BC500年頃 (2022年12月4日読了)
(2000年 金谷治訳注)
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最初に述べられるのは孫子の作者についてで、それは新資料の発見により変動してきているが、春秋時代の呉に仕えた孫武(前500年頃)が最初の著者であり、彼の著作に戦国時代の斉の孫臏(前340年頃)を含めた学派により、戦国時代に13編の原型がまとめられたというのが当時(1999年)の結論らしい。
次は孫子13編の特色が4ページにわたって述べられる。第一に、好戦的でないこと、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」。第二は、現実主義的なことで、ここに有名な「彼を知りて己を知れば百戦して殆うからず」がある。第三の、戦争に際して主導性を把握することの重要性とは、「善く守る者は九地の下に蔵れ、善く攻むる者は九天の上に動く」つまり「善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。善く守る者には、敵、其の攻むる所を知らず。微なるかな、微なるかな、無形に至る」ということで、これは敵を欺くことだが、敵のみならず味方をも欺くということらしい。これは老子の思想に近いとしているが、まあ、現代にいう情報コントロールであり、マキアベリの考え方とも似ていると思う。
この本を最後まで読んでみて思ったのは、この本がマキアベリの戦術をはるかに越え、究極の世界にまで踏み込んでいるように思えたこと、例えば「勢いと節目」「情報把握の重要性」「敵を欺き、一気に動く」「徹底的にやり過ぎない」「兵士の心理」そして「間諜、スパイの重要性」。短い行間に緻密な思想が詰め込まれている。
謀攻篇「五」 ここでは勝利を得るための方策を述べる。やはり謀り事ではないと思うが、まず勝つための五つの方策、①戦うタイミング、②大軍と少人数の両方を使いこなすこと、③指揮者から兵卒まで一体となること、④味方は準備万端、敵は油断していること、⑤将軍が有能で、君主は口出ししないこと、を述べる。後段は孫氏で最も有名な格言。
「彼れを知りて己れを知れば、百戦して殆うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れをしらざれば、戦う毎に必ず殆うし」
勢篇 「三」 ここで語られるのは「勢い」と「節目」。「激水の疾くして石を漂わすに至る者は勢なり。鷙鳥の撃ちて毀折に至る者は節なり」というのはどちらもスピードとパワーの集積、所謂モメンタムのことを指していると思われるが、「節目」の方には「其の節は短なり」「節は機を発するが如し」とあり、最良のタイミングを計って最短時間で到達することの重要性を説いている。これは戦争のみならず、あらゆるスポーツや人生においても、昔も今も未来においても真実だろう。重要な一節が見つかった。
虚実篇 「五」 ここは短い項で、「二」「三」「四」を受けて、敵情を把握する方法を述べる。それは①人数、②刺激による始動状況把握、③戦闘時の展開、④接触による過不足ポイント把握、ということ。遠方からの視察やスパイではなく、②や④により具体的に小規模の前哨戦を仕掛け、反応時間を測り、敵の強いところ、弱いところを把握する、というのは現代スポーツにも共通している。③はよく分からないが、戦闘時にどの場所でどんな戦闘隊形をとるのか推定するということだろうか。これも「二」「三」「四」を実践するためには不可欠で、誤れば敵に攻め込まれてしまうことになる。正しい情報の把握というのが孫子の兵法における、語られていない重要ポイントかもしれない。
「故にこれを策りて得失の計を知り、これを作して動静の理を知り、これを形して死生の地を知り、之に角れて有余不足の処を知る」
軍争篇 「三」 ここで孫子が述べる「軍争の法」とは、ヨーロッパの騎士道や日本の武士道などとはまるでかけ離れた、現実に直面したときに生き残るための方策、実践すべきガイドである。そこには正々堂々と名を名乗ったり、闘う前に口上を述べ立てたりすることは一切ない。まず詐を以て立ち(敵を欺くことを基本にし)、利を以て動き、分合を以て変を為す(ここぞというときに一気に動き、分散したかと思えば集合して変化を繰り返す)。疾きことは風の如く、徐(しずか)なることは林の如く・・・・・動かざることは山の如く、動くことは雷の震うが如く・・・・・権を懸けて而して動く(ものごとを秤にかけ、よく考えたうえで動く)。迂直の計を先知する者は勝つ(*)。ここも重要な一節。
「故に兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。故に兵の疾きことは風の如く、其の徐かなることは林の如く・・・・・・・動かざることは山の如く、動くことは雷の震うが如く・・・・・権を懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり」
(*)迂直之計とは、一見すると実用的に見えないが、実際は一番実用的なこと。「迂」は迂回すること、「直」は近道のことで、わざと回り道をすることで敵を油断させて、妨害を受けることなく先回りする兵法のこと。 (四字熟語)
九変篇 「二」 この短い文は、いわゆる例外規定なのだろうか。何事につけ、徹底的にやりつくしてはならない、必ず何か、手を付けずに残しておくことの重要性を説いていると思われる。これもまた、敵は二度と歯向かうことができぬよう、根絶やしに殲滅する、という考え方とは対極にある。
九地篇 「七」 最後に述べられている兵士の心理「囲まれたなら命じられなくても抵抗し、戦わないでおれなくなれば激闘するし、あまりにも危険であれば従順になる」というのは究極のものであろう。
用閒篇 「一」 ここで述べられるのはタイトルの通り、間諜、スパイの重要性について。たった1日の戦争をするため、十万の軍隊を遠征すると一日あたりの出費は多額におよび、そのために国内の農業にも影響が出る。だから、大軍の長期出兵にかけるコストよりも、「特別な間諜」を雇って敵情を探り、彼らに爵位や俸禄を与えた方が合理的という訳だ。「鬼神」とは占い、「事に象(かたど)る」とは過去からの類推、「度の験す」とは自然界の決まり、天文歴数にによる験し、は全て退けているが、過去からの類推は利用できるのでは?
p174 閒:間諜のこと。敵情をうかがうスパイについて述べる(注釈)
「人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり、先知なる者は鬼神に取るべからず、事に象るべからず、度に験すべからず。必ず人に取りて敵の情を知る者なり」
「六」 ここでは春秋時代に殷に仕えた伊摯(伊尹いいん)、周の呂牙(太公望呂尚)がそれぞれ敵国の夏、殷にスパイとして入り込んでおり、そのことが殷や周が敵国を滅ぼして天下を取った主因であると論ずる。「間諜こそ戦争のかなめであり、全軍がそれに頼って行動する」という考え方はやや極端に過ぎる感じがする。それは、間諜の従う行動基準、信義やモラルがいかにも不安定に思えるからだが、どうだろう。
SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS
はしがき 訳注の金谷治氏の前書きは、多種にのぼる孫子のどの原書を参照したかということ、注釈には専門家向けと一般向けの二種に分けたこと、そして解釈で特に参考にしたのは魏の曹操、唐の杜佑、わが荻生徂徠であることを記している。三国志では悪役の曹操は、たいへん優秀な政治家であり武将であったに違いない。荻生徂徠は戦国時代に生まれていたら、果たして孫子を読んでいたろうか。当時の日本の武将たちはみな孫子を読んでいたのかもしれないが、解釈まで踏み込んだ研究をする余裕は無かっただろう。
解説 最初に述べられるのは孫子の作者についてで、それは新資料の発見により変動してきているが、春秋時代の呉に仕えた孫武(前500年頃)が最初の著者であり、彼の著作に戦国時代の斉の孫臏(前340年頃)を含めた学派により、戦国時代に13編の原型がまとめられたというのが当時(1999年)の結論らしい。
