このアプローチが面倒で目立たない山が有名になり、多くの登山者で賑わうようになったのは間違いなく深田の日本百名山のおかげでに違いない。祖母-傾山間の縦走は九州随一と評判で、ネットには「九州最大の縦走路走破」という見出しが数えきれないが、もし日本百名山で紹介されなかったら、これほど評判になっただろうか。
ともあれ私はこの山に3回登っていて、九州の山では一番多い。最初は最も短くて楽な南西の五ヶ所口、二度目は大谷川の沢歩き、三度目は北東の上畑から大障子岩を越えて登った。九折から傾山、本谷山を歩いて縦走路を辿った時は雨に降られ、古祖母山までで下山した。なんだか妙に惹きつけられる魅力を持っているようだ。
深田も冒頭で、九重から初めて祖母山を見たとき、「あれに登らねばならぬ」という衝動にかられている。そして深田もなぜそんなに惹かれるのか、よく分からなかったのではないか。「一瞥直ちに人を惹きつけるという際立った山容ではない・・・・・しかしその滋味はみつめるに従ってじっくりくる」というのは理論的ではなく、印象表現である。そして「こういう山は流行には乗らないが、不易の命を持っている」というのは、派手なところが無いからこそ、飽きることがなく、その人の生活や人生の一部になってしまうということか。おそらく祖母山の周辺に住む山登りたちはそういう感覚でこの山と接し、登っているのではなかろうか。
深田は天孫降臨の伝説を語り、祖母山の南の西臼杵や五箇瀬川上流地方は「日本で最も早く開けた土地であったに違いない」と書いているが、そのあたりは高千穂峡などの観光名所は多いが、都市化からは外れた山奥という感じである。おそらくその方がいいのだろう。
深田は九重で世話になった加藤数功氏にまた案内してもらっている。深田は神原から登って国観峠から間近に祖母山を見て「行く手に大きくわだかまるように祖母山が控えていた」と書いている。私は神原(こうばる)から登ったことは無いが、五箇所口から登って国観峠に出て、目の前にでっかく祖母山が現われてびっくりした。そしてそれが深田の書いていた「わだかまるような祖母山」だった。「わだかまる」という言葉には(とぐろを巻く、くねり曲がる、悪意がある、不満・悪感情など)いろんな意味があるようだが、その祖母山は(悪意も不満もある訳ではなく)ただ大きくどっしりとそこにとぐろを巻いて居座っているように見えた。
深田は最後に竹田の古城址から祖母山を見て「品のいいゆったりした金字塔」と書いているが、私が見た一番の祖母山は、後傾山付近からのもの:「岩場を駆け下り、杉ヶ越の分岐までくると朝日が樹間からこぼれていて、祖母への縦走路を照らしている。なんといっても祖母の姿が見事である。それは大障壁の上の群青のトライアングル」。
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このアプローチが面倒で目立たない山が有名になり、多くの登山者で賑わうようになったのは間違いなく深田の日本百名山のおかげでに違いない。祖母-傾山間の縦走は九州随一と評判で、ネットには「九州最大の縦走路走破」という見出しが数えきれないが、もし日本百名山で紹介されなかったら、これほど評判になっただろうか。
ともあれ私はこの山に3回登っていて、九州の山では一番多い。最初は最も短くて楽な南西の五ヶ所口、二度目は大谷川の沢歩き、三度目は北東の上畑から大障子岩を越えて登った。九折から傾山、本谷山を歩いて縦走路を辿った時は雨に降られ、古祖母山までで下山した。なんだか妙に惹きつけられる魅力を持っているようだ。
