剣ヶ峰3,776m
「『富士山』という本を編むために文献を漁ってそれが後から後から幾らでも出てくるのにサジを投げた」と冒頭に宣言した深田は、それから紋切り型の短い文を大量に並べていくのだが、その短い文のなかに幅広い大量の富士山に関する知識や知見が散りばめられ、しかもそれが名文調に語られていく様は実に「噺家」の語りを聞いているかの如くである。
最初に語られるマルセル・クルツ「世界登頂年代記」はたぶん「The Mountain World 1953」by Marcel Kurz だと思うが、今でも完訳は出ていないので、深田はたぶん原書を読んだのだろう。都良香「富士山記」に頂上の噴火口の模様が書いていることについては、深田自身も富士山の噴火口について書いた「富士のお鉢」というのがある。
「一夏に数万の登山者」というのは現在では年間10万人規模(2019:18万人、2021(コロナ):6万人、2022年:11万人)だが、年間登頂者数「世界一」は高尾山のおよそ300万人には及ばない。
その次に展開する「最も美しいもの、最も気高いもの、最も神聖なものの普遍的な典型としていつも挙げられるのは不二の高根であった・・・・万葉の昔から、われわれ日本人はどれほど豊かな情操を富士によって養われてきたことであろう」というのは小林秀雄調、いや深田久弥調の名文。しかし深田は「無障碍の空をなだれ落ちる線のその悠揚さ、そのスケールの大きさ、そののんびりとした屈託のない長さ」という先輩小島烏水の名文の紹介も忘れない。
だが、この章の極めつけは後半2ページに展開される富士山と芸術家、文学者、更に哲学者たちの果てしない交錯であろう。深田が着目したのは富士山の「小細工を弄しない大きな単純・・・・それは万人向きである。何人も拒否しない、しかし又何人もその真諦をつかみあぐんでいる」という偉大なる矛盾である。
最初の二人について深田は名前を書いていないが、「生涯富士ばかり撮って未だに会心の作がないと嘆いている写真家」とはまちがいなく岡田紅陽だろう。岡田は富士山の撮影に生涯を捧げ、「富士山写真」というジャンルを確立した写真家として知られ、日本の現行の1000円札の裏面の、桜越しの富士山と富士山が映る湖の絵柄は岡田の作品とのこと。「富士山とにらめっこして思索した哲学者」とは、たぶん串田孫一ではなかろうか。
串田は文庫本「日本百名山」の解説も書いているが、富士山に係わる哲学としてはマルクス・ガブリエルの本質主義vs.相対主義というのがある:「極端に単純化すれば、次のような対立だ。富士山を、別の場所からAさんとBさんが見ているとする。本質主義によれば、富士山「自体」が唯一の実在であり、AとBはそれを異なる見方で見ているが、「Aのパースペクティヴにおける富士山」と「Bのパースペクティヴにおける富士山」は、たんなる見方にすぎず、実在的ではない」。なかなか思弁的。
その後は山部赤人、松尾芭蕉、池大雅(「芙蓉峰百図」についてはよく分からない)、葛飾北斎、夢窓国師、北村透谷と芸術家を並べてみせる。北村透谷の見出した詩神は、「遠く望めば美人の如し。近く眺れば威厳ある男子なり。」という美文を書かせた。そして深田はこの章を次の名文で締めくくる「富士山は万人の摂取に任せて、しかも何者にも許さない何物かをそなえて、永久に大きくそびえている」。
私は富士山に山開き前の5月にスキーを担いで3度登り、雪渓を3度、噴火口の途中まで2度滑走したことを良き思い出にしているが、大勢の著名な芸術家や文学者たちが取り組んできた歴史を改めて読んでみると、私のやったことなどなんともちっぽけでつまらないものに思えてしまう。
富士山で見た広大な風景、はるか下の雲海、快晴なのに突風が吹いて膝をついてしのいだこと、頂上の巨大な噴火口、そして剣ヶ峰の日本最高地点に立ったときの高揚感、広大な富士山の頂上に集う多くの登山者たち、それらこそが富士山の本当の姿であり、私の経験したことなのだろう。
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「『富士山』という本を編むために文献を漁ってそれが後から後から幾らでも出てくるのにサジを投げた」と冒頭に宣言した深田は、それから紋切り型の短い文を大量に並べていくのだが、その短い文のなかに幅広い大量の富士山に関する知識や知見が散りばめられ、しかもそれが名文調に語られていく様は実に「噺家」の語りを聞いているかの如くである。