次は孫子13編の特色が4ページにわたって述べられる。第一に、好戦的でないこと、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」。第二は、現実主義的なことで、ここに有名な「彼を知りて己を知れば百戦して殆うからず」がある。第三の、戦争に際して主導性を把握することの重要性とは、「善く守る者は九地の下に蔵れ、善く攻むる者は九天の上に動く」つまり「善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。善く守る者には、敵、其の攻むる所を知らず。微なるかな、微なるかな、無形に至る」ということで、これは敵を欺くことだが、敵のみならず味方をも欺くということらしい。これは老子の思想に近いとしているが、まあ、現代にいう情報コントロールであり、マキアベリの考え方とも似ていると思う。これら三つの特色には互いに矛盾するところもあると思われるが、そのあたりはどう捌くのだろう。「百戦して危うくない」ならば好戦的になるだろうし、「己を知る」ためには士卒との会話も重要だろう。要するに、いかに上手に士卒に情報を伝え、彼等の好意と士気を得ていくかという経営論のようなことか。
「将軍の事は静かにして以て幽く(ふかく)、正しくして以て治まる。能く士卒の耳目を愚にして、これをして知ることなからしむ」
解説の最後はなんと5ページにわたって、原本後に様々に加えられた注釈の説明。そのうちで最も優れていて、現在の「テクスト」のベースになっているのが魏の曹操が書いた「魏武注孫子」であるというのが驚きである。これら様々な注釈の解釈を集めた便利なものとして、宋の吉天保が集めた「十家注本」があり、本書の底本にこれを用いることにし、更に、新出土の「竹簡本孫子」などを加えたとある。わが国の注釈としては、林羅山、山鹿素行、新井白石、荻生徂徠、佐藤一斎、吉田松陰など多いが(みんな江戸以降なのがやや残念)、徂徠の「孫子国字解」が特に優れているとしている。
「孫子の注釈については・・・魏武注と十家注とが最も中心として拠るべきものである。とりわけて前者が最も古くてまた最も優れているが、唐の杜牧も『十に一を解せず』と言ったように、簡潔にすぎてわかりにくいところがある」
計篇 「一」で語られるのは「戦争を始めるかを決める前に、五つの事と七つの目算を熟慮すべき」ということで、五つの事とは道・天・地・将・法、七つの目算とは人心把握・将軍の能力・天と地の利・法令順守・軍隊の能力・士卒の訓練、であり、「七つの目算」を比較すれば、どちらが勝つかは自明ということ。戦争を仕掛けるのにはタイミングが重要であり、それは「天」に含まれるのだろうが、「天」がその他の要素の合計よりも勝っているなら、闘えということなのか? おそらく、タイミングは七つの目算の一つに過ぎないから、その他の要素を考えて「早まるな」ということなのだろう。「将軍の能力」「軍隊の能力」「士卒の訓練」は一まとめにしてもよさそうなものだし、「天」と「地」を一つにまとめてしまっているところにも恣意的なものが感じられる。
「孫子曰く、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。故にこれを経るに(はかるに)五事を以てし、これを校ぶるに(くらぶるに)計を以てして、其の情を索む(もとむ)。」
「二」 先の五事七計に従う将軍は採用し、そうでない将軍は使わないというのはあたりまえ、次の「勢い」を得るのに有利な計略を採用するというのは、どんな計略でも使うのではなく、戦いの趨勢に有利と思われるものに限定するということだろう。「権を制する」を「その場に適した臨機応変の処置をとる」と解しているのはずいぶんな意訳だとは思う。
「勢とは利によりで権を制するなり」
「三」 「兵とは詭道なり」を語るこの部分はマキアベリズムに通じる部分に思えるが、正々堂々と名乗りを上げて勝負する騎士道とはまるで正反対。王たる者は国民の生命と財産を守るためなら、敵対する者に対して詭道を策する、というのは先の米国大統領トランプ氏の手法そのものだが、情報が蔓延している現代にあってはこの孫子の教えも有効に機能しなかった。バイデン大統領は中国について「敵ではないが強力な競争相手」としており、「国際ルールのなかで激しくたたかう」と言うのは、実は「詭道」の一部、「能なるもこれに不能を示し」「強にしてこれを避け」「其の無備を攻め」る機会をうかがっているのかもしれない。日本はこの点については全く地に落ちてしまった。誰に対して「詭道」を使うのか? 最後に述べられている通り、「敵情に応じての処置であるから、出陣前にはあらかじめ伝えることができない」のであろう。
「兵とは詭道なり。故に能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、・・・・利にしてこれを誘い、・・・・・其の無備を攻め、其の不意に出ず。此れ兵家の勢、先には伝うべからざるなり」
「四」 「廟算して勝つ者は算を得ること多ければなり」における廟算とは開戦出兵に際して祖先の霊廟で画策し儀式を行うことらしいが、孫子はこの儀式をまるで神頼みとはしておらず、(解説は)先の五事七計に従って勝ち目が多いかどうかを図ることだ、としている。ここも、何をもって五事七計とするかで結果は違ってくるだろう。
「夫れ未だ戦わずして廟算して勝つ者は算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり」
作戦篇「一」 「凡そ用兵の法は・・・・・日に千金を費やして然る後に十万の師(軍隊)挙がる。其の戦いを用(おこ)なうや久しければ則ち兵を鈍(つか)らせ鋭を挫く・・・・・夫れ兵久しくして国の利する者は未だこれ有らざるなり」というのは、大軍を動かして戦争するときの兵站論、ロジスティックスである。しかし現実には城攻めするのに長期戦を取っている例も多い。これは豊臣秀吉のように、周囲に強力な支援組織が存在したからであろう。ロシアとベラルーシの戦争も、この孫子の論に従えば、ロシアは中国などの協力が得られなければ敗退することになる。表向きは分からないが、裏では協力しているのか?
「二」ここも兵站論。同じ人間を繰り返し徴兵しないこと、自国からの食糧補給は出陣時と凱旋時の2度だけで、その他は敵地で食糧補給すること、というのは、大量の兵士を用いる場合、現代でも同じだろう。ベトナム戦争では中流階級への徴兵に対する反対で米国は戦争継続できなくなった。「近師なるときは貴売す。貴売すれば則ち百姓は財竭く。財竭くれば則ち丘役に急にし・・・」のあたりは諸説あるようだが、本書の「近くでの戦争なら物価が高くなり・・・・民衆の蓄えが無くなり・・・村から出す軍役にも苦しむことになる」というのは論理的な解説だと思うが、最後の「故に智将は努めて敵に食む」と合わない。「近傍」というのは「自国でも敵地でもない近場で食糧を買う」ということでは?そうすれば明らかに物価は上昇する。近場の戦争においても敵から奪って食糧補給するのであれば、物価には影響しないだろう。
「善く兵を用うる者は・・・・用を国に取り、糧を敵に因る・・・・・・近師なるときは貴売す。貴売すれば則ち百姓は財竭く」
「三」 「敵を殺す者は怒なり。敵の貨を取る者は利なり」というのは、敵兵を殺してばかりいるのは馬鹿者で、敵の物資や兵を味方に引き入れてしまう方が有利である、ということではなかろうか。そうすることにより、最後の「是れを敵に勝ちて強を益すと謂う」につながる。
「敵を殺す者は怒なり。敵の貨を取る者は利なり」
「四」 ここは戦争の難しさを語っているのだろうか。「戦争は勝利を第一とするが、長引くのはよくない」というのは大きな矛盾であり、君主はどこかで長期戦を諦め、勝利を諦める決断をしなければならないということだろう。「兵を知るの将」は「戦争の利害をわきまえた将軍」ではなく、単に戦争好きな将軍ということでは。その将軍が勝利にこだわりすぎると、民や国家を危うくするということでは?
