日本百名山における記載事項の誤りは、深田の頃には現代の精密多岐かつリアルタイムのインターネット環境など全く無かったことを考えるとやむを得ない。私も昔は簡単なことを調べるのに大変な時間と労力を費やした。それにしても、黒岳の章の冒頭に「南峰の方が優に20mは高い・・・・すると黒岳の最高点は3,000mを越えていることになる」と書いているのに対し、今の地理院地図には黒岳・南峰の標高が2,986mと明確に、まるで深田の誤りをあざ笑うかのように、記載されているのは強烈。だが、そんなことは些細なことだ。
裏銀座から少し離れた黒岳を当時の縦走者は割愛していたらしいが、今の黒岳は登山者でいっぱいで、順番待ちしないと南峰頂上には立てない(三角点のある北峰の方は、眺めが悪いせいか訪れる人は少ないようだが)。これも百名山人気の効果であることは間違いない。
深田は黒岳を立派に眺める場所を二つ、赤岳と野口五郎岳の中間あたりから見た黒岳(「二つの峰頭がキッと立ち、その頂稜からこごしい岩尾根が二、三条、谷に向かって巨獣の骨のように下っている」)、雲ノ平から見た黒岳(「ドッシリとした重量感」)を挙げていて、一つ目の方はブナ立尾根から登った二日目に初めて見て感動した。二つ目の方は雲ノ平に行ったことがないので分からない。黒部五郎岳や三俣蓮華岳から見た姿は大障壁の中央の双耳ピークであり、障壁の山腹が真っ白なのにピーク付近は黒々としていた。
「黒岳の別名は水晶岳である。この名は捨て難い、どころか、むしろこの方を本名にしたいくらいである」という深田の指摘はまさしく実現している。今はこの山を黒岳と呼ぶ人の方が少ないだろう。
深田が黒岳の頂上から見下ろした岩苔小谷の高天ヶ原には山荘と温泉が作られ、日本一高い温泉という秘境になっていて、NHKの特集を見た覚えがある。
前回行った三俣山荘のテントサイトは溢れていて、ずっと奥のデコボコのところにやっとテントを建てた。今はもう予約制になったから、空いているテントサイトを選ぶか、早めに予約しないと泊まれないだろう。こんな北アルプスを見たら、深田は何と思うだろう。
東側(野口五郎岳の稜線)から見た黒岳「二つの峰頭がキッと立ち、その頂稜からこごしい岩尾根が二、三条、谷に向かって巨獣の骨のように下っている」
その翌朝、未明に水晶小屋をあとにすると、黒岳は朝日に赤く染まっていた。
赤牛岳への途上、振り返って見た黒岳は、その名のとおり黒い岩峰になっていた。
西側(北ノ俣岳)から見る黒岳と雲ノ平
南側の三俣蓮華岳から見た姿は大障壁の中央の双耳ピークであり、障壁の山腹が真っ白なのにピーク付近は黒々としていた。
黒岳・北峰の三角点、背景は南峰と登山者たち
KKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKK
日本百名山における記載事項の誤りは、深田の頃には現代の精密多岐かつリアルタイムのインターネット環境など全く無かったことを考えるとやむを得ない。私も昔は簡単なことを調べるのに大変な時間と労力を費やした。それにしても、黒岳の章の冒頭に「南峰の方が優に20mは高い・・・・すると黒岳の最高点は3,000mを越えていることになる」と書いているのに対し、今の地理院地図には黒岳・南峰の標高が2,986mと明確に、まるで深田の誤りをあざ笑うかのように、記載されているのは強烈。だが、そんなことは些細なことだ。
裏銀座から少し離れた黒岳を当時の縦走者は割愛していたらしいが、今の黒岳は登山者でいっぱいで、順番待ちしないと南峰頂上には立てない(三角点のある北峰の方は、眺めが悪いせいか訪れる人は少ないようだが)。これも百名山人気の効果であることは間違いない。
深田は黒岳を立派に眺める場所を二つ、赤岳と野口五郎岳の中間あたりから見た黒岳(「二つの峰頭がキッと立ち、その頂稜からこごしい岩尾根が二、三条、谷に向かって巨獣の骨のように下っている」)、雲ノ平から見た黒岳(「ドッシリとした重量感」)を挙げていて、一つ目の方はブナ立尾根から登った二日目に初めて見て感動した。二つ目の方は雲ノ平に行ったことがないので分からない。黒部五郎岳や三俣蓮華岳から見た姿は大障壁の中央の双耳ピークであり、障壁の山腹が真っ白なのにピーク付近は黒々としていた。
「黒岳の別名は水晶岳である。この名は捨て難い、どころか、むしろこの方を本名にしたいくらいである」という深田の指摘はまさしく実現している。今はこの山を黒岳と呼ぶ人の方が少ないだろう。
深田が黒岳の頂上から見下ろした岩苔小谷の高天ヶ原には山荘と温泉が作られ、日本一高い温泉という秘境になっていて、NHKの特集を見た覚えがある。
前回行った三俣山荘のテントサイトは溢れていて、ずっと奥のデコボコのところにやっとテントを建てた。今はもう予約制になったから、空いているテントサイトを選ぶか、早めに予約しないと泊まれないだろう。こんな北アルプスを見たら、深田は何と思うだろう。
p227 辻村 太郎は、日本の地理学者・地形学者。 地形学を中心とした日本における地理学の確立に努め、長く日本の地理学をリードしてきた人物として知られ、日本の地理学の歴史には欠かせない人物である