小林秀雄は高校の頃に出会った文学評論の天才。物の見方、読み方、語り方、文章のもつ力、粋なスタイル、いろんなものを知った。
深田久弥はもちろん、日本百名山と登山で出会った。簡潔な文章、山の本質をつかみ取ろうとする観察眼、親友の小林秀雄に通ずるものがある。さりげなく、徹底的なところがいい。
彼等二人のことを書いた文章は「カヤノ平」で、小林のものとは思えないほどハメを外した楽しい文章。そこに書かれた深田は、スキーの下手な小林を置き去りにしてさっさと滑っているが、深田の「カヤノ平」のほうはいたって淡々と描いている。文学の先輩を山で少しからかったのかな。これは単に「山の玄人」と素人の違いに過ぎないのだろう。
2025年3月(2025年5月掲載)日本百名山にこの山も入れたい・・・・👹👹👹👹👹🐰🐰🐰🐰🐰
これは「日本百名山」に50座を追加して「日本150名山」に増やそうという意図があるように思える作品であるが、「日本百名山」の各章のように推敲を重ねて練られた末の、洗練された作品とは言い難い。長さもまちまちで、笈岳や笊ヶ岳のように長い紀行文もあれば、短いものもあり、特に晩年の山行は、疲労に苦しみながらも、仲間たちとの山旅を実に楽しんでいる深田の様子が伝わってくる。
2024年11月(2025年1月掲載) 旅人たちの目と心🌟☁🍃🌟☁🍃🌟☁🍃
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口をとらへて老をむかふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす」この書き出しはよく覚えている。毎月、車で旅行するようになった今の私には、この文章はまさに自分のことのように身近に感じられる。
近代の眼:これは松尾芭蕉と奥の細道にインスパイアされて創られた詩人や作家の作品集である:田山花袋、泉鏡花、島崎藤村、井上ひさし、坂口安吾、高村光太郎、水上勉、五木寛之、斎藤茂吉、岡本太郎、深田久弥、堀田善衛、他。
2024年7月 筋金入りの民族文学⛰⛲🌞⛰⛲🌞⛰⛲🌞⛰⛲🌞
これは朝鮮人小説家・李恢成の、生まれ故郷サハリンへの帰郷をつづる紀行文。終戦によりサハリンの日本人は順次「引き揚げ」ることができたが、朝鮮人は解放されたにもかかわらず、母国からも見放され、サハリンに取り残されたらしい。「サハリンへの旅」は日本の文学雑誌「群像」に13回に渡って連載された。李氏の祖国を思う気持ち、離散家族たちの真実の描写は読むものの胸を打つ。なんとかして祖国の統合は実現してほしい。しかし年寄りたちには時間がない。せめて母国への帰国、家族たちとの再会だけでもできるようにしてほしい。これは今では、少しは改善されているのだろうか。李氏は作家の立場で、この祖国の問題を真剣に調査し、その解決策を探った。そして彼の心にはいつも文学があった。
2024年4月 私の愛する日本文学の名作🌟🐉🌻🌟🐉🌻🌟🐉🌻🌟🐉🌻
日本百名山の魅力はどこにあるのか、一つは、「読者はそれぞれ自分の『百名山』を想い描く。そういう時の目安にこれを使う」ということ。私など、日々、山を思えばこればかりである。そして二つ目の「いずれの文章からも深田さんの山に対する気持ち、登山という行為に関する変わらない態度を読み取ることができる。歴史も十分に調べ、時には科学的知識の準備もあったことはうかがえるが、案内気風の乾燥した文章でもなく、紀行に終始するのでもなく、それらを巧みに取り交ぜたところに一遍一編の味わいがある。時には一つ一つの山に対する感謝の気持ちが強く私たちの胸を打つ」こそが、深田の日本百名山の真の魅力であり、この本を永遠のものにしているものに違いない。
戦争の真っただ中だったこの時期に、小林は日本政府の求める講演をぎくしゃくした感じでこなしながら、パスカルやドフトエフスキイの考察を一段落し、日本の古典に目を向ける。その最初は「当麻」という世阿弥の能。二つ目の「無常という事」は「一言芳談抄」というマイナーな古典だが、それに続き小林は「平家物語」「徒然草」「西行」「実朝」と力作を連ねる。特に「徒然草」「西行」「実朝」は小林の全作品の中でも屈指のものに数えられるだろう。
2023年9月 経済学の古典📚⌚🚙📚⌚🚙📚⌚🚙📚⌚🚙📚⌚🚙📚⌚🚙
ヒックスは、もろもろの経済学者の経済理論を使用することははなはだしく危険である、最も重要な側面のいくつかを捨象している」と断ずる。この指摘は次に述べられる三つの欠陥に基づいている:(1)「独占および不完全競争に少しも注意を払わない」、(2)国家の経済活動の捨象、(3)「資本と利子、貯蓄と投資、・・・・『投機』・・・の活動の捨象」。