謀攻篇「一」 ここは前章をまさに引き継いでいる感がある。「凡そ用兵の法は国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ・・・・・・是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」というのは実によい言葉で、現代にもその通りにあてはまるが、なぜか「戦う」こと自体に目的をもつ病的な心理が存在し、まるで孫子とは別物である。こういう「好戦心理」はおそらく孫子の時代にもあったはずで、そういう君主や将軍は名誉のために民や国を犠牲にしたのだろう。マキアベリズムや孫子の合理的論理はこういう病的な好戦心理者を根本から排除するが、だからといってそういう者たちが歴史から消え去る訳ではない。もっと別の対抗策、処方箋が必要だ。
「凡そ用兵の法は国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ・・・・・・是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
「二」 ここで語られるのは二つ。一つは、物理的な戦闘、兵士を投入したり敵の城を攻めたりするのは良くない、他に方法が無いときの次善の策であるということ。二つ目は、謀り事による闘い、兵士を投入せずに敵兵を味方に引き入れ、城を攻めずに敵の城を手に入れるのが最善の策であるということ。謀り事の詳細については記述が少なく、「敵の陰謀を破る」「敵の他国との外交関係を破る」ことが挙げられているのみだが、物理的戦闘には準備期間がかかるデメリットを具体的に述べている。
「故に善く兵を用うる者は人の兵を屈するも而も戦うに非ざるなり。人の城を抜くも而も攻むるに非ざるなり。人の国を破るも而も久しきに非ざるなり。必ず全きを以て天下に争う。故に兵疲れずして利全くすべし。此れ謀攻の法なり」
「三」 「二」の諫めにもかかわらず、ここでは物理的な戦闘の方法を述べている。やむを得ない場合とはいえ、味方の兵力が敵の10倍なら囲み、五倍なら攻め、二倍なら敵を分断させるというのはえらく保守的で、被害を最小限にしたいのだろう。同数なら「能くこれと戦い」というのは策も何もないが、敵の方が多ければ退却もしくは隠れる、というのは、実際の戦闘では意外に難しいだろう(敵兵の数を正確に知ることは当時は難しかっただろう)。ウクライナに当てはめると、ウクライナ一国ではロシアに劣るが、西側諸国の支援があれば同等以上と考えているから戦っているのだろう。長引けば、プーチンは孫氏の兵法から見放されることになる。
「故に小敵の堅は大敵の擒なり」=小勢なのに強気ばかりでいるのは大部隊のとりこになるだけ
「四」 ここでは君主と将軍の話で、あまり謀り事とは関係ないと思う。語られているのは軍事に詳しくない君主への諫めであり、①軍隊を進めるか退くべきかの判断ができない、②軍隊の行政に詳しくない、③(①とほぼ同じだと思うが)軍隊の指揮ができない、のであれば、これらを将軍と共同で行うべきではない(つまり、将軍に一任すべきだ)ということ。
「三軍の事を知らずして三軍の政を同じうすれば、則ち軍士惑う。三軍の権を知らずして三軍の任を同じうすれば則ち軍士疑う。三軍既に惑い且つ疑うときは則ち諸侯の難至る。是れを軍を乱して勝を引くという」
「五」 ここでは勝利を得るための方策を述べる。やはり謀り事ではないと思うが、まず勝つための五つの方策、①戦うタイミング、②大軍と少人数の両方を使いこなすこと、③指揮者から兵卒まで一体となること、④味方は準備万端、敵は油断していること、⑤将軍が有能で、君主は口出ししないこと、を述べる。後段は孫氏で最も有名な格言。
「彼れを知りて己れを知れば、百戦して殆うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れをしらざれば、戦う毎に必ず殆うし」
形篇 「一」まず守りを固め、敵に攻め込む機会を伺う、という戦いの基本の整理だが、「味方を固めることはできても、敵に勝てる態勢をとらせることはできない」については異論がある。味方の体制整備というのは簡単ではないし、敵の体制を崩すのは現代では誰もが行っていることである。おそらく孫子の時代と比べて、現代はすさまじく情報伝達が進歩しているのだろう。一方、末尾にある「善く守る者は九地の下に隠れ、善く攻むる者は九天の上に動く」、つまり「どちらにしてもその態勢をあらわさない」というのはセキュリティを含め、現代においても最も重要な戦略要衝であろう。
「善く守る者は九地の下に隠れ、善く攻むる者は九天の上に動く」
「二」この章におけるキーワードは「衆人の知る所」と「善く戦う者の勝つや智名もなく勇功も無し」だろう。「一般の人々にも分かる」勝利の機会を利用したり、「天下の人々が立派だとほめる」ような戦い方は良くない、重要なのは、「ふつうの人では見わけのつかない」勝利の機会を捉えること、だから一般の人々には注目されず、名誉もなく、手柄もない。だが、全く世間に注目されない勝利に何の意味がある? 実際には、孫子の時代においても現代でも、この形篇二の教えに従わず、名誉のため、世間に認めてもらうために起こされた戦いは少なくないだろう。一方、孫子の教えの通りに行動し、世間には知られずに敵に打ち勝ち、生き抜いてきた者もいるに違いない。私もそういう一人になれるだろうか? 世間という判断基準がないから、多分に自己評価、自己満足ということになってしまうが・・・・・・。
「其の勝を措く所、已に(すでに)敗るる者に勝てばなり。故に善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり」
「三」 戦争のためには政治と軍制(道と法)が重要であるとする短い章。
「善く兵を用うる者は道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す」
「四」 これは戦場における物量、要員評価のことで、①戦場の広さと距離、②投入物量、③動員兵数、④敵味方の比較、⑤勝敗の検討、の五つを評価検討する。末尾の「勝兵は鎰(いつ=重い単位)を以て銖(しゅ=軽い単位)を称る(はかる)が若く、敗兵は銖を以て鎰を称るが若し」という例えはあまり正確とは言えない。軽いものを精緻に計量することが重要な場合もある。
「五」 これは、いよいよ最後の決着の時、戦闘経験のない民衆を大勢投入する場合の戦闘方法、あるいは注意事項なのではないか。戦ったことのない民衆を単に敵の前に並べてもおじけづくだけだろう。民衆を奮い立たせ、大勢が一致団結して猛スピードで突っ込んでいくことだけが、彼等の勝つ方法だろう。
「民を戦わしむるや、積水を千尋の谷に決するが(如き者は)形なり」・・・・「如き者」は不要では?
勢篇 「一」 ここでは四つの戦法が述べられる。①「分数」とは「部隊の編成」を工夫することで大軍を律すること、②「形名」とは「旗や鳴り物などの指令」で大軍を敏捷に戦わせること、③「奇正」とは「変化に応じた奇法と定石通りの正法の使い分け」、④「虚実」とは「充実した軍隊ですきだらけの敵をうつ」こと。現代における「組織論」「コミュニケーション」「臨機応変」「時期の見極め」というところか。
「兵の加うる所、磹(たん)を以て卵に投ずるが如くなる者は、虚実これなり」
「二」 ここでは正攻法と奇襲法について、そのどちらにも固執せず、適宜に変化し続けることを語り、その変化は四季や日月のように繰り返し、音階や色彩や味覚が調合により無限であるように、戦法もまた無限にあることを語る。「奇正の変は勝げて窮むべからざるなり。奇正の還りて相生ずることは、環の端なきが如し。執か能くこれを窮めんや」と戦法が無限に存在することを強調しているが、どうだろう。敵が圧倒的な武力を有している場合、情報が筒抜けの場合など、いくら戦法を駆使しても無駄だろう。あくまで相手との力関係が一定の範囲内にある場合に限られる。だが、打ち破るのは困難と思えるようなことであっても、囮を繰り出し、出てきたところにこちらの姿を見せ、戦略的に引いた敵を深追いせずに和議をもちかけ、油断したところで(敵の何かの不義を口実に)撃って出る、などの戦法は確かに無限に存在するだろう。勝とうと思えば、それに躊躇してはならぬということだ。
「凡そ戦いは正を以て会い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し」