深田も冒頭で、九重から初めて祖母山を見たとき、「あれに登らねばならぬ」という衝動にかられている。そして深田もなぜそんなに惹かれるのか、よく分からなかったのではないか。「一瞥直ちに人を惹きつけるという際立った山容ではない・・・・・しかしその滋味はみつめるに従ってじっくりくる」というのは理論的ではなく、印象表現である。そして「こういう山は流行には乗らないが、不易の命を持っている」というのは、派手なところが無いからこそ、飽きることがなく、その人の生活や人生の一部になってしまうということか。おそらく祖母山の周辺に住む山登りたちはそういう感覚でこの山と接し、登っているのではなかろうか。
深田は天孫降臨の伝説を語り、祖母山の南の西臼杵や五箇瀬川上流地方は「日本で最も早く開けた土地であったに違いない」と書いているが、そのあたりは高千穂峡などの観光名所は多いが、都市化からは外れた山奥という感じである。おそらくその方がいいのだろう。
深田は九重で世話になった加藤数功氏にまた案内してもらっている。深田は神原から登って国観峠から間近に祖母山を見て「行く手に大きくわだかまるように祖母山が控えていた」と書いている。私は神原(こうばる)から登ったことは無いが、五箇所口から登って国観峠に出て、目の前にでっかく祖母山が現われてびっくりした。そしてそれが深田の書いていた「わだかまるような祖母山」だった。「わだかまる」という言葉には(とぐろを巻く、くねり曲がる、悪意がある、不満・悪感情など)いろんな意味があるようだが、その祖母山は(悪意も不満もある訳ではなく)ただ大きくどっしりとそこにとぐろを巻いて居座っているように見えた。
深田は最後に竹田の古城址から祖母山を見て「品のいいゆったりした金字塔」と書いているが、私が見た一番の祖母山は、後傾山付近からのもの:「岩場を駆け下り、杉ヶ越の分岐までくると朝日が樹間からこぼれていて、祖母への縦走路を照らしている。なんといっても祖母の姿が見事である。それは大障壁の上の群青のトライアングル」。
p402 橘南渓:江戸時代後期の医者,国学者。本姓は宮川氏。名は春暉。別号は梅華仙史。医学を香川修庵,賀川玄悦,畑柳安に学ぶ。天明3 (1783) 年,彼の主宰で行なった解剖の記録「平次郎臓図」 (吉村蘭洲筆) は解剖絵巻として初期のものに属し,江戸時代の解剖図の描き方の原型となった。医学書のほか,地誌も著わした。主著『傷寒論分註』 (91) ,『東遊記』 (95~97) ,『西遊記』 (95~98) ,『北窓瑣談』 (1825~29) 。
p403 ケレン:「ケレン味」とは、ハッタリやごまかしを効かせた見た目本位の演出のことを言います1234。漢字で「外連味」と書きます124。もともとは正当でないやり方を指す言葉でしたが、演劇用語として広まり、芸の本道から外れた奇抜さをねらった演出という意味になりました
p405 わだかまる:① 輪のような形状にかがまり曲がる。蛇などがとぐろを巻く。② くねり曲がる。※枕(10C終)二四四「七曲にわだかまりたる玉の」※虞美人草(1907)〈夏目漱石〉一〇「松が信楽の鉢に、蟠(ワダカ)まる根を盛りあげて、くの字の影を椽に伏せる」③ 心が、ねじけ曲がる。悪意がある。※天草本伊曾保(1593)大海と野人の事「サキノ ゴトク vadacamatte(ワダカマッテ) ミヲ タバカルトモ」④ 心の中に、ある考え、感情が滞っている。あるこだわった考え、気持があってさっぱりしないでいる。多く、不満・悪感情など、悪い考え・気持についていう。※夫婦(1904)〈国木田独歩〉六「常に彼等の心の底にそれが蟠居(ワダカマッ)て居たら如何だらう」⑤ 滞って動かないでいる。固まって滞る。※夢の女(1903)〈永井荷風〉三「其の黒い影は後の襖の上に蟠(ワダカマ)った儘、少しも動く事が無い」[2] 〘他ラ四〙 人をだまして、ある物を自分の物にする。着服する。横領する。