1964年(2024年2月17日再々・・・・読了)
第16回読売文学賞(評論・伝記賞)
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後記 ここで深田は今や有名となった「日本百名山の三つの選定基準および付加的条件」を記している。付加的条件の「大よそ1,500m以上」を除き、三つの選定基準「山の品格、山の歴史、個性のある山」はどれも客観的な基準ではない。「山の品格」や「個性」は見た人の主観に依存するし、「山の歴史」にしてもどこまでと線引きするのは難しい。もちろん深田はそのことを認めていて、「私の主観で選択したものだから、これが妥当とは言えないだろう」と書いている。これが世に認められ、不動のものとなったのは、万民に、いや登山者たちが「これが妥当」と認めたからに相違ない。
ネットには最初の雑誌連載(*1)のとき「山の愛好者から好評を得て、この雑誌の読者による人気投票で第1回読者賞を獲得した 」、文庫本発刊ととき「好評を得て、深田のこの著書が第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した 」とあり、これは文学としての面白さ、優秀さのみならず、選定された山も妥当であるということを示している。
ときおり「雨飾山と荒島岳は深田の贔屓だ」という指摘を見ることがあるが、これもまた深田はちゃんと断り書きを記している:「よく私は人から、どの山が一番好きかと訊かれる。私の答えはいつも決まっている。一番最近に行ってきた山である。その山の印象がフレッシュだからである・・・・」。そして日本百名山を選定しておきながら、散々に迷い「愛する教え子を落第させる試験管の辛さ」で落とした山を、ここで、なんと37座(北海道7、東北2、上信越9、アルプス13、北陸2、関西1、中国1、九州3)を「有力候補」「遜色ない」「入れたかった」とし、「背が足りない」「遊園地化」などで外した山を10座挙げている。
日本百名山には選定されなかったとはいえ、ここで深田が書いている以上、私には気になる。これら合計47座の山には全て登った(渡島駒ヶ岳と桜島は噴火のため頂上まで登っていないが)。これらに登って感じたのは、ニペソツ、ペテガリ、芦別岳、秋田駒に栗駒山、アルプスの大部分、氷ノ山、由布山、市房山などは(これらは既に日本二百名山などに選定されているが)日本百名山の資格はあるなあということ。
いや、これら以外にも、深田の挙げていない山の中にも、資格を有した山はあると思う。どれだって? 例えば北海道の郡別岳、オプタテシケ、カムエク、ニセコ連峰、東北の白神連峰、焼石連峰、和賀連峰、神室連峰、八十里越、関東の男鹿連峰、妙義連峰、新潟の蒜場山、御神楽岳、未丈ヶ岳、海谷連峰、関西の六甲連峰とダイヤモンド・トレール、中国の後山連峰、比婆・吾妻連峰、安芸冠・寂地・額々連峰、恐羅漢山、四国の赤石連峰、野根山街道、九州の古処山連峰、国見岳、大崩山・・・・どれにも想い出がある。
(*1)(戦前、日本百名山を途中まで連載した)ある山岳雑誌:山小屋、10回20座まで
解説 串田孫一氏の解説には有り余る思い出と悔恨の念と感謝と尊敬の意が籠っていて、およそ哲学者らしくない、感情の赴くままのエピソードやコメントの散文集になっている。最初のテーマは尊敬する深田と山行を共にできなかったこと。「亡くなられてもこの夢だけはどうしても消えない」というのは最初の非論理的記述だが、その思いは伝わってくる。
串田は「大山から蒜山」までの縦走でその夢が実現しそうになったものの、実現しなかった、その原因は自分にあるのかもしれないと書いているが、「大山から烏ヶ山、擬宝珠山を経て蒜山」というのは夏道などなく、おそらく積雪時の雪山縦走なのだとすれば、天候上や雪尾根の状況などが思わしくなくて実現しなかったのではなかろうか。今でも簡単ではなかろう(ネットには出ていない)。
それにしても、「霧の中から足音が聞こえてきて、何となく挨拶をして顔を見ると深田さんだったらどんなに嬉しいだろう」というのはまるで少年の憧れ(非論理的記述2)。だが、この思いの深さももちろん文面から伝わってくる。
二つ目のテーマは日本百名山の魅力はどこにあるのか、で串田氏はその理由を述べようとするが、話はどんどん横道に逸れていく。最初に挙げた二つの理由、「この百山を一つ残らず登ってその上で書いたこと」「豊富な山行の経験があること」はもっともだが、今一つである。そもそもこの二つは深田自身が「あとがき」で書いていて、それは魅力の理由ではなく、深田自身に日本百名山を選ぶ資格があることの理由として述べている(非論理的記述3)。
しかし、その後に述べられる二つの理由は絶品である。一つは、「読者はそれぞれ自分の『百名山』を想い描く。そういう時の目安にこれを使う」ということ。私など、日々、山を思えばこればかりである。そして二つ目の「いずれの文章からも深田さんの山に対する気持ち、登山という行為に関する変わらない態度を読み取ることができる。歴史も十分に調べ、時には科学的知識の準備もあったことはうかがえるが、案内気風の乾燥した文章でもなく、紀行に終始するのでもなく、それらを巧みに取り交ぜたところに一遍一編の味わいがある。時には一つ一つの山に対する感謝の気持ちが強く私たちの胸を打つ」こそが、深田の日本百名山の真の魅力であり、この本を永遠のものにしているものに違いない。