最初に語られるマルセル・クルツ「世界登頂年代記」はたぶん「The Mountain World 1953」by Marcel Kurz だと思うが、今でも完訳は出ていないので、深田はたぶん原書を読んだのだろう。都良香「富士山記」に頂上の噴火口の模様が書いていることについては、深田自身も富士山の噴火口について書いた「富士のお鉢」というのがある。
「一夏に数万の登山者」というのは現在では年間10万人規模(2019:18万人、2021(コロナ):6万人、2022年:11万人)だが、年間登頂者数「世界一」は高尾山のおよそ300万人には及ばない。
その次に展開する「最も美しいもの、最も気高いもの、最も神聖なものの普遍的な典型としていつも挙げられるのは不二の高根であった・・・・万葉の昔から、われわれ日本人はどれほど豊かな情操を富士によって養われてきたことであろう」というのは小林秀雄調、いや深田久弥調の名文。しかし深田は「無障碍の空をなだれ落ちる線のその悠揚さ、そのスケールの大きさ、そののんびりとした屈託のない長さ」という先輩小島烏水の名文の紹介も忘れない。
だが、この章の極めつけは後半2ページに展開される富士山と芸術家、文学者、更に哲学者たちの果てしない交錯であろう。深田が着目したのは富士山の「小細工を弄しない大きな単純・・・・それは万人向きである。何人も拒否しない、しかし又何人もその真諦をつかみあぐんでいる」という偉大なる矛盾である。
最初の二人について深田は名前を書いていないが、「生涯富士ばかり撮って未だに会心の作がないと嘆いている写真家」とはまちがいなく岡田紅陽だろう。岡田は富士山の撮影に生涯を捧げ、「富士山写真」というジャンルを確立した写真家として知られ、日本の現行の1000円札の裏面の、桜越しの富士山と富士山が映る湖の絵柄は岡田の作品とのこと。「富士山とにらめっこして思索した哲学者」とは、たぶん串田孫一ではなかろうか。
串田は文庫本「日本百名山」の解説も書いているが、富士山に係わる哲学としてはマルクス・ガブリエルの本質主義vs.相対主義というのがある:「極端に単純化すれば、次のような対立だ。富士山を、別の場所からAさんとBさんが見ているとする。本質主義によれば、富士山「自体」が唯一の実在であり、AとBはそれを異なる見方で見ているが、「Aのパースペクティヴにおける富士山」と「Bのパースペクティヴにおける富士山」は、たんなる見方にすぎず、実在的ではない」。なかなか思弁的。
その後は山部赤人、松尾芭蕉、池大雅(「芙蓉峰百図」についてはよく分からない)、葛飾北斎、夢窓国師、北村透谷と芸術家を並べてみせる。北村透谷の見出した詩神は、「遠く望めば美人の如し。近く眺れば威厳ある男子なり。」という美文を書かせた。そして深田はこの章を次の名文で締めくくる「富士山は万人の摂取に任せて、しかも何者にも許さない何物かをそなえて、永久に大きくそびえている」。
私は富士山に山開き前の5月にスキーを担いで3度登り、雪渓を3度、噴火口の途中まで2度滑走したことを良き思い出にしているが、大勢の著名な芸術家や文学者たちが取り組んできた歴史を改めて読んでみると、私のやったことなどなんともちっぽけでつまらないものに思えてしまう。
富士山で見た広大な風景、はるか下の雲海、快晴なのに突風が吹いて膝をついてしのいだこと、頂上の巨大な噴火口、そして剣ヶ峰の日本最高地点に立ったときの高揚感、広大な富士山の頂上に集う多くの登山者たち、それらこそが富士山の本当の姿であり、私の経験したことなのだろう。
p306 ポポカテペトル:メキシコのメヒコ州、モレロス州、プエブラ州の境界上に存在する活火山である。2020年現在も噴火継続中。山頂の標高は5426m。標高: 5,393 m、 初登頂: 1519年 初登頂者: ディエゴ・デ・オルダ、 最新噴火: 2020年(継続中) (ウィキペディア)
p307 富士山の年間登頂者数:2022年の登山者数は11万5025人で、過去最少の2021年(6万5519人)を4万9506人(75.6%)上回った。 一方、コロナ禍前の2019年(18万5807人)より7万782人(38.1%)下回った。
p307 登頂者数世界最多の山:ミシュラン観光ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」での3つ星評価を獲得していることもあり、年間を通じて多くの観光者も訪れる高尾山。年間登山者数はおよそ300万人ともいわれ、富士山やエベレストより多いんです!
