万三郎岳1,406m、万次郎岳1,299m、遠笠山1,197m、矢筈山816m、大室山580m
戦後になって五万分の一地図が出て初めて、深田はこの山に登っている。「地図の等高線を数えながら登るようでないと面白くない」というのはおもしろい表現だが、地図が無いのでは山に登るのは至難だろう。
この時深田は天城山を万三郎岳&万次郎岳に限定せず、伊豆の東海岸の大室山、矢筈山の麓を通り、遠笠山に登り、それから万次郎岳、万三郎岳に登っている。深田はそこで見晴らしのよいことを挙げ、大島や伊豆七島、富士山、南アルプスが見えるとしている。万三郎岳から天城峠までの尾根にある「幾つかの物寂びた峠」というのは戸塚峠と白田峠のことだろう。
そして八丁池で一夜を明かそうとしたが「あまりの寒さで挫折」し、湯ヶ野の温泉宿まで下っている。テントもシュラフも無しだとしたら、12月下旬の伊豆で山中泊というのは無謀であろうが、年を取って寒さに弱くなったことも原因かもしれない。私は60を過ぎてから滅法寒さに弱くなり、もう雪山のテント泊は難しくなっている(なんとかあと二つ三つは登らないといけないのだが)。
因みに、深田の泊った湯ヶ野温泉は八丁池から10㎞以上はあるから、全然近くはない。深田の最初の計画は、八丁池の翌日に天城峠を越え、西側に連なる猿山、十郎左衛門山、長九郎山と歩いて西海岸に下ることだったと思われるが、ここには現在、「伊豆山稜線歩道」というのがあり、天城峠の先で(南西の猿山方面ではなく)北西にある猫越岳、仁科峠の方に道が伸びている。
私が2007年に天城山に登ったときは最初のゴルフ場から万次郎山、万三郎山に登り、その後に中継アンテナ群の林立する遠笠山に登った。曇っていて海も富士山も見えなかったが、遠笠山への途上で大室山と矢筈山を垣間見ることができた。矢筈山や十郎左衛門山には登山道は無いようだが、もう一度天城に行って、天城山脈を東から西に歩かなければと思う。
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
戦後になって五万分の一地図が出て初めて、深田はこの山に登っている。「地図の等高線を数えながら登るようでないと面白くない」というのはおもしろい表現だが、地図が無いのでは山に登るのは至難だろう。
この時深田は天城山を万三郎岳&万次郎岳に限定せず、伊豆の東海岸の大室山、矢筈山の麓を通り、遠笠山に登り、それから万次郎岳、万三郎岳に登っている。深田はそこで見晴らしのよいことを挙げ、大島や伊豆七島、富士山、南アルプスが見えるとしている。万三郎岳から天城峠までの尾根にある「幾つかの物寂びた峠」というのは戸塚峠と白田峠のことだろう。
そして八丁池で一夜を明かそうとしたが「あまりの寒さで挫折」し、湯ヶ野の温泉宿まで下っている。テントもシュラフも無しだとしたら、12月下旬の伊豆で山中泊というのは無謀であろうが、年を取って寒さに弱くなったことも原因かもしれない。私は60を過ぎてから滅法寒さに弱くなり、もう雪山のテント泊は難しくなっている(なんとかあと二つ三つは登らないといけないのだが)。
因みに、深田の泊った湯ヶ野温泉は八丁池から10㎞以上はあるから、全然近くはない。深田の最初の計画は、八丁池の翌日に天城峠を越え、西側に連なる猿山、十郎左衛門山、長九郎山と歩いて西海岸に下ることだったと思われるが、ここには現在、「伊豆山稜線歩道」というのがあり、天城峠の先で(南西の猿山方面ではなく)北西にある猫越岳、仁科峠の方に道が伸びている。
私が2007年に天城山に登ったときは最初のゴルフ場から万次郎山、万三郎山に登り、その後に中継アンテナ群の林立する遠笠山に登った。曇っていて海も富士山も見えなかったが、遠笠山への途上で大室山と矢筈山を垣間見ることができた。矢筈山や十郎左衛門山には登山道は無いようだが、もう一度天城に行って、天城山脈を東から西に歩かなければと思う。
p310 興味索然:興の尽きるさま。 関心がなくなりおもしろくないさま。 また、おもしろ味のないさま。