「三」 ここで語られるのは「勢い」と「節目」。「激水の疾くして石を漂わすに至る者は勢なり。鷙鳥の撃ちて毀折に至る者は節なり」というのはどちらもスピードとパワーの集積、所謂モメンタムのことを指していると思われるが、「節目」の方には「其の節は短なり」「節は機を発するが如し」とあり、最良のタイミングを計って最短時間で到達することの重要性を説いている。これは戦争のみならず、あらゆるスポーツや人生においても、昔も今も未来においても真実だろう。重要な一節が見つかった。
「激水の疾くして石を漂わすに至る者は勢なり。鷙鳥の撃ちて毀折に至る者は節なり。是の故に善く戦う者は、其の勢いは険にして其の節は短なり。勢は弩を引くが如く、節は機を発するが如し」
「四」 ここは軍隊を勝たせるための留意点を述べる。一つは部隊の編成で、これを誤ると軍隊は乱れてしまう、二つ目は戦いの勢いで、これが得られないと軍隊は臆病に陥る。三つ目は形、戦闘隊形であり、これを誤ると軍隊は脆弱になってしまう。一つ目の、軍隊の規律を保つため、ごちゃまぜの軍勢にするのではなく、指揮命令系統を揃えた小部隊から中、大の部隊を編成するのは現代社会における組織論である。三つ目は現代における戦略論であり、目的を達するための戦略はもはやテクノクラート、データ分析、コンピュータ解析の分野となっている。唯一、二つ目の「勢い」は現代でも組織論化や戦略論化されておらず、スポーツ界において「モメンタム」「流れ」という言葉で表現され、ヒトの感情や無意識の衝動で起こるものかもしれない。
「五」 ここでは敵を欺いて動かし、機会を待つことを述べる。敵を意のままに操れば御しやすいということか。「利を以てこれを動かし、詐を以てこれを待つ」というのはいかにも待ち伏せ、だまし討ちという感じだが、まさにマキアベリズムの世界。陽動作戦ということか。
陽動作戦:牽制作戦とも呼ばれる。敵に味方の真の作戦企図についての判断を誤らせ,または困難にさせるような目立った行動を起し,そちらに敵の注意をひきつけて敵の防御体制をくずすことによって,味方の真の作戦目的の達成を容易にしようとする作戦 (コトバンク)
「六」 ここも「勢」つまりモメンタムの重要性が語られる。人材を探し求めるよりも、手持ちの人材の性格を把握し、性格に応じて勢いを与え、木石を転ずるように戦わせる。ハイになり、ゾーンに入ればいつもの何倍もの力が出せるだろう。それを人から引き出すことこそ重要であり、戦いに勝つ方法だ。
「人を戦わしむるや木石を転ずるが如し・・・・・善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞の山に転ずるが如くなる者は、勢いなり」
虚実篇 「一」 戦場に先に行くこと「実」であり、遅れると「虚」というのは分かりにくいが、主導権を握ることであると解説者は説明している。後段は分かりやすく、敵が「実」状態、つまり「佚」=くつろいでいたり、「飽」腹いっぱいだったり、「安」安心していることのないように策を講じ、敵を「虚」状態に陥らせることが重要と説く。ただしここには「実」「虚」という言葉は使われていない。
「敵佚すれば能くこれを労し、飽けば能くこれを餓えしめ、安んずれば能くこれを動かす」
p75 佚 イツ 1 抜けてなくなる。2 世間から抜け出す。3 気ままにのんびりする
「二」 ここでは敵が思いもよらない行動、戦法を取ることの重要性を説く。「千里を行きて労れざる者は無人の地を行けばなり」というのは現代でいうロジスティックスのことに違いない。「攻めて必ず取る者は其の守らざるところを攻むればなり。守りて必ず固き者は其の攻めざるところを守ればなり」というのは、戦略的なことを言っているのか? 最後の行が魅力的。「微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命を為す」というのは、敵が思いもよらないように行動し、音も無く動き回り、敵をコントロールしてしまうということだろう。
「千里を行きて労れざる者は無人の地を行けばなり・・・・・・微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命を為す」
「三」 ここでは効果的な攻撃、防御について述べる。敵のスキを突くこと、防御を固めている敵をそこからおびき出すこと、逆に守るときは防御を固めるのではなく、すばやく撤退すること、そして敵を誤った方向に誘導すること。これらは全て前項「二」に基づく方法であり、敵の考えの及ばないこと、防御を固めてじっとするのではなく、無形無声の境地で動き回るのだ。これはまさにゲリラ戦法ではなかろうか。
「進みて防ぐべからざる者は、其の虚を衝けばなり。退きて追うべからざる者は、速やかにして及ぶべからざればなり」
「四」 ここは長い項だが、敵の軍勢が数が多くても、いつどこを攻めるのか分からなくさせるなどの虚実の方法で敵を分断させ、分散により少数となった敵を大勢で攻める戦法を説く。もう一つは、いつどこを攻めるかをあらかじめ決めておくことができれば、遠方からの援軍を効果的に活用できるということ。これもまたロジスティックスの一つであろう。
「故に人を形せしめて我に形なければ、則ち我は専まりて敵は分かる・・・・故に戦いの地を知り戦いの日を知れば、則ち千里にして会戦すべし」
「五」 ここは短い項で、「二」「三」「四」を受けて、敵情を把握する方法を述べる。それは①人数、②刺激による始動状況把握、③戦闘時の展開、④接触による過不足ポイント把握、ということ。遠方からの視察やスパイではなく、②や④により具体的に小規模の前哨戦を仕掛け、反応時間を測り、敵の強いところ、弱いところを把握する、というのは現代スポーツにも共通している。③はよく分からないが、戦闘時にどの場所でどんな戦闘隊形をとるのか推定するということだろうか。これも「二」「三」「四」を実践するためには不可欠で、誤れば敵に攻め込まれてしまうことになる。正しい情報の把握というのが孫子の兵法における、語られていない重要ポイントかもしれない。
「故にこれを策りて得失の計を知り、これを作して動静の理を知り、これを形して死生の地を知り、之に角れて有余不足の処を知る」
「六」 ここでは戦いの極意「無形」について述べる。味方の形、体制や戦術・戦法が分からなければ、敵のスパイも軍師も対応できない。一般の人々にもいったいどうやって勝ったのかが分からない。同じ体制、戦術・戦法を繰り返さない、というのは、本当にそうするのか、それとも、その中身が分からないのだから繰り返しているかどうか分からないということか?
「故に兵を形すの極は無形に至る。無形なれば則ち深間も窺うこと能わず、智者も謀ること能わず。・・・・人皆な我が勝の形を知るも、吾が勝を制する所以の形を知ることなし。故に其の戦いに勝つや復さずして形に無窮に応ず」
「七」 ここは前6項とやや趣が異なり、臨機応変について語る。前項までは「無形」により相手を惑わせ、戦術を悟られないことを説いていたが、ここでは相手の形・出方に応じて味方の形を変えることを説く。前項までの主体的なゲリラ戦術に対し、7項は受動的な戦術と言えるが、それでも「敵に因りて変化して勝を取る者、これを神という」と重要性を説き、手持ちの戦術がいくつあろうと「五行に常勝なく四時に常位なく、日に短長あり、月に死生あり」と、最善の戦術は相手により、時により変化すると説く。
「能く敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。故に五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短長あり、月に死生あり」
軍争篇 「一」 ここでは前章で勝つための極意と説いた「虚実」「無形」の戦法の実践、則ち「軍争」が現実には非常に難しいことを語る。敵を欺くために軍隊を速く移動させようとしても無理があり、鎧兜を捨てて走れば戦場で不利になり。食糧や財貨を持たずに走っても同様。では、どうしろというのだ?
「軍争は利たり、軍争は危たり、軍を挙げて利を争えば則ち及ばず、軍を委てて利を争えば則ち輜重捐てらる。軍に輜重なければ則ち亡び、糧食なければ則ち亡び、委積(財貨)なければ則ち滅ぶ」
「二」 ここも戦争の難しさを語るが、前後との脈絡が欠けているらしく、解説では「九地篇」の錯簡ではないかと書いている。ここで述べられるのは、敵の真意や地形を知らず、案内人を雇えなければ困ったことになるということ。
「諸侯の謀を知らざる者は預め交わること能わず。山林、険阻、沮沢の形を知らざる者は軍を行ること能わず。郷導(道案内)を用いざる者は地の理を得ること能わず」
