「菅平へスキーに行った人は正面にそびえた二つの山をおぼえているだろう。四阿山と根子岳。あれがなかったら菅平の値打ちは無くなる」という印象的な表現で始まるこの章は、深田のこの山に対する憧れで満ちている。
「山のオールドボーズにとっては・・・・・必ず登るべき山の一つであった」の理由として「頂上がやや左に傾いだ屋根型をして、その右端に乳首のような丘が盛り上がっている。いい形である・・・・・品格のある山」「ピッケル・ザイル党には向かないかもしれぬが、しみじみした情緒を持った日本的な山である」という点を挙げていて、これらこそが深田の名山選定における重要な基準であり、私のような普通の山登りにも全く共感でき、是非登ってみたいと思うようになる。
「近頃は四阿山など誰も見向きもしなくなった」という当時の深田の嘆きは、今ではもう遠い過去。今では多くの人々が四阿山を目指し、登っている。その深田自身が「この古くから名高い山を私は久しく登り残していた」というのは、おそらく日本アルプスなど、他に優先すべき山がたくさんあったからだろう。
そして深田は菅平からスキーで登っているが、私は現在の山スキー・ルートになっている鳥居峠(まさに日本武尊が東征の帰りにここに立って、弟橘姫を偲んで「吾妻はや」と嘆いた、鳥居峠)の近くの高原ホテルから登った。だから、菅平から見る四阿山と根子岳は見ていないが、菅平湖付近から「屋根型」の大きな姿を、登山中盤に「乳首のような丘」の頂上を見た:「傾斜をまたひとつ登ったところで正面に雪原が広がり、右手にポコンと突き出した峰がある。次にこの峰を写していると、登ってる人が見える。あれが頂上なのだ」。この時に頂上で見た祠は上州側のものらしい。
根子岳は眼下に見えていたが、その4年後、今度は菅平スキー場から根子岳に登った。だが、このときも頂上は雲で隠れていて、まだ菅平の正面にそびえ立つ四阿山と根子岳を私は見たことがない。信州側の祠と三角点も逃しているし、もう一度行かねばならない山である。深田の言う「土鍋山、御飯山などというキッチンじみた名前をもつ上信国境の連山」にも登ってみたい。
それにしても、「根子岳なんて四阿山の附録みたいなものである。私たちは附録では我慢できない」というのは、深田自身が挙げた「品格のある山」や「しみじみした情緒」とは無関係だと思うが、まあ、分からないことはない。
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「菅平へスキーに行った人は正面にそびえた二つの山をおぼえているだろう。四阿山と根子岳。あれがなかったら菅平の値打ちは無くなる」という印象的な表現で始まるこの章は、深田のこの山に対する憧れで満ちている。
「山のオールドボーズにとっては・・・・・必ず登るべき山の一つであった」の理由として「頂上がやや左に傾いだ屋根型をして、その右端に乳首のような丘が盛り上がっている。いい形である・・・・・品格のある山」「ピッケル・ザイル党には向かないかもしれぬが、しみじみした情緒を持った日本的な山である」という点を挙げていて、これらこそが深田の名山選定における重要な基準であり、私のような普通の山登りにも全く共感でき、是非登ってみたいと思うようになる。
「近頃は四阿山など誰も見向きもしなくなった」という当時の深田の嘆きは、今ではもう遠い過去。今では多くの人々が四阿山を目指し、登っている。その深田自身が「この古くから名高い山を私は久しく登り残していた」というのは、おそらく日本アルプスなど、他に優先すべき山がたくさんあったからだろう。
そして深田は菅平からスキーで登っているが、私は現在の山スキー・ルートになっている鳥居峠(まさに日本武尊が東征の帰りにここに立って、弟橘姫を偲んで「吾妻はや」と嘆いた、鳥居峠)の近くの高原ホテルから登った。だから、菅平から見る四阿山と根子岳は見ていないが、菅平湖付近から「屋根型」の大きな姿を、登山中盤に「乳首のような丘」の頂上を見た:「傾斜をまたひとつ登ったところで正面に雪原が広がり、右手にポコンと突き出した峰がある。次にこの峰を写していると、登ってる人が見える。あれが頂上なのだ」。この時に頂上で見た祠は上州側のものらしい。
根子岳は眼下に見えていたが、その4年後、今度は菅平スキー場から根子岳に登った。だが、このときも頂上は雲で隠れていて、まだ菅平の正面にそびえ立つ四阿山と根子岳を私は見たことがない。信州側の祠と三角点も逃しているし、もう一度行かねばならない山である。深田の言う「土鍋山、御飯山などというキッチンじみた名前をもつ上信国境の連山」にも登ってみたい。
それにしても、「根子岳なんて四阿山の附録みたいなものである。私たちは附録では我慢できない」というのは、深田自身が挙げた「品格のある山」や「しみじみした情緒」とは無関係だと思うが、まあ、分からないことはない。
志賀・笠ヶ岳(北東方向)から見た四阿山と根子岳は、雪と林に覆われた、二つ並んだなだらかなピークで、「しみじみした情緒を持った日本的な山」
頂上到達。頂上標識(最高点2,354m)と上州祠がある。細い尾根の向こうに祠らしきものが見える。たぶんあれが信州祠(三角点2,333mがある)なのだろう。歩いた跡が付いており、行けないこともないと思ったが、風が強いのと時間も無いので止めておく。