p307 エベレストの年間登頂者数:人類初のエベレスト登頂が記録された1953年から2000年までの年間登頂者は平均25名だった。 ところが、2000年から2017年までの統計では、その16倍となる年間415名が登頂している
p308 真諦(しんたい):1.仏教の最高真理。絶対・究極の真理。対義語:俗諦(ぞくたい)、 2.物事・思想の根本義。
p309 「生涯富士ばかり撮って未だに会心の作がないと嘆いている写真家」:(まちがいなく)岡田紅陽(おかだ こうよう。1895~1972年)は、富士山の撮影に生涯を捧げ、「富士山写真」というジャンルを確立した写真家として知られている。彼の写真は、日本の紙幣や切手に使用され、日本人にとっての富士山の象徴的なイメージとなった。日本の現行の1000円札の裏面には、桜越しの富士山と富士山が映る湖の絵柄が描かれている。富士山周囲の湖で見られる湖面に映る富士山は「逆さ富士」と呼ばれ、古くから日本人に愛されてきた風景だ。この1000円札の絵は、山梨県の富士五湖の一つである本栖湖(もとすこ。参照)で岡田紅陽(本名:岡田賢治郎)によって撮影された写真「湖畔の春」が元となっている。岡田は、富士山を主な撮影対象とする「富士山写真家」の先駆者として知られている。
p309 「富士山とにらめっこして思索した哲学者」:(たぶん)串田孫一[クシダマゴイチ]1915(大正4)年東京生まれ。詩人、哲学者、随筆家。東京帝国大学文学部哲学科卒。詩誌「冬夏(とうげ)」を創刊、小説などを発表する。詩誌「歴程」「アルビレオ」に参加。中学時代から登山を始め、のちに東京外国語大学教授として教鞭をとるかたわら山岳部長に就任。登山や植物など自然の風物をめぐる詩的な随想を多数執筆。1958年、山の芸術誌「アルプ」を創刊し、83年に300号で終刊するまで責任編集者を務めた。著作は膨大な量にのぼり、山岳文学、画集、小説、人生論、哲学書、翻訳など多岐にわたる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 「若き日の山」(ヤマケイ文庫)串田孫一【著】山と渓谷社 2017/02 発行
p309 マルクス・ガブリエル:本質主義vs.相対主義というのは、極端に単純化すれば、次のような対立だ。富士山を、別の場所からAさんとBさんが見ているとする。本質主義によれば、富士山「自体」が唯一の実在であり、AとBはそれを異なる見方で見ているが、「Aのパースペクティヴにおける富士山」と「Bのパースペクティヴにおける富士山」は、たんなる見方にすぎず、実在的ではない。自然科学によれば、富士山の実在は物質的・数理的に説明されるべきものであり、そしてその説明だけが真である。相対主義によれば、我々はつねに何らかのパースペクティヴから見た富士山の見方しか知ることができない。「Aのパースペクティヴにおける富士山」と「Bのパースペクティヴにおける富士山」がそれぞれにあるだけだ。そしてそれはどちらも「主観的な構築」であり、我々に問題にできるのはそれだけである―実在的な富士山にはアクセスできない。こうした対立が、大ざっぱではあるが、「ポストモダン」思想以後、解決できない問題としてくすぶり続けてきた。とくに人文学においては、「ポストモダン」以後に相対主義的傾向が強まり、それへの批判がたびたびなされてきた。そこでガブリエルはこう論じる。「Aのパースペクティヴにおける富士山」と「Bのパースペクティヴにおける富士山」があるのは確かなのだが、それはたんに主観的な構築なのではない、それぞれに実在的なのだ。