「三多摩が東京都に編入されて以来、この大首都はその一隅に二千米の高峰を持つ栄誉を獲得した」という文章は、最初読んだ時は衝撃的だったから、雲取が東京都にあり、標高2,000mもあることを知らない人はおそらく誰でも驚くだろう。
今や高尾山も日本一多くの人が訪れる山として有名だが、雲取は2,000mもあり、今は日帰りできるとはいえ楽な山とはいえないのにもかかわらず、私が登った2回の頂上や登山道には多くの登山者がいて、山小屋は人で溢れていた。
意外にも深田が冒頭で触れているのは熊野街道中辺路の大雲取山で、この街道沿いの山は日本百名山に選ばれていないが、いつかは歩いてみたい。
次に深田が指摘しているのは、標高2,500mから2,000mの山が連なる奥秩父連峰が日本アルプス、八ヶ岳連峰に次ぐ大山脈であるということ。確かにこれだけの標高の山脈は北海道や東北、西日本にはない。小暮理太郎の巧みな表現は深田の指摘の通り、小暮氏の奥秩父への深い思いを反映したものだろう。
深田は雲取山が都心から見えること、「雲取だけはハッキリと・・・・殊に冬になると、頂から南へかけての草地に積もった雪が鮮やかに眺められる」と実に詳細に書いているが、残念ながら私は見たことがない。晴れの日に、高いビルにでも登ってじっくり探せば見つけられたのかもしれない。
登山道は深田の頃からすでにたくさんあり、「氷川」というのはJR奥多摩駅、ビジターセンターのあたりから鷹ノ巣山を越えていく長い尾根道、「日原」というのは日原川沿いの道からその源頭を登る道、「鴨沢」は奥多摩湖の最奥から七ツ石山を越えていく道、そして深田の頃は一番易しくてケーブルがついていたという「三峰」コースには今はケーブル(ロープウェイ)はなく(2007年に廃止)、現在では一番易しいとは言えないだろうが、私は日帰りで楽に往復できた。
深田は丹波からサオラ峠、三条の湯で1泊目、青岩谷の鍾乳洞を見て稜線に上がり、稜線の北側の道を歩いて「山の家」(今の雲取山荘だろう)で2泊目、翌朝に雲取山頂上に立っている。「山の家」の主人富田治三郎氏は今でも有名。深田が雲取山頂上から見た「無神経なくらい膨大な和名倉山がデンと座っているのが唯一の見ものであった」という文章がやけに私の記憶に残り、テントを担いでこの山に登ったのはもうだいぶ前になる。
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「三多摩が東京都に編入されて以来、この大首都はその一隅に二千米の高峰を持つ栄誉を獲得した」という文章は、最初読んだ時は衝撃的だったから、雲取が東京都にあり、標高2,000mもあることを知らない人はおそらく誰でも驚くだろう。
今や高尾山も日本一多くの人が訪れる山として有名だが、雲取は2,000mもあり、今は日帰りできるとはいえ楽な山とはいえないのにもかかわらず、私が登った2回の頂上や登山道には多くの登山者がいて、山小屋は人で溢れていた。
意外にも深田が冒頭で触れているのは熊野街道中辺路の大雲取山で、この街道沿いの山は日本百名山に選ばれていないが、いつかは歩いてみたい。
次に深田が指摘しているのは、標高2,500mから2,000mの山が連なる奥秩父連峰が日本アルプス、八ヶ岳連峰に次ぐ大山脈であるということ。確かにこれだけの標高の山脈は北海道や東北、西日本にはない。小暮理太郎の巧みな表現は深田の指摘の通り、小暮氏の奥秩父への深い思いを反映したものだろう。
深田は雲取山が都心から見えること、「雲取だけはハッキリと・・・・殊に冬になると、頂から南へかけての草地に積もった雪が鮮やかに眺められる」と実に詳細に書いているが、残念ながら私は見たことがない。晴れの日に、高いビルにでも登ってじっくり探せば見つけられたのかもしれない。
登山道は深田の頃からすでにたくさんあり、「氷川」というのはJR奥多摩駅、ビジターセンターのあたりから鷹ノ巣山を越えていく長い尾根道、「日原」というのは日原川沿いの道からその源頭を登る道、「鴨沢」は奥多摩湖の最奥から七ツ石山を越えていく道、そして深田の頃は一番易しくてケーブルがついていたという「三峰」コースには今はケーブル(ロープウェイ)はなく(2007年に廃止)、現在では一番易しいとは言えないだろうが、私は日帰りで楽に往復できた。
深田は丹波からサオラ峠、三条の湯で1泊目、青岩谷の鍾乳洞を見て稜線に上がり、稜線の北側の道を歩いて「山の家」(今の雲取山荘だろう)で2泊目、翌朝に雲取山頂上に立っている。「山の家」の主人富田治三郎氏は今でも有名。深田が雲取山頂上から見た「無神経なくらい膨大な和名倉山がデンと座っているのが唯一の見ものであった」という文章がやけに私の記憶に残り、テントを担いでこの山に登ったのはもうだいぶ前になる。