「三」 ここで孫子が述べる「軍争の法」とは、ヨーロッパの騎士道や日本の武士道などとはまるでかけ離れた、現実に直面したときに生き残るための方策、実践すべきガイドである。そこには正々堂々と名を名乗ったり、闘う前に口上を述べ立てたりすることは一切ない。まず詐を以て立ち(敵を欺くことを基本にし)、利を以て動き、分合を以て変を為す(ここぞというときに一気に動き、分散したかと思えば集合して変化を繰り返す)。疾きことは風の如く、徐(しずか)なることは林の如く・・・・・動かざることは山の如く、動くことは雷の震うが如く・・・・・権を懸けて而して動く(ものごとを秤にかけ、よく考えらうえで動く)。迂直の計を先知する者は勝つ(*)。ここも重要な一節。
「故に兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。故に兵の疾きことは風の如く、其の徐かなることは林の如く・・・・・・・動かざることは山の如く、動くことは雷の震うが如く・・・・・権を懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり」
(*)迂直之計とは、一見すると実用的に見えないが、実際は一番実用的なこと。「迂」は迂回すること、「直」は近道のことで、わざと回り道をすることで敵を油断させて、妨害を受けることなく先回りする兵法のことから。 (四字熟語)
「四」 ここでは「三」よりも更に細かい話が語られ、「金鼓・旌旗なる者は人の耳目を一にする(鳴り物や旗の類いは兵士たちの耳目を統一する)・・・・・紛紛紜紜、闘乱して乱るべからず、渾渾沌沌、形円くして敗るべからず(乱れに乱れた混戦になっても乱れず、曖昧模糊で前後が分からなくても打ち破られない)・・・・・其の鋭気を避けて其の惰帰を撃つ・・・・・近きを以て遠きを待ち・・・・・飽を以て飢を待つ・・・・・正々の旗を迎うることなく、堂々の陣を撃つことなし。此れ変を治むる者なり」と論ずる。太鼓や旗で自軍を統率することで即、混戦になっても乱れず、曖昧模糊でも破られない、というのは言い過ぎで、太鼓や旗に加えてかなりの訓練を積む必要があるだろう。後半の、敵の油断しているとき、敵が遠方からやってくるのを近くで待ち受け、腹をすかしている敵を打ち、正々堂々とした敵とは戦わない、というのはどれも正確な情報収集が要となる。誤った情報に基づいて行動するとたちまち敗れるだろう。なお、p100にある2行は九変篇の初めに置くべきとしているので、その注釈に従う。
「金鼓・旌旗なる者は人の耳目を一にする・・・・・紛紛紜紜、闘乱して乱るべからず、渾渾沌沌、形円くして敗るべからず・・・・・其の鋭気を避けて其の惰帰を撃つ・・・・・近きを以て遠きを待ち・・・・・飽を以て飢を待つ・・・・・正々の旗を迎うることなく、堂々の陣を撃つことなし。此れ変を治むる者なり」
九変篇 (冒頭部分は混乱があるようなので省略)「一」 ここで孫子が用兵の法として挙げている九つは興味深い。①高陵の敵を攻めるな、②背丘の敵を攻めるな、③絶地(険しい地形)には留まるな、④佯北(偽りの退却)を追いかけるな、⑤鋭卒は攻めるな、⑥餌兵(おびきだし)に食らいつくな、⑦帰師(母国に帰る敵)を引き留めるな、⑧囲師(包囲した敵)には必ず逃げ口をあけよ、⑨窮寇(進退窮まった敵)を追い詰めるな、という指針のなかに読み取れるのは、有利な環境にいる敵には向かわないこと、また、敵の計略に乗らないことであり、一方、敵を全滅させたり徹底的に滅ぼすのではなく、敵が恐れをなして逃げていくよう、母国に引き上げるようにすることを説く。味方の被害を最小限に抑え、敵を一網打尽にするのではなく、逃げ帰っていくようにする。これこそが最善の闘い、共存共栄にもつながる方策であるに違いない。逃げ帰った敵はいずれ、味方にすればよいのだから。
「高陵には向かうこと勿れ、背丘には逆うること勿れ、絶地には留まること勿れ、佯北には従うこと勿れ、鋭卒には攻むること勿れ、餌兵には食らうこと勿れ、帰師には遏むること勿れ、囲師には必ず闕き、窮寇には迫ること勿れ、此れ用兵の法なり」
「二」 この短い文は、いわゆる例外規定なのだろうか。何事につけ、徹底的にやりつくしてはならない、必ず何か、手を付けずに残しておくことの重要性を説いていると思われる。これもまた、敵は二度と歯向かうことができぬよう、根絶やしに殲滅する、という考え方とは対極にある。
「塗(みち)に由らざる所あり。軍に撃たざる所あり。城に攻めざる所あり。地に争わざる所あり。君命に受けざる所あり。」
「三」 ここは九変の重要性を説く。戦場の地形が分かっていてもそれを有効活用できないというのは、いかに見方が有利な情勢になっても、敵をとことんまで追い詰めたり、逃げる敵を深追いしてはならぬということだろう。兵を統率でき、「二」に言う五つの利が分かっていても、なお兵を有効活用できないというのは、「二」にあって「一」に無い、③絶地(険しい地形)には留まるな、④佯北(偽りの退却)を追いかけるな、⑥餌兵(おびきだし)に食らいつくな、のあたりが分からなければいけないということか。
「九変の利に通ずる者は用兵を知る。九変の利に通ぜざる者は地形を知ると雖も地の利を得ること能わず。兵を治めて九変の術を知らざる者は五利を知ると雖も人の用を得ること能わず」
「四」 ここは九変の利や「二」の五利が利益を与えてくれる理由を述べているのだろうか。つまり、九変の利や五利は一見不利に見えるが、そうしなければ更に大きな不利益を招く恐れがあるということ。だから、九変の利では「勿れ」と命令口調だが、実際には損得、利害をよく考えたうえで判断せよということなのだろう。
「智者の慮は必ず利害に雑(まじ)う。利に雑(まじ)りて而ち務めは信(まこと)なるべきなり。害に雑(まじ)りて而ち患いは解くべきなり」
「五」 ここでは九変の外交への応用を述べていて、敵国が不利に陥るような情報を流し、こちらの利益になることを敵にやらせるように仕向け、敵が無駄なことにエネルギーを無駄遣いするようなエサを仕掛ける。高等外交戦術ともいえるが、現代でいえばCIAやKGBのような諜報機関が行うようなことだろう。
「諸侯を屈する者は害を以てし、諸侯を役する者は業を以てし、諸侯を趨(はし)らす者は利を以てす」
「六」 ここは、いつ攻めてくるか分からない敵に対する備えを論じる。それは、敵が来ないこないことに頼るのではなく、備えを固めることに頼ること。更に、敵が攻めてこないことに頼るのではなく、こちらを攻めることは不可能にしておくことに頼ること。スキを見せず、十分な防備を固めておくことは、現代のハードおよびソフトの財産保護に欠かせない。
「用兵の法は、其の来たらざるを恃むこと無く、吾の以て待つ有ることを恃むなり。其の攻めざることを恃むことなく、吾が攻むべからざる所あるを恃むなり」
「七」 ここでは注意すべき五つの過ちについて述べる。無謀すぎる攻撃、生きることに執着しすぎること、短気で激しやすいこと、清廉潔白にすぎること、兵をいたわりすぎること。これらは指揮官の過失である。これは個人としての考え方ではなく、集団、軍隊、国の保全を優先した考え方であり、個人の名誉や命、心地よさなどは重視しないということ。最後の点については、現代の軍隊においては兵隊の家族などからの要求が大きく、状況は変わっていると思われる(ベトナム戦争終結の背景には、徴兵制で息子たちを戦場に送られることを恐れた米国中産階級の反対があったと言われている)。
「必死可殺也、必生可虜也、忿速可侮也、廉潔可辱也、愛民可煩也、凡此五者、将之過也」
行軍篇 「一」 ここでは四つの異なった地勢における戦いの注意点を挙げている。山越えをするときは谷筋を行くが、山では敵より高い位置を確保する。川では渡渉点からすぐ遠ざかり、渡っている敵は分断させ、やはり上流や高い位置を確保する。沼沢地は速やかに通過すべきだが、留まる場合は森林を背にして水草の中(標高の高い森林を背にするが、水草の前が低いかは書いていない)。平地では足場のよいところを確保し、低地を前にし、高地を背にする。これは白兵戦の陣形なので、現代ではほとんど意味がないが、山越えのときに谷筋を行くこと、沼沢地は速やかに通過すること、平地では足場のよいところを選ぶというのは、登山のときの鉄則でもある。
「山を絶つには谷に依り・・・・水を絶てば必ず水に遠ざかり・・・・・斥沢を絶つには惟だ亟(すみやか)に去って留まること無かれ・・・・・平陸には易に拠りて而して高きを右背にし、死(低地)を前にして生(高み)を後にせよ・・・・・」
「二」 ここは軍隊の駐留地とすべき場所を論ずる。それは標高が高く、日当たりが良く、過ごしやすく食物のあるところ。そうすれば病気を防げ、勝利を呼び込める。孫子は日当たりにこだわり、日当たりのよいところで、かつそれを背にすると説く。現代でも疫病回避や水・食糧の確保は重要だが、環境については機械的、人工的に制御できるようになっている。
「凡そ軍は高きを好み下(ひく)きを悪(にく)み、陽を貴びて陰を賤しみ、生を養いて実に処(お)る。是を必勝と謂い、軍に百疾なし」