というのは、物事の実在はそもそも、特定の「意味の場」と切り離せない。以上の場合では、「Aから見る」、「Bから見る」というのが「意味の場」の形成であり、富士山の実在性はそれに依存している。では、富士山「自体」はどうかと言うと、富士山「自体」とは、諸々の実在的なパースペクティヴの交差のことなのである―「意味の場」から完全に孤立しているような富士山「自体」は考えようもない。「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル、マルクス・ガブリエルは、ドイツの哲学者。ボン大学教授。専門書だけでなく、哲学に関する一般書も執筆している。 生年月日: 1980年4月6日 (年齢 43歳)、出生地: ドイツ レマーゲン
p309 マチエール:美術作品の材料や材質,素材を意味するフランス語。 転じて,例えば衣服や金属などの描かれた対象に固有の物質的な材質感を指すこともある。 また絵画や彫刻作品そのものの表面の質感を指して使われる場合も多い。
p309 池 大雅:日本の江戸時代の文人画家 、書家。幼名は又次郎など。諱は勤、無名、字は公敏、貨成。日常生活には池野 秋平の通称を名乗った。雅号は数多く名乗り、大雅堂、待賈堂、三岳道者、霞樵などが知られている。 妻の玉瀾も画家として知られる。弟子に木村兼葭堂などがいる。与謝蕪村とともに、日本の南画の大成者とされる。 ウィキペディア
p309 夢窓国師:夢窓疎石は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟。尊称は七朝帝師。宇多天皇9世孫を称する。建仁寺の無隠円範らに学んだ後、元の渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至らず、のち浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖。 ウィキペディア
p309 北村 透谷:日本の評論家・詩人。本名は北村 門太郎。明治期に近代的な文芸評論をおこない、島崎藤村らに大きな影響を与えた。 相模国小田原に生まれた。幼少時代、両親から離れて厳格な祖父と愛情薄い継祖母に育てられ、のちに神経質な母親の束縛を受けたことが性情の形成に大きな影響を与えたといわれる。 ウィキペディア 「富嶽の詩神を思ふ」より、 白雲、黒雲、積雪、潰雪(くわいせつ)、閃電(せんでん)、猛雷、是等のものを用役し、是等のものを使僕し、是等のものを制御して而して恒久不変に威霊を保つもの、富嶽(ふがく)よ、夫れ汝か。渡る日の影も隠ろひ、照る月の光も見えず、昼は昼の威を示し、夜は夜の威を示す、富嶽よ汝こそ不朽不死に邇(ちか)きものか。汝が山上の浮雲よりも早く消え、汝が山腹の電影よりも速に滅する浮世の英雄、何の戯れぞ。 遠く望めば美人の如し。近く眺れば威厳ある男子なり。アルプス山の大欧文学に於ける、わが富嶽の大和民族の文学に於ける、淵源(えんげん)するところ、関聯するところ、豈(あに)寡(すくな)しとせんや。遠く望んで美人の如く、近く眺めて男子の如きは、そも我文学史の証しするところの姿にあらずや。アルプスの崇厳、或は之を欠かん、然れども富嶽の優美、何ぞ大に譲るところあらん。われはこの観念を以て我文学を愛す。富嶽を以て女性の山とせば、我文学も恐らく女性文学なるべし。雪の衣を被(かつ)ぎ、白雲の頭巾を冠りたる恒久の佳人、われはその玉容をたのしむ。