この山が「剣」の形をしていないのに剣山と呼ばれている理由について深田は最初に詳しく記載している。もちろんこれが真実に違いない。深田が根拠としている「見ノ越の円福寺の寺伝」の円福寺というのはまさに見ノ越登山口にある寺である。
しかし私は初めてこの山に登ったとき、剣のような姿を見た:「R438をひたすら南下し、ヘアピンを三つ登り、夫婦池に出る。そのすぐ先が尾根乗越で、眺望が開け、尖った山が真正面に見えた。それが目指す剣山に違いないと思った。だが、それはジロウギュウだった」。もしかすると、このジロウギュウの姿を見て、昔の人は剣山と呼んだこともあったのではなかろうか。
2ページ目からは登路の話。深田は三つのコース(祖谷川、穴吹、貞光)を記しており、貞光が比較的楽であり、現在の登山者の大部分はこのコースを選ぶだろうと書いているが、今は車道が四方から頂上直下の登山口、見ノ越(もしくはその3㎞東にある冨士ノ池口)まで通じている。
私は最初に登った時は貞光からR438を南下し、二度目のときは西の大豊インターから祖谷川沿いのR439を東に走り、見ノ越まで行った。穴吹へのコース(冨士ノ池口)は一ノ森に行った時に少したどっただけ。
2012年に東にある雲早山に登った時、R439沿いに「富士ノ池登山口」を見ているが、その少し先に深田が最後に書いている「清冽な青い流れの上に朱塗りの橋が架かっていた。それが垢離取橋・・・」があったはずだが、そのときは知らなかったので行かなかった。残念。
だが、深田がその前に書いている「一ノ森の上から振り返ると、剣山・ジロウギュウが二つ並んで、まず剣山の姿勢はここから望んだのが最上と思われた」という景観は私も一ノ森から存分に眺めた。
二度目に登った時は見ノ越にMTBをデポしておいて、西にある天狗塚から三嶺、ジロウギュウと縦走してみた。6月の晴の日で、花と緑と雄大な景観に疲れも忘れた。見ノ越からは下りの舗装路を(ややデコボコだったが)風を切って飛ばした。良き想い出。(メモには縦走路26㎞を23時間、MTBは20㎞を1時間、とある)
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この山が「剣」の形をしていないのに剣山と呼ばれている理由について深田は最初に詳しく記載している。もちろんこれが真実に違いない。深田が根拠としている「見ノ越の円福寺の寺伝」の円福寺というのはまさに見ノ越登山口にある寺である。しかし私は初めてこの山に登ったとき、剣のような姿を見た:「R438をひたすら南下し、ヘアピンを三つ登り、夫婦池に出る。そのすぐ先が尾根乗越で、眺望が開け、尖った山が真正面に見えた。それが目指す剣山に違いないと思った。だが、それはジロウギュウだった」。もしかすると、このジロウギュウの姿を見て、昔の人は剣山と呼んだこともあったのではなかろうか。
2ページ目からは登路の話。深田は三つのコース(祖谷川、穴吹、貞光)を記しており、貞光が比較的楽であり、現在の登山者の大部分はこのコースを選ぶだろうと書いているが、今は車道が四方から頂上直下の登山口、見ノ越(もしくはその3㎞東にある冨士ノ池口)まで通じている。
私は最初に登った時は貞光からR438を南下し、二度目のときは西の大豊インターから祖谷川沿いのR439を東に走り、見ノ越まで行った。穴吹へのコース(冨士ノ池口)は一ノ森に行った時に少したどっただけ。2012年に東にある雲早山に登った時、R439沿いに「富士ノ池登山口」を見ているが、その少し先に深田が最後に書いている「清冽な青い流れの上に朱塗りの橋が架かっていた。それが垢離取橋・・・」があったはずだが、そのときは知らなかったので行かなかった。残念。
だが、深田がその前に書いている「一ノ森の上から振り返ると、剣山・ジロウギュウが二つ並んで、まず剣山の姿勢はここから望んだのが最上と思われた」という景観は私も一ノ森から存分に眺めた。
二度目に登った時は見ノ越にMTBをデポしておいて、西にある天狗塚から三嶺、ジロウギュウと縦走してみた。6月の晴の日で、花と緑と雄大な景観に疲れも忘れた。見ノ越からは下りの舗装路を(ややデコボコだったが)風を切って飛ばした。良き想い出。(メモには縦走路26㎞を23時間、MTBは20㎞を1時間、とある)
p393 﨟たけた(ろうたけた): 女性の洗練された気品と美しさとを形容する表現。「臈長けた女性」のように女性を形容する語として用いられる。あるいは、年功を積んでその道に熟達した様子を指す場合もある。