2023年5月 文芸評論の原典📚🏅🦁📚🏅🦁📚🏅🦁📚🏅🦁📚🏅🦁📚🏅🦁
ブウブが得たものは書物や人物の批評に他ならないが、それらが余りにも強烈で過激で神経に触るもの(誤解もされやすいだろう)だったため、彼はそれを「毒」と呼び、「少しばかり薄めて」公表した。だが今ではもう、この「毒」は文学の一つ、「批評の原典」として読む事ができる。これを読んでいて、私はまったく、小林の書いた批評とまるで変らない(登場人物が違うのは仕方ないが)と感じた。
2022年12月 国家が生き抜く究極の戦術思想🔥⚔🏇🔥⚔🏇🔥⚔🏇🔥⚔🏇
この本を最後まで読んでみて思ったのは、この本がマキアベリの戦術をはるかに越え、究極の世界にまで踏み込んでいるように思えたこと、例えば「勢いと節目」「情報把握の重要性」「敵を欺き、一気に動く」「徹底的にやり過ぎない」「兵士の心理」そして「間諜、スパイの重要性」。短い行間に緻密な思想が詰め込まれている。
2022年11月 海谷連峰への挑戦、躍動する強者(つわもの)たち🌊❄⛰🌊❄⛰🌊❄⛰🌊❄⛰(掲載12月)
これもまた、地元の山を愛する登山愛好者による山岳誌、「若いころに情熱を傾けた山の記録と現在の登山ガイド」である。直江津雪稜会とは、「直江津高校と高田工業高校の山岳部OBが頚城の山の未踏ルート開拓のために設立した山岳会」であり、ここには1970年代初頭頃の沢・岩登り、積雪期登山の記録が載せられ、誇れる初登攀もいくつかあるという。
2022年5月「ランボオ詩集」と「山さまざま」🌞☂🌞☂🌞☂🌞☂🌞☂
「ランボオ詩集」「地獄の季節」の冒頭「俺は確かに夢を見ていたのだ・・・・・俺の奈落の手帖の目も当てられぬ五六枚、では貴方に見ていただくことにしようか」というのは強烈なメッセージで、小林が見つけたランボオはこの「言葉そのもの」なのだと思うが、私には次の「悪胤」の中に述べられているのが案外、ランボオのいらだちの真意なのではないかと思う。「・・・・・そら科学だ、どいつもこいつも又飛びついた・・・・科学。新貴族。進歩。世界は進む。何故逆戻りはいけないのだろう?・・・・・」というのはまさに当時進行中の産業革命のことであり、人々は、ランボオも含め、何不自由のない豊かな生活を送れるようになったのだが、それがランボオには気に入らない。これはまさに現代の若者みたいだ。
「山さまざま」には苦難と歓喜の山紀行の中編が五つ、そしてちょっとした山関連のショートショートが六編。「湯沢の一年」は終戦後、深田が湯沢に1年あまり暮らしていたときの話。「ふるさとの山」は深田が自身のふるさとの山、白山を語ったもの。「山の服装」は大正から昭和初期にかけての日本の登山スタイルで、深田はなんと古背広にソフト帽子で登山していたというから驚きである。
2022年1月「秘境・和賀山塊」⛰🦊🌻🌼⛰🦊🌻🌼⛰🦊🌻🌼⛰🦊🌻🌼
佐藤氏と藤原氏のこの本は、和賀山塊の自然を守るという地元民、山を愛する人としての記述が主体となっているが、読んでいて最も心を惹かれ、ワクワクしたのは迫真の登山の場面。沢の情景が目の前に浮かび、雪山の真っ白な景観、そんな情景も次々に連想され、熱い思いが呼び覚まされた。私はもうあと何度、和賀連峰に行くだろう。
2021年11月「わが山山」⛰🦊🌼⛰🦊🌼⛰🦊🌼⛰🦊🌼
あとがきで深田は、彼が学問的な研究をしている訳でもなく、輝かしい登攀の記録もないから、山岳家の資格はない、と述べている。つまり当時はまだ、深田流の「楽しむ登山」というのは世に流通していなかったということだ。それにしても深田の楽しそうな山旅を読み、地図でルートを確かめたりしていると・・・・・・はてさて、私にとってはまた、トライしてみたい登山コースが増えてしまったようだ。
2021年9月「君主論」💛🏹♦💛🏹♦💛🏹♦💛🏹♦(掲載12月)
マキアベリは権謀術数の権化、人を騙すことを為政者に奨励した悪魔のような学者という見られ方をしている。だがマキアベリは「極悪非道な何らかの道を通って君主の座に昇った者」は優れた君主ではないとしている。「君主論」は人民を統べる君主が現実を生き抜くためのまさにガイドブック、言葉を飾った口当たりの良い書物ではなく、人々の運命を左右する決断、日頃から身につけておかねばならない修業を書き記した実践本なのだ。
2021年5月「様々なる意匠」<<<<<<<<<<<<<<<<<<
この文章を読むのは実に何十年ぶりだが、その頃は何度読み返しただろう。そこかしこに想い出が詰まっているが、当時はまるで理解できていなかった(今もたいして理解できないのだが)。ここで小林が取り上げているのは言葉がもつ力である。それは冒頭の一文に実に美しく、名文(小林節)でもって語られる。結局、この言葉がもつ魔術が文芸のみならず、人の生活、人の人生を揺さぶっているという事か。
「遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という我々の思索の唯一の武器は、依然として昔ながらの魔術を止めない・・・・・しかも、もし言葉がその人心幻惑の魔術を捨てたら恐らく影にすぎまい」
2021年4月❄🌞❄🌞❄🌞❄🌞
ウェストンの日本アルプスを知ったのは日本百名山を読んだとき、嘉平治を連れて穂高に登った件と鳳凰山のオベリスクにロープの先に石を結わえて引っ掛け、登った件。今でこそ穂高には観光地と化した上高地から楽に登れるが、当時はまるでジャングルだったんだろうし、同じく、鳳凰山にもいくつも登山ルートができているが、オベリスクには根本まで登ったが、てっぺんまで登るとなるとクライミングの世界だ。英国の宣教師というが、地元の猟師を従えて道なき道をグングン登っていく様はむしろ荒法師、相当にタフな人だったようだ。大半は当時の原始的な日本の風物誌だが、いざ、山に対峙するときの記述には迫力と強い意志が感じられ、風景描写にも感動と感情がこもっている。よほど山が好きな人だったに違いない。
2020年10月⚡⛈🌩⚡⛈🌩⚡⛈🌩⚡⛈🌩⚡⛈🌩⚡⛈🌩⚡⛈🌩⚡⛈🌩
昨年の12月1日から読み始めて10ヶ月。ようやくこの大著を読み終える。理解できたとは言い難いが、哲学についてわずかながら学ぶことができた(かじった程度かな?)と思う。最後の数ページでベルグソンは哲学そのものについて語る。哲学者は科学者よりも先に進まねばならぬ、というのは、科学が実証していないもの、科学が目指すべき方向を哲学者が示すのだと言いたいのだろうか(実証できないものを科学は語れないが、哲学に制約はない)。そして哲学は本物の進化論であり、科学の延長であると言い切る。ベルグソンは(彼の時代にはまだスマホやパソコンもなく、遺伝子やゲノムも知られていなかった)科学のもつ力、潜在力をどのくらい予期していたのだろう。哲学の手法は今でも生き続け、仮説による科学研究に使われていると思うが、今後、彼のような哲学者は現われるだろうか。
2020年5月+++++++++++++++++++++++++++++
このサイトに初めて載せる深田久弥の作品は「雲の上の道」。深田はこの旅でヒマラヤのどの峰にも登頂してはいない。だが、シェルパを除き登山の専門家が一人もいない素人登山家の集団がワイワイ言いながら計画を練り、悩み、長い山道を歩き、その果てでヒマラヤの絶景を見た瞬間の感動は実に熱い。一方、人物描写が実に生き生きしていて、いっしょに旅をしているような錯覚に陥り、読んでいてワクワクする。
2018年4月☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ようやく小林秀雄の大作、「本居宣長」を読み終わった。難しくてわからないところだらけ、読むときも何度も何度も前のページを繰り、小林の考えを追う。なんとなく分かったこともあれば、分からずじまいで次に進んだことも多かった。原文をそのまま引用掲載している箇所がたくさんあり、意味を追うのに必死で取り組まないといけない。そして時々、思い出したように出てくる小林節の文章に胸が躍る。最後は日本語と日本文化という大きなテーマに入り込んでいたように思うが、どうだろう。
初めて花の百名山を読んだのは鹿島槍ヶ岳に登った冷池山荘の食堂。古い大きなハードカバーの本が置いてあったのを読んだ。結局、この本は電子書籍で読んだ。地図がないが、花はネットで検索して見ることができる。ははあ、この花か、と思ったのもいくつかあるが、まだ知らない花の方が多い。田中澄江には花の見方、感動の仕方を教えられた。花を見て疲れを忘れ、いつのまにか頂上まで登ってしまうというのは、本当に花が好きなのだろう。花に出会った時の一瞬の感動の描写は胸を打つ。
2017年12月☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
最初にこのサイトに掲示する作品は大島亮吉。戦前に近代登山を開拓し、私が生まれる前に28歳で山に死んだ天才の遺稿集。気迫の山への挑戦、感傷的な逍遥の旅、そして運命を予感させる山での死についての記述。大島は評論家ではないが、風や鳥の声、雲や峠の姿など、限りない観察眼をもっていた。
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