「三」 ここは降雨の際、渡渉を見合わせよという注意。現代の登山でも重要な注意点。
「上(かみ)に雨ふりて水沫至らば、渉らんと欲する者は、其の定まるを待て」
「四」 ここは避けるべき地形を六つのべているが、どれも周囲が囲まれたゴルジュや穴のような狭い地形、もしくは草木(灌木?)や泥沼で身動きしにくい地形。現代でもゲリラ戦などでは重要だろうが、航空機やミサイル、大砲や銃の戦いでは、こういう地形に隠れることが必要もしくは有利なこともあると思われる。
「凡そ地に絶澗(ぜっかん)・天井(てんせい)・天牢・天羅・天陥・天隙あらば、必ず亟(すみやか)にこれを去りて近づくことなかれ」
「五」 ここでは伏兵が潜んでいる可能性のある地形について、慎重に調査するよう論ずる。現代でも同様だが、レーダーやソナー、その他の走査機器が存在するので、調査方法は格段に進歩している。
「軍の旁(かたわら)に険阻・潢井(こうせい)・葭葦(かい)・山林・蘙薈(えいわい)ある者は、必ず謹んでこれを覆索(ふくさく)せよ、此れ伏姦の処る所なり」
「六」 ここでは目視による状況判断の事例を挙げており、遠くにいる敵がこちらを煽っているのは誘い込もうとしている、楽に攻め込めそうなところに陣を張っているのは罠である、という戦略は今でも同じだろう。一方、木々がざわめくのは敵の来襲、鳥が飛び立つのは伏兵、土煙が立っているのは戦車の来襲、なども現代のゲリラ戦などでは実戦的なのかもしれない。
「敵遠くして戦いを挑む者は人の進むを欲するなり・・・・其の居る所の易なる者は利するなり・・・・衆樹の動く者は来るなり・・・・鳥の起つ者は伏なり・・・・塵高くして鋭き者は車の来るなり・・・」
「七」 ここも目視による状況判断だが、敵の仕掛けてくる策略を神経質なまでに予測している。へりくだった態度で守備を増強してくるのは攻撃してくる予兆、逆に、強気の態度で今にも攻めてきそうなときは退却する前触れ、戦況は悪くないのに講和を申し出てくるのは陰謀の予兆、半分が攻め込んでくるのに半分は退却しているのも誘い込もうとする策略、などと論ずる。一方、奔走して兵士を整列させているのは決戦の準備、というのは状況通りの解釈。読み過ぎて間違えそうな気もするが、そこまで気をつけろということ、逆にこんな策略を採用することも考えられる。現代でも通用する兵法だろう。
「辞の卑(ひく)くして備えを益す者は進むなり。辞の強くして進駆する者は退くなり・・・・・約なくして和を請う者は謀なり。奔走して兵を陳(つら)ぬる者は期するなり。半進半退する者は誘うなり」
「八」 ここは相手の軍隊の目視による判断。兵士たちが杖に頼っているのは飢えている徴候、水を汲んだ者がすぐそれを飲んでいるのは水を持っていない徴候、優勢なのに攻めてこないのは疲弊している徴候、鳥が集まっている陣には敵兵はいないことの徴候、夜間に話し声が聴こえるのは敵兵が恐がっている徴候、敵陣が騒がしいのは将軍の統率能力が無いという徴候。やや難しいのは、馬に兵糧米を食べさせ、兵士には肉食させ、鍋釜を打ち壊しているのは死に物狂いの徴候、諄諄翕翕(じゅんじゅんきゅうきゅう)として兵士と話しているのは困っている徴候、などなど。しきりに賞品を兵士に与えるのは困っている徴候、初めに罰しておきながら後に兵士たちの離反を恐れるというのは不祥の至り、というのはよく分かる。これらも現代で通用する兵法だと思う。
「杖つきて立つ者h飢うるなり。汲みて先ず飲む者は渇するなり。利を見て進まざる者は労(つか)るるなり。鳥の集まる者は虚しきなり。・・・・馬に粟(ぞく)して肉食し、軍に懸缻(けんふ)なくして其の舎に返らざる者は窮寇なり。諄諄翕翕(じゅんじゅんきゅうきゅう)として徐(おもむろ)に人と言(かた)る者は衆を失うなり。数々(しばしば)賞する者は窘(くる)しむなり。・・・先に暴にして後に其の衆を畏るる者は不精の至りなり。」
「九」 ここでは兵士と民衆の統率方法が述べられる。(1)兵は多数で突撃するのではなく、協力し合って敵を計略にかけることで勝てる。敵を侮れば負ける。(2)兵士は指導者に親しみをもっていなければ従わず、親しみをもっていても懲罰が無ければ戦わせることはできない。よって、文(恩賞制度)で従わせ、武(刑罰制度)で戦わせる。これを「必取」という。(3)もともと法令順守されているところであれば、法令で民衆を従わせることができるが、法令のないところの民衆を法令で従わせることはできない。それでも、法令順守していけば民衆を従わせることができる。解説では(3)も兵士の統率にしており、最後の部分は「法令が平生から誠実なものは民衆とぴったり心が一つになっている」と訳しているが、違和感あり。
「兵は多きを益ありとするに非ざるなり・・・・力を併わせて敵を料らば以て人を取るに足らんのみ・・・・卒未だ親附でざるに而もこれを罰すれば則ち服せず・・・・卒巳(すで)に親附せるに而も罰行われざれば則ち用うべからざるなり。故にこれを令(解説は「合」に代えているが、違和感あり)するに文をもってし、これを斉(ととの)うるに武を以てする、これを必取と謂う・・・・・・令、素より行われて以て其の民を教うれば則ち民服す。令、素より行なわれずして以て其の民を教うれば則ち民服せず。令の素より信なる者は衆と相い得るなり」
地形篇 ここでは6通りの地形に応じた戦い方が述べられる。①開けた地形の場合、高い位置、糧道を確保することで勝てる。②障害のある地形の場合、敵に備えが無ければ攻め込んで勝てるが、敵に備えがあれば勝てない。③道が分かれている地形では攻め込んではならない、敵が攻め込むのを待つべき。④狭い地形の場合、敵より先に十分な兵力を投入しておけば勝てる。⑤険しい地形の場合、敵より先に入って高所で待つべき、敵が先に入っているなら攻めるべきでない。⑥遠く離れた地形の場合、同等の兵力ならば攻め込む方が不利となる。ウクライナ戦争にあてはめると、ロシアは②に従い、要塞を持つウクライナには備えが不十分とみて攻め込んだが、西側諸国が大量の支援を継続したため、「敵に備えがあれば勝てない」状況に変わってしまったことになる。状況判断自体が実戦では変動するということだ。
「孫子曰く、地形には、通ずる者あり、挂(さまた)ぐる者あり、支(わか)るる者あり、隘(せま)き者あり、険なる者あり、遠き者あり・・・・挂ぐる形には敵に備えなければ出でてこれに勝ち、敵若し備えあれば出でて勝たず、以て返り難くして不利なり・・・・」
「二」 ここで述べられるのは(地形についてではなく)兵士の統率がとれない6通りの状況である。①勢いは同等なのに10倍の数の敵を攻めさせれば、兵は逃亡する。②兵士は強いが軍吏が弱ければ軍の統率は緩む。③軍吏は強いが兵士が弱いのでは軍は陥る。④軍吏が将軍に従わず、軍吏の判断で敵と戦う一方、将軍が軍吏の能力を知らなければ、崩れる。⑤将軍が弱く、厳しさが無く、軍吏や兵士を統率できなければ、乱れる。⑥将軍が敵情を調べることができず、少数で多数を攻め、弱勢で強者を攻めれば、負けて北(に)げる。兵士を統率するための軍吏の存在、重要性を指摘している点は注目に値する。現代でも同様であろう。だが、兵士と軍吏の中間的な役割の者もいるだろう。⑥に言う敵情把握は孫子が何度も繰り返している戦略上の最重要事項であろう。
「故に、兵には、走る者あり、弛む者あり、陥る者あり、崩るる者あり、乱るる者あり、北(に)ぐる者あり。凡そ此の六者は天の災いに非ず、将の過ちなり」
「三」 ここで述べられているのも地形はサブ・テーマであり、戦闘の情勢判断を下す将軍の役割がテーマのようである。則ち、地形を含めて「勝てる」状況であれば、君主が不戦を求めても戦うべきである「必戦可也」。逆に「勝てない」状況であれば、君主が戦えと命じても、戦うべきではない「無戦可也」。こうして民を保ち、結果的に君主の利に沿う行動は国家の宝である「國之寶也」と言い切っているが、この論理には同意できない。将軍の状況判断が正しいとは限らないし、勝てないと分かっていても戦わなくてはならないこともあるだろう。たとえこの将軍の考えた通りになったとしても、民も君主も感謝しないのではなかろうか。
「故に戦道必ず勝たば主は戦う無かれと曰うとも必ず戦いで可なり。戦道勝たずんば主は必ず戦えと曰うとも戦う無くして可なり・・・・唯だ民を是れ保ちて而して利の主に合うは国の宝なり」
「四」 ここは将軍の兵士に対する日常の接し方と戦時の指揮が述べられる。孫子は兵士たちに赤ん坊のように、わが子のように接すべきと言い、それにより危難を共にし、生死を共にできるようになると言う。だが、兵士たちに危険な命令を出さずに甘やかしていれば、兵士たちは役立たずになるだろう。これは戦時においては正しいとして、平和な時代においてはどうなるのだろう。災害やテロ対応などで危険なところに部下を送り込むときの自衛隊、警察隊や消防隊には当てはまるだろう。一方、このために戦争を起こすようなことは本末転倒だろう。
