この山は深田が指摘しているとおり、琵琶湖の南東側を通ると目立つ山である。深田の頃は東海道線や北陸線で通ると「物寂しい山間」であったというが、今では名神高速に北陸道が通じ、その道沿いには街並みが連なっていて、伊吹山はそれらの街並みの背景になっている。だが、高速を走っていると私はいつも深田と同じようにこの山に目を奪われる。周囲は山また山だが、その中で伊吹山が頭一つ分、抜き出ているのだ。
深田は伊吹山頂上にある日本武尊の石像を「尊にお気の毒なくらいみっともない作り」と評しているが、そうだろうか。たしかになで肩でじみであり、風格に欠けているように思えるが、慈悲深い神様の姿とも思える。「みっともない」というのは言い過ぎだろう。
伊吹山の薬草については、ネット通販で、ドクダミ、ヨモギ、カキドオシ(これが薬草とは知らなかった)、イブキジャコウソウ、ナギナタコウジュ、ロモジというのが(それぞれハーブ茶1,296円)販売されている。「明治末年・・・・一千余種」にはどんなのがあったか分からないが、だいぶ減っているのだろう。
一方、伊吹山はいまや知る人ぞ知る花の名山であり、ネットにはそれこそ一千をこえるレポートがあるに違いない。私は最初、夏に登ってオオバギボウシやシモツケソウを見たが、2度目に春に登ったときはまるで違う花が咲いていて、クサタチバナや大きなミミナグサ、マンネングサの群落を見た。秋に行けばまた違う花に出合えるのだろう。
深田は伊吹山のスキー場について書いているが、私は是非、この山にスキーで登って滑走したいと思っている。だが、近年は雪が減っているので、その機会があるだろうか。
深田は最後に、伊吹山頂上からの景観、霊仙山や鈴鹿の山々、比叡比良の峰、賤ヶ岳と琵琶湖、そして純白の白山を見たことを記しているが、私が登ったときは2度とも雲が多く(晴れ予報だったらたぶん別の山に登っていた・・・・ことが原因なのだが)、そのはるか遠くの雲間に白山らしき姿を見たくらい。通り道になっているので、また登る機会はあるだろう。
晩春の別離(島崎藤村の長い詩の第三節)「これより君は行く雲と、ともに都を立ちいでて、懷へば琵琶の湖の、岸の光にまよふとき、東胆吹の山高く、西には比叡比良の峯、日は行き通ふ山々の、深きながめをふしあふぎ、いかにすぐれし想をか、沈める波に湛ふらむ」
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この山は深田が指摘しているとおり、琵琶湖の南東側を通ると目立つ山である。深田の頃は東海道線や北陸線で通ると「物寂しい山間」であったというが、今では名神高速に北陸道が通じ、その道沿いには街並みが連なっていて、伊吹山はそれらの街並みの背景になっている。だが、高速を走っていると私はいつも深田と同じようにこの山に目を奪われる。周囲は山また山だが、その中で伊吹山が頭一つ分、抜き出ているのだ。
深田は伊吹山頂上にある日本武尊の石像を「尊にお気の毒なくらいみっともない作り」と評しているが、そうだろうか。たしかになで肩でじみであり、風格に欠けているように思えるが、慈悲深い神様の姿とも思える。「みっともない」というのは言い過ぎだろう。
伊吹山の薬草については、ネット通販で、ドクダミ、ヨモギ、カキドオシ(これが薬草とは知らなかった)、イブキジャコウソウ、ナギナタコウジュ、ロモジというのが(それぞれハーブ茶1,296円)販売されている。「明治末年・・・・一千余種」にはどんなのがあったか分からないが、だいぶ減っているのだろう。
一方、伊吹山はいまや知る人ぞ知る花の名山であり、ネットにはそれこそ一千をこえるレポートがあるに違いない。私は最初、夏に登ってオオバギボウシやシモツケソウを見たが、2度目に春に登ったときはまるで違う花が咲いていて、クサタチバナや大きなミミナグサ、マンネングサの群落を見た。秋に行けばまた違う花に出合えるのだろう。
深田は伊吹山のスキー場について書いているが、私は是非、この山にスキーで登って滑走したいと思っている。だが、近年は雪が減っているので、その機会があるだろうか。
深田は最後に、伊吹山頂上からの景観、霊仙山や鈴鹿の山々、比叡比良の峰、賤ヶ岳と琵琶湖、そして純白の白山を見たことを記しているが、私が登ったときは2度とも雲が多く(晴れ予報だったらたぶん別の山に登っていた・・・・ことが原因なのだが)、そのはるか遠くの雲間に白山らしき姿を見たくらい。通り道になっているので、また登る機会はあるだろう。
p374 晩春の別離:島崎藤村の長い詩の第三節、「これより君は行く雲と、ともに都を立ちいでて、懷《おも》へば琵琶の湖《みづうみ》の、岸の光にまよふとき、東胆吹《いぶき》の山高く、西には比叡比良の峯、日は行き通ふ山々の、深きながめをふしあふぎ、いかにすぐれし想《おもひ》をか、沈める波に湛《たゝ》ふらむ」