登山は、たぶん遭難事件のため、禁止されていた。そこで最初の登山は深田と同じく、北側の宝珠台(深田は上ノ原と記している)からで、3月半ばの雪尾根を途中までは調子よく登ったが、藤原岳手前(沖武尊山から700mくらい)のところで天気が悪化し、引き返した。ただし、このときの帰りのパウダー滑走は抜群の雪質で実に心地よかった。
その翌月、今度は、ある山スキーガイドにあった川場スキー場から剣ヶ峰山(東の剣ヶ峰とは別の山)経由で登るルートに挑戦し、剣ヶ峰山直下までのリフトが動かないという災難があったものの、頂上に立って二つの剣ヶ峰を見降ろした。
だから、深田が最初に記している(前武尊山経由の尾根の)「物々しい鎖や鉄梯子」「小祠」や「花咲石」「籠堂」なども見ていない。一方、深田が武尊山に惹かれた「長大な障壁・・・・・大きな壁全体」は尾瀬笠ヶ岳や谷川岳から見た。
深田は書いてないが、武尊山の頂上稜線には水平なラインが数本見え、それが武尊山独特のキャラクターになっていると思う。一方、その壁の連なりを構成するものとして深田が挙げている沖武尊から東の諸峰、川籠岳(中ノ岳)(*)、家ノ串、剣ヶ峰、前武尊山には、私はまだ登ったことがない。今ではリフトから登ることもできるようだが、夏に登って祠や仏像、それに花を見に行くのもいいかもしれない。
コルから見上げる沖武尊山、剣を二つ持つ優しき巨人 。沖武尊への基部に到達したのは14時前。頂上まで30分、いや1時間かなあ
笠ヶ岳の頂上からの見ものはすぐ南にある武尊山。平らな頂上、大きな山体に横の筋を数本引いた模様のある姿。よく見ると尖った剣ヶ峰山が小さく見えている
谷川岳から見る武尊山の「長大な障壁・・・・・大きな壁全体」、頂上稜線の水平なライン数本が微かに見える
沖武尊岳(左奥)と藤原岳(右手前):最初の登山は深田と同じく、北側の宝珠台(深田は上ノ原と記している)からで、3月半ばの雪尾根を途中までは調子よく登ったが、藤原岳手前(沖武尊山から700mくらい)のところで天気が悪化し、引き返した
p176(*) 川籠岳:中ノ岳の花咲側の呼び名