「卒を視ること嬰児の如し、故にこれと深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故にこれと倶に死すべし。」
「五」 ここでは戦う前の三つの状況判断が述べられる。一つは味方の兵士の攻撃能力、二つは敵の防衛能力、三つは戦場の地形および気象の状況であり、これらのどれか一つでも把握できていなければ勝つには不足であり、三つとも把握していれば必ず勝てるとする。これは謀攻篇第五の「彼を知りて己を知れば百戦して殆うからず」の教義に計篇第一の「五事」のうちの二つ「天」と「地」を加えている。世に広く知られた謀攻篇第五の教義が実はそれだけでは足りないということを、孫子自身が同じ経典の他の箇所で示しているのはやや混乱するが、この教義に盛り込むべき必要事項を細かく挙げていけばきりがないため、最も簡素化した教義が謀攻篇第五ということなのだろう。
「兵を知る者は動いて迷わず、挙げて窮せず。故に曰く、彼を知りて己を知れば勝乃(すなわ)ち殆からず。地を知りて天を知れば勝乃ち全うすべし」
九地篇 「一」 ここで述べられているのは戦場の性質・性格に合わせて戦い方を変える必要があるということであり、散地(自国の中)では戦ってはならず、軽地(敵地に入ったばかりの場所)には留まってはならず、争地(先に奪った方が有利な場所)を先に奪われていれば攻撃してはならず、交地(往来の便利な場所)ならば隊列を切り離さないようにし、衢地(四通八達の中心地)ならば諸侯と外交を結び、重地(敵地に深く入り込んだ場所)ならば掠奪し、圮地(ひち)(軍を進めにくい場所)ならば通り過ぎ、囲地(囲まれた場所)ならば謀略を巡らし、死地(力の限り戦わなければ負ける場所)では激戦すべきとする。周囲の状況に合わせて臨機応変に対処すべしというのに近いが、「状況」とうのは時と共に時代の変遷に応じて変わるから、孫子の指摘も現代に合わせて応用すべきだろう。
「散地には則ち戦うこと無く、軽地には則ち止まることなく、争地には則ち攻むることなく、交地には則ち絶つことなく、衢地(*)には則ち交を合わせ、重地には則ち掠め、圮地(ひち)には則ち行き、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う」
(*)「衢地(くち)」とは、3国以上がひしめき合う要所である
「二」 ここでは敵を混乱させることの利を語る。敵の内部連絡を妨げ、敵の相互協力を妨げ、敵部隊を離散させ、集合していても体制を崩す。その上で、有利な状況を作りだしてから戦闘に移る。不利な状況なら戦闘は避ける。これはつまり、戦争を始める前に勝つための策(つまり行動)を行うことを意味し、その策が不首尾なら戦争はしないことになる。ロシアも諸策を講じ、「勝てる」と考えたからウクライナに攻め込んだに違いない。だが、ロシアの予想を上回ってウクライナは(一度は崩れた)内部連絡や相互協力を確保し、西側諸国の(インフレを起こすほどの)破格の支援を得て部隊を整え、反撃してきた訳だ。プーチンはそこまで見通すことができなかったのか。
「古(いにしえ)の善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相及ばず、衆寡相い恃まず、・・・・上下相い扶けず、卒離れて集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる」
「三」 ここもまた、準備の整った敵との四つに組んだ戦闘は避け、敵の大切にしているものを奪い、敵の隙をつき、守りの薄いところを攻めよと説く。ここまでくるともうゲリラ戦法。なんでもありの世界になってしまうと思うが、どうだろう。
「先ず其の愛するところを奪わば、則ち聴かん。兵の情は速を主とす。人の及ばざるに乗じて不虞の道に由り、其の戒めざる所を攻むるなり」
「四」 ここでは前項までの計略の話からまるで変り、「客たるの道」すなわち敵国深く攻め込むことにより自軍の兵士たちの士気高揚を図り、食糧確保する方策を説く。だが、自軍の兵士を闘うしかない状況に追い込むことにより、「死すとも且(は)た北(い)げず・・・・士人、力を尽くす・・・・兵士は甚だしく陥れば則ち懼れず・・・・已むを得ざれば則ち闘う」ように仕向けるのは、今なら非人道的な行為だろう。このようにして追い込んだ兵士たちが「涕襟を潤し、偃臥する者は涕頤に交わる。これを往く所なきに投ずれば、諸・劌(かい)の勇なり」という部分はいわゆる刺客のことらしい。現代でもスパイや秘密捜査官などはこういう仕事を表には一切でない世界で遂行しているのだろう。
「凡そ客たるの道、深く入れば則ち専らにして主人克たず。饒野に掠むれば三軍も食に足る・・・・・これを往く所なきに投ずれば、死すとも且(は)た北(に)げず・・・・士人力を尽くす・・・・兵士は甚だしく陥れば則ち懼れず・・・・・已むを得ざれば則ち闘う・・・・・令の発するの日、士卒の座する者は涕襟を潤し、偃臥する者は涕頤に交わる。これを往く所なきに投ずれば、諸・劌(かい)の勇なり」
・諸は専諸のこと。呉の公子光のために呉王の僚を刺殺した。劌は曹劌のこと。魯の荘公に仕え短刀で大国斉の桓公をおびやかした
「五」 ここでは優秀な軍隊の譬えとして率然(そつぜん)という蛇を挙げ、軍隊のどこかを攻められると他の部分が直ちに救援する。そういう率然のような行動を軍隊に取らせるには、陣固めのようなことでは足りず、号令や役割分担などの行動基準の整備が必要であり、更に、状況に応じた兵士の適正配置が重要、ということ。ここでも最後に「(戦うしか)已むをえざらしむ」ことが剛柔な兵士たちを等しく働かせることだとしている。前項「四」と同じく人を動かす方法。
「故に善く兵を用うる者は率然の如し・・・・其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。・・・・・勇を斉えて一の若くにするは政の道なり。剛柔皆な得るは地の理なり」
「六」 ここも人を動かす方法を述べ、将軍の仕事とは、計略の情報をコントロールして兵士たちにも知らせず、命令の通りに軍隊を動かすこと、大軍を危険な戦地に送り込むことであるとする。確かに生命の危険があるところに人を送り込むのだから、平凡な言い方では兵士は動かないだろう。兵士たちが勇敢に戦えるように、戦うことに没頭できるようように命令してやることが将軍の重要な役割なのだろう。
「其の事を易(か)え、其の謀を革(あらた)め、人をして識ること無からしむ・・・・三軍の衆を聚めてこれを険に投ずるは、此れ将軍の事なり」
「七」 ここは脚注二にあるとおり、「一」「四」と内容が重複しており、論じられているのは敵国に攻め込んだときの方策であり、九つの状況「九地」に応じた方策が述べられるが、「絶地」とうのは脚注一の荻生徂徠の注釈の通り、「散地」以外の八地を言うのだろう。最後に述べられている兵士の心理「囲まれたなら命じられなくても抵抗し、戦わないでおれなくなれば激闘するし、あまりにも危険であれば従順になる」というのは究極のものであろう。
「故に兵の情は、囲まるれば則ち禦ぎ、已む得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う」
「八」 ここは軍争篇と重複しているとあるが、論じられているのは「覇王」則ち「諸侯の旗頭として天下の秩序を維持する者」のことで、他国の情勢、地理、卿導(案内役)の三つが覇王の条件としながらも、大国を破ってしまえば、この三つの条件が無くとも各国は従うというのは、戦争だけでなく、現代の経済やスポーツなどでも同じだろう。最後に述べているのは、ルール無視の報償や命令で軍隊を動かし、かつ都合の良い情報しか与えず、死地に送り込むという犯罪まがいの行動だが、そういう八方ふさがりの状況になってはじめて人(軍隊)は生き延び、勝つことができる、というのは案外、生存競争そのものの原理なのかもしれない。残り30p。
「夫れ覇王の兵、大国を伐つときは則ち其の衆、聚まることを得ず・・・・・是の故に天下の交を争わず・・・無法の賞を施し、無政の令を懸くれば、三軍の衆を犯(もち)うること一人を使うが如し・・・・これを犯うるに利をもってし、告ぐるに害を以てすること勿れ。これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて然る後に能く勝敗を為す」
