この章で深田が最初に語るのは行者ニンニクだが、私は「これが行者ニンニクだろう」と思って摘んできたのを夕食といっしょに食べ、腹をこわして戻してしまったいやな記憶がある。悪いのは私なのだが、記憶はいつまでも許してくれない。
次に深田が語るのはいつもの山名の由来。「おそらく至仏は宛字であろう・・・・昔の人は山には素朴な直接的な名をつけるのが例で・・・・ひとり至仏たけに文学的な名をつけるはずはない」というロジックは百名山でもあちこちで出てくる。
至仏は渋沢(シブッツァワ)からきた、景鶴も「ヘエズルから来たのに相違ない」というのには納得しながらも半信半疑なところもあったが、景鶴山に2019年に登り、刃渡りのような細尾根の頂上に登ったとき、この山が「ヘエズル山」と呼ばれた理由を納得した。
そして後段の至仏山登頂記は「我が山山」の中の「至仏山を越えて尾瀬へ」で詳しく語られている。沼田駅から建築列車に乗り、利根川上流から狩小屋沢を詰めて至仏に登り、貉沢を下って尾瀬ヶ原。このときの情景描写は実に簡潔かつ心に響く名文で、深田たちの感動が伝わってきて、まさに天下一品。
「もうかなり沢筋を登ったと思う頃、悠揚たる至仏の全容が現われた。満山の紅葉だ。その間に点々と浮島のように岩石が聳立(しょうりつ)している。優美な紅葉の色調とそれを引き締めるように峻厳な感じの岩石と双方相まって実に見事な眺めだった。今までの山旅に僕は忘れ難いいくつかの景色を数えることができるが、この時の眺めもその一つに数えている。」
私は至仏山に3回登っているが、全て5月初め、鳩待峠からシールで登り、ワル沢左岸を滑走している。至仏山の東斜面は広大無辺、3回目の滑走のときも「すぐに頂上の喧騒は見えなくなり、ただ一人の大斜面滑走・・・私が滑っている間、上にも下にも滑っている人は全く見なかった。広大無辺な大斜面の滑走」。
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この章で深田が最初に語るのは行者ニンニクだが、私は「これが行者ニンニクだろう」と思って摘んできたのを夕食といっしょに食べ、腹をこわして戻してしまったいやな記憶がある。悪いのは私なのだが、記憶はいつまでも許してくれない。
次に深田が語るのはいつもの山名の由来。「おそらく至仏は宛字であろう・・・・昔の人は山には素朴な直接的な名をつけるのが例で・・・・ひとり至仏たけに文学的な名をつけるはずはない」というロジックは百名山でもあちこちで出てくる。至仏は渋沢(シブッツァワ)からきた、景鶴も「ヘエズルから来たのに相違ない」というのには納得しながらも半信半疑なところもあったが、景鶴山に2019年に登り、刃渡りのような細尾根の頂上に登ったとき、この山が「ヘエズル山」と呼ばれた理由を納得した。
そして後段の至仏山登頂記は「我が山山」の中の「至仏山を越えて尾瀬へ」で詳しく語られている。沼田駅から建築列車に乗り、利根川上流から狩小屋沢を詰めて至仏に登り、貉沢を下って尾瀬ヶ原。このときの情景描写は実に簡潔かつ心に響く名文で、深田たちの感動が伝わってきて、まさに天下一品。「もうかなり沢筋を登ったと思う頃、悠揚たる至仏の全容が現われた。満山の紅葉だ。その間に点々と浮島のように岩石が聳立(しょうりつ)している。優美な紅葉の色調とそれを引き締めるように峻厳な感じの岩石と双方相まって実に見事な眺めだった。今までの山旅に僕は忘れ難いいくつかの景色を数えることができるが、この時の眺めもその一つに数えている。」
私は至仏山に3回登っているが、全て5月初め、鳩待峠からシールで登り、ワル沢左岸を滑走している。至仏山の東斜面は広大無辺、3回目の滑走のときも「すぐに頂上の喧騒は見えなくなり、ただ一人の大斜面滑走・・・私が滑っている間、上にも下にも滑っている人は全く見なかった。広大無辺な大斜面の滑走」。
林の向こうに峰が見えている!あわてて小走りに進むと、青空の下に真っ白な峰を立てた至仏。感激。小至仏山の東斜面沿いにトラバース・ルートができており、そこを人々が行き交っている。もう帰ってくる人もいる。ボードをかついだ二人連れを追い越し、上から降りてきた徒歩の人に道を譲られ、次はこちらが譲る。
尾瀬笠ヶ岳途上より:尾瀬や越後の山々が勢ぞろいしている。二つ並んだピークの至仏山の南西斜面は北東側の真っ白な姿とは対照的に荒々しく、同じ山とは思えないほど。
雲海に向かって滑走:下界は雲の下、尾瀬ヶ原も雲の下。全くの雲上の世界を歩いている。 正面に浮かんでいるのは奥白根。一応、知ってそうな人に下るルートを尋ねる。「山ノ鼻へはこの斜面を下ればいいんですか」「山ノ鼻へは北の方向だが、斜面を下るなら東の沢に下り、電柱の立っているところで沢を渡ってそれから15分くらい登って鳩待峠に出るルートがある。それか、登ってきたルートを下るかどっちかだな。下はガスだが、滑った跡を辿れば行けるだろう」「ありがとうございました」。
鳩待峠休憩所
p154 悠揚迫らぬ:ゆったりとしていて、ゆとりがあり落ち着いているさま