この山について深田が語るのは、一つは大きな山であること。白峰三山の一つだが、白馬三山や立山三山、奥穂・前穂・北穂などのように一括して呼ぶには規模が大きすぎる、図体の大きいことは日本アルプス第一だろう、そして身延線・池山の吊尾根・農鳥岳西峰から見た姿:「全く大きい Grande Barriere と呼ぶにふさわしい」「掴みどころがないように大きい・・・・大愚のように茫洋としている」。
現在ではこの大きさは、北岳・間ノ岳・農鳥岳全体に引き延ばされ、「3,000mの日本一長い稜線歩き」というキャッチ・フレーズになっている。私が間ノ岳ですぐ連想することは二つ。一つは、北岳山荘から間ノ岳までが長かったこと、歩けども歩けどもなかなか着かない。それと、農鳥小屋から見上げる巨大な間ノ岳。
深田の語る二つ目は山名について。「『甲斐国志』の三峰は、白峰、間ノ岳(または中岳、または農鳥山)、別当代となっている」のだが、「小島烏水氏と高頭式氏との間で一大論争」があり、結果、白峰三山は北岳・間ノ岳・農鳥岳となった。
この山名確定の根拠になったのが「残雪の鳥の形」なのだが、「間ノ岳にも歴とした鳥の形が現われることが知られた」という部分について深田は、農鳥岳は「頂上のわずか1尺ほど下の所に残雪の鳥の形」、間ノ岳は「それよりもっと大きく、もっと分明に嘴を南へ向けた山鳥あるいは雄鶏・・・・雪が消えて地肌がその形になる」と詳細に記している。
鳥の雪形については現在でも諸説がネット上に掲載されているが、「間ノ岳の大きな、雪が消えた地肌の鳥」は南アルプス・ネットの写真(下を向いて飛んでいるように見える)で確認でき、一方、農鳥岳の雪形については「春になると首をもたげた鶏型の農鳥、雪解けがさらに進むと、首の長い白鳥型の農鳥」と二つの写真を載せている「山の空もよう」の解説が説得力を持っている。
論争当時に根拠となった雪形はどうあれ、今の農鳥岳には立派な鳥の雪形が現われるということだから、これなら深田も納得するだろう。
結局、「甲斐国志」の著者は、間ノ岳の雪形は知っていたが、農鳥岳(当時は別当代)にも立派な雪形が現われることを知らず、深田の頃の一大論争のときもこの立派な農鳥岳の雪形を確認できなかったということになる。
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この山について深田が語るのは、一つは大きな山であること。白峰三山の一つだが、白馬三山や立山三山、奥穂・前穂・北穂などのように一括して呼ぶには規模が大きすぎる、図体の大きいことは日本アルプス第一だろう(これは見た感じの容積と思われるが検証は難しい。長さだけではこれより長い山はあると思われる(北岳山荘から農鳥小屋までが間ノ岳の領域だとすると約3.8㎞だが、仙丈岳(北沢小屋から苳ノ平)と薬師岳(スゴ乗越から薬師平)は共に7㎞弱ある))、そして身延線・池山の吊尾根(北岳の東尾根と思われる)・農鳥岳西峰から見た姿:「全く大きい Grande Barriere と呼ぶにふさわしい」「掴みどころがないように大きい・・・・大愚のように茫洋としている」。
現在ではこの大きさは、北岳・間ノ岳・農鳥岳全体に引き延ばされ、「3,000mの日本一長い稜線歩き」というキャッチ・フレーズになっている。私が間ノ岳ですぐ連想することは二つ。一つは、北岳山荘から間ノ岳までが長かったこと、歩けども歩けどもなかなか着かない。それと、農鳥小屋から見上げる巨大な間ノ岳。
深田の語る二つ目は山名について。「『甲斐国志』の三峰は、白峰、間ノ岳(または中岳、または農鳥山)、別当代となっている」のだが、「小島烏水氏と高頭式氏との間で一大論争」があり、結果、白峰三山は北岳・間ノ岳・農鳥岳となった。この山名確定の根拠になったのが「残雪の鳥の形」なのだが、「間ノ岳にも歴とした鳥の形が現われることが知られた」という部分について深田は、農鳥岳は「頂上のわずか1尺ほど下の所に残雪の鳥の形」、間ノ岳は「それよりもっと大きく、もっと分明に嘴を南へ向けた山鳥あるいは雄鶏・・・・雪が消えて地肌がその形になる」と詳細に記している。
鳥の雪形については現在でも諸説がネット上に掲載されているが、「間ノ岳の大きな、雪が消えた地肌の鳥」は南アルプス・ネットの写真(下を向いて飛んでいるように見える)で確認でき、一方、農鳥岳の雪形については「春になると首をもたげた鶏型の農鳥、雪解けがさらに進むと、首の長い白鳥型の農鳥」と二つの写真を載せている「山の空もよう」の解説が説得力を持っている。
論争当時に根拠となった雪形はどうあれ、今の農鳥岳には立派な鳥の雪形が現われるということだから、これなら深田も納得するだろう。結局、「甲斐国志」の著者は、間ノ岳の雪形は知っていたが、農鳥岳(当時は別当代)にも立派な雪形が現われることを知らず、深田の頃の一大論争のときもこの立派な農鳥岳の雪形を確認できなかったということになる。ネットで各氏が指摘しているとおり、農耕に従事している農民にとっては明確だが、そうでない人たちにはなかなか知り得ない、ということなのだろう。こう言う私もまるで見たことはないのだが。