「平ヶ岳は日本百名山を志した最初から私の念頭にあった。あまり人に知られていないが十分にその資格がある」から始まるこの章は、日本百名山のなかでも印象的かつ魅力的である。深田はなぜ名山なのかの理由を語りはじめるが、三つ目を語ろうとする深田を遮って二人の別の語り手が話し始める。まるで小説みたいに。
次いで深田は平ヶ岳の登頂を報告した三つの記録を紹介するが、それは三つとも違うルート(只見川の支流白沢、利根川源頭の山脈伝い、上州側の水長沢)であり、深田は「残雪を踏んで行く頃が一番登り易い」と分かっていながらその機会を逃し、秋に中ノ岐川を遡って平ヶ岳に達し、帰りは水長沢を下っている。
「うるさい枝をかきわけかきわけ登っているうち、ひょっこりきれいな空地へ出た。そこが平ヶ岳の頂上であった」というのは、私もヤブこぎをしているときに何度も体験した。重労働から解放され、地獄を抜けて突然天国に出た気持ち。
「頂上のテントで明けた朝はすばらしい天気に恵まれた」というのも、頂上ではなくて途中のことが多かったが、私にも幾度も経験がある。そして、「四周には数え切れぬほどの既知未知の山々が立ち並び、この山の深さを感じさせた」は真っ白な平ヶ岳の頂上に到達したとき、私もまさに感じたことだった。
深田は最後に「平ヶ岳はふたたび道のない山として、その美しい山頂が保存されるに違いない」と記しているが、今では登山道が東の尾根伝いに付けられ、毎年大勢の登山者が登る山になっている。これは深田の日本百名山がその原動力であることはまちがいない。深田はきっと、複雑な心境で苦笑いしながらも、この山が多くの人々に知られ、登られるようになったことを喜んでいると思う。
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「平ヶ岳は日本百名山を志した最初から私の念頭にあった。あまり人に知られていないが十分にその資格がある」から始まるこの章は、日本百名山のなかでも印象的かつ魅力的である。深田はなぜ名山なのかの理由を語りはじめるが、三つ目を語ろうとする深田を遮って二人の別の語り手が話し始める。まるで小説みたいに。
次いで深田は平ヶ岳の登頂を報告した三つの記録を紹介するが、それは三つとも違うルート(只見川の支流白沢、利根川源頭の山脈伝い、上州側の水長沢)であり、深田は「残雪を踏んで行く頃が一番登り易い」と分かっていながらその機会を逃し、秋に中ノ岐川を遡って平ヶ岳に達し、帰りは水長沢を下っている。
「うるさい枝をかきわけかきわけ登っているうち、ひょっこりきれいな空地へ出た。そこが平ヶ岳の頂上であった」というのは、私もヤブこぎをしているときに何度も体験した。重労働から解放され、地獄を抜けて突然天国に出た気持ち。
「頂上のテントで明けた朝はすばらしい天気に恵まれた」というのも、頂上ではなくて途中のことが多かったが、私にも幾度も経験がある。そして、「四周には数え切れぬほどの既知未知の山々が立ち並び、この山の深さを感じさせた」は真っ白な平ヶ岳の頂上に到達したとき、私もまさに感じたことだった。
深田は最後に「平ヶ岳はふたたび道のない山として、その美しい山頂が保存されるに違いない」と記しているが、今では登山道が東の尾根伝いに付けられ、毎年大勢の登山者が登る山になっている。これは深田の日本百名山がその原動力であることはまちがいない。深田はきっと、複雑な心境で苦笑いしながらも、この山が多くの人々に知られ、登られるようになったことを喜んでいると思う。
白沢山は大きな丸い山で、平ヶ岳はいったん見えなくなり、白沢山頂上付近で再び見えてくる。平ヶ岳はもうすぐ先に平らな頂上を見せているが、まだ2.4㎞のかなた。
平ヶ岳の頂上直下の滑走がこの日のハイライト滑走。スムースな斜面を選んでショートターンを試み、雪が融けてでこぼこのところは大きくターンを刻み、苦労して登った斜面を一気に滑り降りる。
林を抜けて池ノ岳の尾根を登り、その途中で黄色い花(オミナエシ?)の向こうにたたずむ平ヶ岳を眺める。平らというよりは丸い頂上。山腹は濃い緑で、沢まで力強く根を張っている。
(燧岳より)右手に平ヶ岳を見る。懐かしい昔馴染みに出会ったようで、思わず挨拶したくなる。久しぶりだね。