鳥海山は八甲田・大岳の次に多く登っている山で、2022年末現在で12回(八甲田・大岳は24回、前岳は20回)である。その全てが山スキーにシールでの登山である。だから、チョウカイフスマやチョウカイアザミを見たことはなく、深田が秋に登った時の「見下ろした中腹の紅葉」も見ていない。
だが私は深田が初めて登った時、「四月の半ばスキーで登ったが、その帰り落葉松の林の中を滑っていくと・・・・・・日本海が青黒く拡がっていた」と同じに、西側の大平、鉾立から登った時の帰りに、日本海を見ながら滑走した。
それに「頂上火口の険しい岩壁、太古の静寂を保った旧噴火口の湖水・・・・・雲海の涯に月山の優しい姿」というのも見た。
とにかく鳥海山は目立つ山で、日本海沿岸道や秋田道を走るとその姿はいつも見えてくる。
冒頭で深田が書いている「山容秀麗という資格では鳥海山は他に落ちない。眼路限りなく拡がった庄内平野の北の果てに毅然とそびえ立ったこの山を眺めると、昔から東北第一の名峰とあがめられてきたことも納得できる」というのは、街道筋から見ることができただけに昔の人に強い印象を与えたのだろう。
深田も指摘している「ヴォリュームのある深い山という感には乏しい」の通り、東北には朝日連峰や飯豊連峰というはるかに大きな広がりをもった名峰がある。だが、この山には何度登っても尽きない魅力があり、「登らなければ」と思ってしまう。いつか夏に登って花を見てみたい。
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鳥海山は八甲田・大岳の次に多く登っている山で、2022年末現在で12回(八甲田・大岳は24回、前岳は20回)である。その全てが山スキーにシールでの登山だが、北の祓川からが8回、西の大平、鉾立からがそれぞれ3回、1回。この他に南の湯ノ台から行者岳、ずっと北の七曲から稲倉岳にも登ったが、全て山スキーである。だから、チョウカイフスマやチョウカイアザミを見たことはなく、深田が秋に登った時の「見下ろした中腹の紅葉」も見ていない。
だが私は深田が初めて登った時、「四月の半ばスキーで登ったが、その帰り落葉松の林の中を滑っていくと・・・・・・日本海が青黒く拡がっていた」と同じに、西側の大平、鉾立から登った時の帰りに、日本海を見ながら滑走した。
それに「頂上火口の険しい岩壁、太古の静寂を保った旧噴火口の湖水・・・・・雲海の涯に月山の優しい姿」というのも見た。とにかく鳥海山は目立つ山で、日本海沿岸道や秋田道を走るとその姿はいつも見えてくる。冒頭で深田が書いている「山容秀麗という資格では鳥海山は他に落ちない。眼路限りなく拡がった庄内平野の北の果てに毅然とそびえ立ったこの山を眺めると、昔から東北第一の名峰とあがめられてきたことも納得できる」というのは、街道筋から見ることができただけに昔の人に強い印象を与えたのだろう。
深田も指摘している「ヴォリュームのある深い山という感には乏しい」の通り、東北には朝日連峰や飯豊連峰というはるかに大きな広がりをもった名峰がある。だが、この山には何度登っても尽きない魅力があり、「登らなければ」と思ってしまう。いつか夏に登って花を見てみたい。
笙ヶ岳から見る鳥海山はほぼ左右対称の台形をしており、青空の下に黒い岩峰と白い雪をまとった姿は峻厳でかつ美しい。初めて登ったとき、ここから見たこの鳥海山の姿が目に焼き付いていて、私にとっては生涯最高の山岳景観の一つ。
行く手に見える鳥海山・七高山は、頂上部分の黒い岩が雪の上に出ていて、雪の上に浮かんでいるように見える。空の青、岩の黒、雪の白のコントラストの風景の中に登っていく。白い巨大な斜面を広げ、静かにたたずむ鳥海。その白い斜面を黙々と登る登山者たち。
新山・西峰から背後を振り返ると、新山頂上とその周りには大勢の人がいて賑わっている。その背景には屏風のような七高山。
p75 上代人:じょう‐だい ① はるか昔。大昔。上古。上世。往古。太古。かみつよ。② 日本史、特に文学史での時代区分の一つ。主として奈良時代を中心とし、それ以前の飛鳥時代をも含めていう場合が多い。③ 古き良き時代の風であること。王朝風であること。転じて、鷹揚(おうよう)であること。④ 「じょうだいぶんがく(上代文学)」の略。