役小角が655年に登ったのは日本最古の登山記録かもしれないと深田は書いておきながら、この山にはそれほど登っていないらしい。
今なら車や高速を使って、大概の山に気軽にアプローチし、登ることができるが、深田の頃はそうはいかなかった。やはりアルプスやその周辺の2,000mクラスの山を優先せざるをえないだろう。
かくいう私にしても、近隣の里山はともかく、遠方に出掛けるとなれば、里山よりも高い山、有名な山を優先したくなる。
だが、いまや大峰山は日本百名山であり、多くの人が登っており、大峰奥駈を歩いている人も多い。
深田は大峰山脈縦走、峰中(ぶちゅう)について、「完全縦走は修験者も登山者もほとんど試みるものがない。ことにその南半は忘れ去られた山となっているようである」と書いているが、今やネットを見ると完全縦走している報告は少なくない(ハンモック3泊4日というのは楽しそう、2泊3日というのは恐ろしく速いと思ったら、1泊2日というのもある、トレイルランだろう)。
地元の有志が「刈峰行」という修行で登山道の刈払いをしているらしい表示も見た。
私が初めて大峰山に登ったのは2005年で、このときは山上ヶ岳と八経ヶ岳に登った。深田と同じく、大峰を代表する山と最高峰に登ったわけだ。
この後も2008年に釈迦ヶ岳、2014年に南端付近にある玉置山、五大尊岳と七越山に登り、そして2023年になって奥駈完全縦走に挑戦することにしたが、マイカー登山には実に不向きだし、縦走路を外れたところにも行きたいところがある(稲村ヶ岳、笙ノ窟、前鬼など)。
そこで日帰りのプランを複数立て、5日間に渡って吉野から行仙岳までを歩き、稲村ヶ岳、笙ノ窟、前鬼にも訪れた。
吉野では深田が書いている「金ノ御岳」と呼ばれていたときの話や後醍醐天皇の建武の中興の舞台となった話、それに西行庵で和歌をたくさん見た。大普賢岳の東にある笙ノ窟は険しい岩峰の下にある行場で、役小角や西行も修行したところ。そして役小角の弟子となって修験道を守護してきた鬼たちの子孫の住む前鬼集落には大きな行者堂、宿泊所があった。
道は長くて細かなアップダウンで辛かったが、ヤブとは無縁で歩き易いのは刈払いが行き届いているからだろう。もうあと2回登って(天上ヶ岳付近、および笠捨山付近)奥駈完全縦走を果たしたい。
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役小角が655年に登ったのは日本最古の登山記録かもしれないと深田は書いておきながら、この山にはそれほど登っていないらしい。今なら車や高速を使って、大概の山に気軽にアプローチし、登ることができるが、深田の頃はそうはいかなかった。やはりアルプスやその周辺の2,000mクラスの山を優先せざるをえないだろう。かくいう私にしても、近隣の里山はともかく、遠方に出掛けるとなれば、里山よりも高い山、有名な山を優先したくなる。
だが、いまや大峰山は日本百名山であり、多くの人が登っており、大峰奥駈を歩いている人も多い。深田は大峰山脈縦走、峰中(ぶちゅう)について、「完全縦走は修験者も登山者もほとんど試みるものがない。ことにその南半は忘れ去られた山となっているようである」と書いているが、今やネットを見ると完全縦走している報告は少なくない(ハンモック3泊4日というのは楽しそう、2泊3日というのは恐ろしく速いと思ったら、1泊2日というのもある、トレイルランだろう)。地元の有志が「刈峰行」という修行で登山道の刈払いをしているらしい表示も見た。
私が初めて大峰山に登ったのは2005年で、このときは山上ヶ岳と八経ヶ岳に登った。深田と同じく、大峰を代表する山と最高峰に登ったわけだ。この後も2008年に釈迦ヶ岳、2014年に南端付近にある玉置山、五大尊岳と七越山に登り、そして2023年になって奥駈完全縦走に挑戦することにしたが、マイカー登山には実に不向きだし、縦走路を外れたところにも行きたいところがある(稲村ヶ岳、笙ノ窟、前鬼など)。
そこで日帰りのプランを複数立て、5日間に渡って吉野から行仙岳までを歩き、稲村ヶ岳、笙ノ窟、前鬼にも訪れた。吉野では深田が書いている「金ノ御岳」と呼ばれていたときの話や後醍醐天皇の建武の中興の舞台となった話、それに西行庵で和歌をたくさん見た。大普賢岳の東にある笙ノ窟は険しい岩峰の下にある行場で、役小角や西行も修行したところ。そして役小角の弟子となって修験道を守護してきた鬼たちの子孫の住む前鬼集落には大きな行者堂、宿泊所があった。道は長くて細かなアップダウンで辛かったが、ヤブとは無縁で歩き易いのは刈払いが行き届いているからだろう。もうあと2回登って(天上ヶ岳付近、および笠捨山付近)奥駈完全縦走を果たしたい。