「九」 ここでは敵国に攻め込むときの要点を論じているが、論理が不明確。前段の「敵の意図を把握し、千里のかなたで敵の将軍を打ち取る」というのは、長期戦に持ち込むということか? 中段の「開戦中の敵との出入りを封鎖し、人の往来を止める」というのは通常の手順だろう。後段の「敵の隙を突き、敵の重視しているところを攻め、時が来れば一気呵成に攻める」というのはそのとおりだが、前・中・後段のつながりがない。
「敵人開闔(かいこう)すれば必ず亟(すみやか)にこれに入り、其の愛する所を先にして微(ひそ)かにこれと期し、践墨(せんもく)して敵に随(したが)いて以て戦事を決す。是の故に始めは処女の如くにして、敵人、戸を開き、後は脱兎の如くにして、敵、拒(ふせ)ぐに及ばず」
火攻篇 「一」 ここでは火攻めを仕掛ける時の具体的な方法および時期等の注意点を論ずる。五通りの火攻めというのは方法ではなく対象のことだが、「乾燥したとき」「風の起こる日」というのは論理的。
「火を発するには時あり、火を起こすに日あり。時とは天の燥(かわ)けるなり。日とは月の箕・壁・翼・軫(しん)*に在るなり」
*太陽の通る赤道を28に区分した28宿の中の4宿星で、和名「み」(東北方)、「なまめ」(西北方)、「たすき」(東南方)、「みつうち」(東南方)にあたる
「二」 ここでは前章とは異なる「五通りの火攻めの方法」を論ずる。(1)敵陣内での放火が成功したら即攻撃、(2)ただし、放火にもかかわらず敵の動揺がなければ、様子を見る、(3)外部から火攻め可能なら、適宜実施、(4)風上で火が燃えているときは風下を攻めてはならない、(5)日中に強風が続いた時は夜間は風が止むと見て火攻めを中止する。ずいぶん具体的な実践編だが、攻撃目標の状況を把握しつつ次の策を練るという点は今でも通用するだろう。
「火の内に発するときは則ち早くこれに外に応ず。火の発して其の兵の静かなる者は、待ちて攻むること勿く、其の火力を極めて従うべくしてこれに従い、従うべからざるしてこれを止む。火 外より発すべくんば、内に待つことなく時を以てこれを発す。火 上風に発すれば、下風を攻むること無かれ。昼風の久しければ夜風には止む。」
「三」 この短い章では火攻めと水攻めの違いを語る。火攻めは知恵の産物だが、水攻めには兵力が必要で、時間がかかるということだから、効率の点では火攻めということらしい。
「故に火を以て攻を佐くる者は明なり。水を以て攻を佐くる者は強なり。水は以て絶つべきも、以て奪うべからず」
「四」 ここは注釈にあるとおり火攻めとは関係なく、戦闘というものの考え方の総括である。テーマは「費留(ひりゅう)」無駄な費用をかけて戦争を続けることで、君主や将軍はこういうことがないよう、気をつけねばならない。これは現代においても同様であろう。残り20p。
「夫れ戦勝攻取して其の功を修めざる者は凶なり。命(なづ)けて費留と曰う。故に明主はこれを慮り、良将はこれを修め、利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず。主は怒りを以て師を興すべからず。将は慍(いきどお)りを以て戦いを致すべからず」
用閒篇 「一」 ここで述べられるのはタイトルの通り、間諜、スパイの重要性について。たった1日の戦争をするため、十万の軍隊を遠征すると一日あたりの出費は多額におよび、そのために国内の農業にも影響が出る。だから、大軍の長期出兵にかけるコストよりも、「特別な間諜」を雇って敵情を探り、彼らに爵位や俸禄を与えた方が合理的という訳だ。「鬼神」とは占い、「事に象(かたど)る」とは過去からの類推、「度の験す」とは自然界の決まり、天文歴数にによる験し、は全て退けているが、過去からの類推は利用できるのでは?
p174 閒:間諜のこと。敵情をうかがうスパイについて述べる(注釈)
「人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり、先知なる者は鬼神に取るべからず、事に象るべからず、度に験すべからず。必ず人に取りて敵の情を知る者なり」
「二」 ここでは五つの間諜(スパイ)について述べる。1.郷間:住民に入り込む、2.内間:敵政府の役人に潜入、3.反間:二重スパイ、4.死間:間諜本人を欺いて敵に捕らえさせニセ情報を伝えさせるが、本人は生きて戻れない、5.生間:都度帰国して報告する。1.2.3.は良いが、3.は危険、4.は死ぬ運命。だが、いつの世にもこれらのスパイは存在するだろう。
p178 神紀:間諜の治め方、用い方(注釈)
「郷間なる者は其の郷人に因りてこれを用うるなり。内間なる者は其の官人に因りてこれを用うるなり。反間なる者は其の敵間に因りてそこれを用うるなり。死間なる者は誑事を外に為し、吾が間をしてこれを知って敵に伝えしむるなり。生間なる者は反り報ずるなり」
「三」 ここは間諜の仕事が非常に重要であること、叡智と仁義と繊細さが無ければ間諜に仕事をさせることができないことを語る。最後の、「間事未だ発せざるに而も先ず聞こゆれば、・・・・皆死す」というのは、秘密が漏洩した場合には関与した間諜の罪として処罰するということだろう。スパイの役割をこれほど重視する姿勢は、マキアベリの記述にもなく、孫子の特色かもしれないが、現実には孫子が述べる通り「間を用いざる所なし」ということで、米国、中国、ロシアは勿論、日本や韓国、台湾なども同様なのだろう。
「故に三軍の親は間より親しきは莫く、賞は間より厚きは莫く、事は間より密なるは莫し。叡智に非ざれば間を用うること能わず、仁義に非ざれば間を使うこと能わず、微妙に非ざれば間の実を得ること能わず。微なるかな微なるかな」
「四」 ここは間諜に対する具体的な指示事項の一つを示す。それは、攻撃対象としている軍隊、城、人間について、その防備体制、守りについている者の氏名をまず調べさせるということ。現代においてはこのあたりは情報戦争の中心となり、虚実の情報が飛び交い、その真偽を調査することの方が重要になっているかもしれない。
「凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必ず其の守将、左右、謁者、門者、舎人の姓名を知り、吾が間をして必ず索めてこれを知らしむ」
「五」 ここで述べられるのは反間、二重スパイである。敵の間諜を味方にして二重スパイにできれば、敵の情報が分かり、卿間や内間を使う手がかりとなり、死間を使った計略も可能となり、生間を使い続けることができる。従って二重スパイは厚遇すべきというのが孫子の結論。このあたりは現代においてはどななおだろう。敵国の法に照らせば確実に有罪だが、この場合の信義とはどうなるのか、難しい。
「敵間の来たって我を間する者、因りてこれを利し、導きてこれを舎しむ。故に反間得て用うべきなり。是によりてこれを知る。・・・・・五間の事は主必ずこれを知る。これを知るは必ず反間にあり。故に反間は厚くせざるべからざるなり」
「六」 ここでは春秋時代に殷に仕えた伊摯(伊尹いいん)、周の呂牙(太公望呂尚)がそれぞれ敵国の夏、殷にスパイとして入り込んでおり、そのことが殷や周が敵国を滅ぼして天下を取った主因であると論ずる。「間諜こそ戦争のかなめであり、全軍がそれに頼って行動する」という考え方はやや極端に過ぎる感じがする。それは、間諜の従う行動基準、信義やモラルがいかにも不安定に思えるからだが、どうだろう。
「昔、殷の興こるや伊摯、夏に在り。周の興こるや、呂牙、殷に在り。故に惟だ明主賢将のみ能く上智を以て間者と為して、必ず大功を成す。此れ兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり」
附録 孫子伝 ここでは孫子とされる二人の軍師、呉の孫武と斉の孫臏の伝説が語られる。孫武は呉王の闔廬に招かれ、女たちを使って軍隊の指揮をしてみせるよう命ぜられ、指示したとおりに行動せず、笑ってばかりいる女たちに対し、「指示が徹底しているのにそれができないのは隊長の責任だとし、隊長に選んでいた二人の闔廬の愛姫を殺してしまう。それにより女たちは指示通りに行動するようになり、いったんは不機嫌になった闔廬も孫武の有能さを認めて将軍にした。孫臏の伝説はもっと複雑で、彼は魏の将軍になった龐涓と共に学んだ仲だったが、孫臏の優秀さを恐れた龐涓に謀られて両足を失う。しかし斉の将軍田忌に認められ、田忌の軍師として活躍するようになり、魏と戦うことになったとき、計略を用いて魏軍と龐涓を遠征させ(軽装の精鋭部隊だけで追いかけた)、道幅の狭いところ(地形篇に言う「隘(せま)き者」、もしくは地篇に言う「圮地(ひち)」(軍を進めにくい場所))で待ち伏せし、一万台の石弓で魏軍と龐涓を倒した、という。最初の話は「マンガ孫子」の冒頭に描いてあったので良く覚えている。二つ目の話はまさに、地形篇や地篇で論じたことの実践であり、興味深い。